潜水館3
立って酒を飲んでいた、あるいは話をしていた面々も次々にテーブルに着き、席が埋まる。
「さてさて、では自己紹介はもうお互いに済まされているようですが、ホスト役として改めて」
パパゲアは席に座った面々を見回すと、グラスをかかげる。
「どうも、パパゲア・モネです。この度は、我が大発明、潜水館にようこそ。皆様をお招きしての潜水と、湖底の調査に今から胸が躍る思いです。長い話は料理が冷めてしまいますな、あとは食べながら歓談しながら、といったところで――乾杯」
ありがたいことに挨拶はかなり短く終わり、宴が始まる。
とはいえ、はっきり言って僕以外は全員上流階級。上品な料理を、テーブルマナーに則って優雅に食事を始める面々に気後れして、なかなか料理に手が伸びず、酒をちびちびと舐める。横を見れば、ヴァンですら落ち着いた様子で優美にフォークとナイフを操っている。腐っても貴族だ。
「しかし相変わらずお綺麗な。パパゲア殿との愛が美容の秘訣ですかな?」
「あら、いやですわ」
「はっはっは……クロード君、よしたまえよ、本当のことを言うのは、な。はっはっは」
「あなたも……もうっ」
「……ちっ」
右を見れば、クロードが歯の浮くようなお世辞をティアに言い、モネ夫妻がそれに答えている。年甲斐もなくティアは顔を赤らめている。娘のメアリが思い切り舌打ちをしているが、その気持ちは痛いほど分かる。
一方で左を見れば、
「口止め料として出世したとは聞いていたけど、まさか今では議員にまでなってるとはな。で、旦那さんも議員と。すごいな、成功者だ」
「俺は、実は冒険者出身です。冒険者出身の議員ってことで、同じく変わり種の妻と話が合いまして」
「それで付き合い始めたの? いやあ、しかし、あれだろ、ゲラルトさんとやり合うのも嫌だろ」
「あの狸の相手は疲れるのは確かよ……それにしても、ディーコン? こいつ相手に敬語使う必要ないわよ。年下だし」
「俺、一応大貴族様だけど」
「そうだよ、ライカ。そんな畏れ多い……」
「いいのよ、こいつが平民のガキだった時から知ってるけど、そんな大した奴じゃないって」
「そんなこと言ったらライカだって議員だったり妻だったりする前を俺は知ってるんだからな。なあ、旦那さん、こいつ初対面の時、俺を殺そうとしてきてさ」
「殺そうとしたことなんてないわよ」
と、旧知の仲であるヴァンとライカ、そしてその夫のディーコンの話が弾んでいる。
ゴーレムはもう引っ込んでおり、エジソンは席に着かず立って控えている。そういうわけで、
「……」
「……」
自然、向かいに座っており誰とも喋っていないアオと目が合う。いや、正確にはおそらく目が合っている。仮面を被っているから確信はない。
「あのお……」
勇気を出して声をかけてみる。
「何か?」
「いや、ええっと、アオさんって湖底の遺跡の専門家なんですよね? 僕、いまいち詳しくなくて……教えてくれませんか?」
「分かっていることは少ないですよ。むしろ、少ないからこそこの調査に意味があるわけですし。ただ……そうですね、伝説や民話レベルの話ならいくつもあります。例えば、湖の名前がカルコサ湖ですが、そもそもこのカルコサという名前自体、湖底の遺跡から来ているらしいのはご存知ですか?」
「そうなんですか?」
「底に沈んでいる遺跡、その町の名がカルコサだったから、湖にもその名が伝わってカルコサ湖となった。そういう説もあります。あるいはカルコサというのは町の名ではなく、町にいた化け物の名前だとも」
「化け物、ですか?」
「ええ」
いつのまにか、左右の人々も話を止め、アオの話に聞き入っている。
「湖の周囲から出土した遺跡のいくつかに、その存在を示す文言や絵が残っています。粘土板なのでそこまで保存状態はよくなく、断片的なものをつなぎ合わせ、多くを推測で補った形になりますが、かつてその町にいた化け物がどんなものなのか、概要は分かっています。いえ、化け物というより、悪霊ですね」
