潜水館2
遅くなりました。
パーティー、とは言っても会場はそこまで広くない。参加者は少ないので、相対的には広くはあるが。
潜水館の中央にあるパーティールームに、ヴァンと僕は通される。
「招待状は……確かに。失礼いたしました。ヴァン・ホームズ様ですな。こちらになります」
と、入り口で執事らしき老人に案内された。ただその時、僕の方をちらりと見て、
「ええと、こちらは、奥方様で……?」
「違います。知り合いです」
とヴァンが強引に押し通したのが少し気になるが。
ともかく、そうしてパーティールームに入ると、意外にも自分たち以外にも、正装している人間は少ない。というより、ほとんどは平服だ。
「ヴァンさん、皆、正装じゃないですよね……?」
「ああ。だってパパゲア自身、かっちりとはしているが正装じゃないだろ」
「え、ええ」
「そういうことだ。こういう小規模なパーティー、しかも主催者が貴族じゃないなら、互いに気楽な恰好で楽しむってことも在り得る。特に最近はな。逆に正装ではないと問題があったら、ちゃんと招待状に書くはずだ」
「なのに、どうして僕に正装準備してるかどうか訊いたんですか?」
「いや、準備してたらココアの正装姿見れるだろ」
「はあ……え? ぼ、僕の正装姿を見たかったって、そういうことですか? 違いますよね。まさか――」
「そうだ。見たかったんだよ」
「ええっ!?」
「だってそれ見ればさすがに男か女か分かるじゃん」
ぶっ殺すぞ。
「あのですねえ、別にそんなまだるっこしいことしなくても訊けば答えますよ。僕は――」
喋りながらパーティー会場に進んでいた僕たちはそこで異形を目にしてぎょっと固まる。
「うっ、あ、あれって」
「……ああ。俺も初めて見る」
珍しく、ヴァンは目を見開き声もうわずっている。
「ゴーレムだ」
人間の二倍ほどある人型の岩石。それが、パーティー会場を歩いている。並んでいるテーブルや椅子にぶつからないように器用に動き、その両手にはトレイが載っている。トレイの上には酒の入ったグラス。
ゴーレム。魔術による自律人形。構想自体は大昔からあったが、技術は最近一気に発展したものだ。だが、あまりにも高価なため、まだまだ一般には夢物語に過ぎず、その道の魔術師が研究室の中で弄っているもの、というのがゴーレムの一般的な認識だ。記者をやっている自分ですら、直接目にしたのはこれが初めてだ。
「ゴーレムを使用人にしてるのか。なるほど、これはますます、見栄っ張りで新しい物好きの金持ち連中をターゲットにしてるのが確実になってきたな」
「いやあ、これ……湖底の遺跡のことを全く書かなくても、この潜水館のホテルとしての側面だけでも記事が一つ二つできそうですね、凄いな」
「全く。ここまで大金かけるとは、あやかりたいもんですなあ」
軽薄な声。そちらを向くと、長めの髪を左側に垂らした、気障ったらしい髪型の男がグラス片手にこちらに話しかけてきている。パパゲアの挨拶の時に、帽子を被っていた男だ。年のころは三十後半か。高級そうな服をあえて崩して着ているところや、強い香水の匂い、整っているがしまりのない顔など、見ただけで無条件に反感を持ちそうな容姿をしている。
「ああっと、ヴァン・ホームズ様ですね。こちらは奥様ですか? いやはや、お若い」
「妻じゃあない。知り合いだよ。別にやましいこともない」
ヴァンは肩をすくめて、
「クロードさんだよな。去年のうちの会食に来てもらった」
「ヴァン様に覚えていただいているとは光栄の極み。改めて、クロードです。商人をやっております」
芝居じみた会釈をするクロード、その名前は聞き覚えがある。確か、シャーク国で売り出し中の商人だ。かなり強引な手法で稼いでいるので評判はあまりよくなかったはず。
「それにしても、ヴァン様はこういう催しにはあまり興味がないとばかり思っておりましたが?」
「まあ、ちょっとした縁があってな」
「それで、こちらは?」
「ああ、こいつは――」
「僕はココアです。記者をしています」
「へえ、これはこれは興味深い職業だ……よろしければ、記者というのがどんな職業なのかじっくりお話をきかせてもらっても――」
喋りながら僕のつま先から頭までをじろじろと見ていたクロードだが、だんだん語尾が弱くなる。
「――ああっと、そうだ、忘れていた。まだ野暮用がありました。いったん、失礼いたします」
そそくさと引き上げていく。
「……なんだったんですか、あれ?」
あの反応はなんだ?