「ああ、例の」
とクロードが横から口を出す。こいつが知ってるのか? 馬鹿そうなのに。
「この付近の行商人から怪談として聞いたことがある。けどあれは――」
「まあ、そうです。クロード殿。その話と同じものですよ……ともかく、その悪霊は死体にとり憑くのです。それも、恨みを残した死体に。すると、その死体は蘇り、恨みをはらすために動き出す……恨みをはらす、つまり恨んでいた相手を殺すとそれはただの死体に戻り、悪霊はどこかにいく」
「その悪霊が、カルコサという名だと?」
ディーコンは酒のおかげか、悪かった顔色が少しはマシになっている。
「さて、そうではないか、というだけです……そして、先程クロード様が言いかけましたが、確かにこの話は湖底の遺跡の伝説というより、湖の付近の町などで語られる怪談として有名です。そこでは悪霊、というより、湖から這い上がってくる化け物と言われているようですが。だからこの辺りでは、亡くなると遺体の入った棺を縄でぐるぐると縛るという風習があります。蘇って、人を襲わないように」
「ああ、あれ。あれ、そういう意味だったのか。見たことあるぜ」
クロードがぽん、と手を打つ。
「ともかく、それは今では湖の底に沈んでしまった遺跡の話が、周囲に伝わったものではないか、というのが専門の研究者の間では通説です。つまり、オリジナルはやはり、湖底の遺跡の話だと」
「悪霊、ねえ」
ライカが肩をすくめる。
「言い方が悪かったかもしれません。悪霊というより……精霊でしょうか?」
全然違うじゃあないか。僕の不審げな表情に気付いたのか、アオは、
「というのも、最近の研究ではその死体を蘇らせるもの――カルコサ、とここではしておきましょう。そのカルコサの像が祀られていた形跡や、カルコサへ祈りを捧げていた記録などが出てきているからです。単なる化け物というよりも、信仰の対象でもあったらしい、と。ああ、この辺りは、当然パパゲア殿はご存知ですよね」
話を振られたパパゲアは、
「無論ですな。私は湖底の遺跡の調査にこれまでも協力してきましたから」
と太鼓腹を揺らす。
潜水館完成前から調査に協力、というより金を出しておいて、研究者を潜水館運用の際に抱き込めるように先手を打っておいたということだろう。なかなかやり手のようだ。
「カルコサらしきものの像もいくつか手に入れて、この潜水館に飾っておりますよ。多少不気味ではありますが、なかなかいいインテリアです」
「へえ、それも売りの一つになるわね」
と、黙っていたライカが興味を示す。気持ちは分かる。僕だって、多少恐ろしくはあるが見てみたい。
「死体を動かして、生前恨んでいた相手を殺させるものが信仰の対象になっていた。妙な話のようにも聞こえるが、どうなのかな」
ヴァンが首を捻っている。
「……そうでもないでしょう。死人の恨みをはらす。それは見方を変えれば、正義の執行ではないですか?」
ぽつりと、ディーコンが絞り出す。声は陰鬱で、どこか遠くを見ている。横のライカが心配そうにしている。
「正義の執行ね。それはいいわ。素敵。あたしも祈ろっと」
嘲る笑いを浮かべるのはメアリ。
両親であるパパゲアとティアは、そのメアリを明らかに意識的に無視し、発言したにも関わらず目を向けないどころか何の反応もしないでいる。パパゲアは顔をアオに向けたままで、
「その精霊か悪霊かについて、今回の調査で何か詳しいことが分かればいい、と期待している。そういうことですかな、アオ先生?」
「いえいえ。そんな都合のいいことはなかなか。潜水して、水晶ガラスから外の様子を観察できる。それは素晴らしいことですが、一回の潜水で何か大発見というのは難しいでしょう。位置を変えながら何度も潜水を行い、記録と推測を続けて、ようやく何かが分かってくる。そんなものだと思っていますよ」
仮面の奥からくぐもった声でそう答えながら、アオは器用に料理を仮面の端から隙間に吸い込むようにして中に入れている。
「そうだ、さて、そろそろ潜水について説明せねばなりませんな」
料理が粗方片付いた頃、パパゲアがそう言って周囲を見回す。
「原理や方法について詳しく述べるのも興ざめでしょうから、具体的なお話をしますぞ。この潜水館はおよそ半日をかけてゆっくりと潜水します。詳しい話は省きますが、急激に潜水すると危険なため、ゆっくりと潜水するわけですな」
「半日か。普通に考えれば、退屈な時間となりますが、その時間をちょうど就寝時間に充てるということでしょう? さすがはパパゲア様。無駄がない」
クロードがもみ手をする。
「はっはっは、クロード君に先に言われてしまったなあ。とにかく、皆さんが寝ている間にこの館は潜水します。起きた時には湖底といった段取りです」
「起きて、潜水していく様子を見てはいけないのかしら?」
「それは――」
ライカの質問に、パパゲアは一瞬言い淀む。その言葉を引き取るように、ずっと黙って控えていたエジソンが、
「それは構いませんが、どちらにせよ見えるのは最初だけとなります。少し潜れば、月明かりや星明りが届かなくなる。水晶ガラスの外は暗黒です。計算では、真昼だとしても湖底では多少薄暗く見えづらい可能性があるくらいですので」
「そうそう、そういうことですよ、ライカ殿」
ははは、とパパゲアが笑うと、横のティアも笑う。夫婦二人で意味もなく笑っているようにも見える。そして、メアリは明らかに冷笑している。引き裂かれたような笑み。なんとなく、居心地が悪い。
「皆様のお部屋、そしてこの館の施設について書かれた地図をご用意しました。今、我々がいるのがパーティールームになります。ご査収ください」
妙な雰囲気をものともせず、エジソンが館の見取り図を配り出す。
結局、それが合図のようになり、なし崩し的に会食は終了となる。
まだテーブルに残る者、早々に部屋に引き上げる者と別れるが、僕としては迷う。取材するなら湖底に着いてからの方がいいだろうし、かと言って上流階級の人々に混じって会話する気にもなれず、それなのにヴァンが黙ってテーブルに残っているのに付いてきた自分が先に部屋に戻るのも気が引ける。
「あ、エジソンさん、手伝いますよ」
結局、役立たずのゴーレムを放っておいてさっきから食器をキッチンへ運ぶため何往復もしているエジソンに声をかける。
「いえ、お客様にそんな」
「僕が手持ち無沙汰なんです。ただの記者だし、こういう状況って体を動かしておいた方が落ち着くんですよ」
「お気持ちはありがたいのですが――ええと、こちらを見ていただけますか?」
「え?」
両手に食器を重ねているエジソンに顔で示されたのはキッチンのドアだ。何の事だろうとそのドアからキッチンを覗いてみると、
「うげっ」
キッチンは予想以上に狭い。そこに食器の入った棚と調理器具の入った棚などが無理矢理に並べられ、はっきり言って人間の通れる広さじゃあない。小柄な僕が身を縮めながらでようやく行き来できるかもしれない、くらいだ。実際には棚にぶつかって食器や調理器具を落とす恐れがあるので、とてもじゃあないが通る気にはなれない。
「設計ミスですな。というよりも、まあ」
キッチンへのドアの前でエジソンはちらりとまだテーブルに着いている面々を見て、おそらくはそこにパパゲアがいないことを確認してから、
「旦那様が、少しでもパーティールームを広くしたいと強固に主張されまして。結果として、キッチンがここまで狭くなったわけです」
そう言いながら、信じられないことに両手に食器を載せたままで、エジソンは狭いすき間をすり抜けるようにしてキッチンの奥にある洗い場まで進んでいく。棚や食器類にもまるきり接触せず。
凄い。主人の我儘を己の技量で叶えるなんて、まさしく執事の鑑だ。
尊敬のこもった目で見ていると、洗い場に食器を置いてまた戻ってきたエジソンがにやりとして、
「鍛錬のたまものです」