「おそらくだが、粉をかけようとして途中でココアの性別に迷ったんだろう」
「嘘でしょ?」
「にしてもクロードか。なかなか面白いところを選ぶな、パパゲアも」
「え?」
「奴が抱き込みたいメンツがこの招待客だ。貴族代表が俺。商人代表がクロード……奴自身がシャーク国で背景がないこともあって、格式や伝統といった堅苦しい話なしで組める奴を選んでるんだろ」
「はあー……なるほど」
感心と呆れを半々でクロードを目で追うと、パパゲアに挨拶をしているところだ。機嫌よくパパゲアはクロードの肩をばんばんと叩いている。あの親しげな様子からして以前からの知り合いのようだ。ティアはパパゲアの横で如才なく微笑んでおり、メアリはそっぽを向いている。
「シャーク国の貴族と商人、あとは議員と学術関係ということか」
横でそう言うヴァンは、残る招待客を見てそう言っているようだ。こちらも挨拶の時に見た、恋人同士か夫婦らしき二人組と、仮面の――おそらくは男。それにしてもあの仮面は外で見物客から顔を指さされないためかとおもいきや、未だに被っている。
視線に気づいたのか、真っ白い、何の装飾もないのっぺりとした仮面を被った人物が近づいてくる。青と白のひらひらとした衣装のため、近づいてきてもいまいち体形が分からず、男か女か判別がつかない。髪型も中性的だ。
「やあ、貴族」
話しかけてきたその声で、ようやく性別が分かる。くぐもってはいるからはっきりとは聞き取れないが、男だ。
「そんな風に話しかけてこられたのは初めてだ。実際、貴族って枠で選ばれたんだから間違ってはないだろうけど。そっちはどんな枠で招待された?」
異様な男を相手に、ヴァンは平然と、むしろ気だるげに返す。
「研究者枠です。底の遺跡研究という名目なんだから、研究者を呼ばないわけにはいかないでしょう」
白い手袋に包まれた手を、仮面の男がヴァンに差し出してくる。
「アオという。学院の歴史学科の研究員です」
「ヴァン・ホームズ」
ヴァンはその手袋をした手をためらいなく握る。
ヴァンとの握手が終わると、仮面の男はこちらを向き、同じように手を差し出してくる。
「ココア。記者です」
手を握ると、つるつるとした感触の手袋だと分かる。なかなかの高級素材なのかもしれない。
「ところであんた、専門は? 歴史って言っても、色々あるだろ」
横からヴァンが訊く。
「私は古代シャーク史が専門。もっと言えば、カルコサ湖遺跡が専門。だから呼ばれたんです」
「じゃあ、その仮面もそれ由来か?」
「これはただの趣味です」
「えぇ……?」
そんな話をしていると、今度は二人組も近寄って来る。ローブで顔を隠していた男女の二人組だ。さすがにパーティールームではローブを頭に被っていないからどちらも顔立ちがはっきりと分かる。さすがに自分やヴァンよりは年上だが、どちらも思ったよりも若い。落ち着いた服装から、もっと年齢が上の二人かと思っていたが。なかなかの美男美女だ。女性の方は耳が尖っており肌が褐色と、ダークエルフの特徴が色濃く出ている。男の方はそれなりの体格をした美丈夫だが、妙に覇気がなく、顔色が悪い。
「うっ」
妙なことに、ヴァンが突如として呻く。
「ああ、覚えてたの?」
二人組の女の方が少しだけ目を見開く。
「え?」
意味が分からず狼狽えるのは、僕とアオだ。仮面を被っている謎めいた人物が狼狽えているのも奇妙ではあるが。
「うちの妻が以前、お世話になったそうで」
顔色の悪い男の方がそう言って頭を下げてくる。ということは二人は夫婦か。
「……妙なとこで再会するなあ。まあ、ほとぼりも冷めた。別に問題ないか……結婚おめでとう」
「おたがいにね。あの同級生と結婚したんでしょ? キリオだっけ?」
「思い出話はよしとこう。余計なぼろが出ても困るだろ」
「そう、ね……」
「あのお」
さすがに我慢できずに口を開く。
「ああ、悪い悪い。古い顔見知りだ。俺がまだ学生だった頃に、ちょっとな。今は――」
「今はシャーク国で議員をやってる。ライカ。よろしくね。で、こっちが夫の――」
「ディーコンです。俺も議員です」
「はっ、議員夫妻か。これに呼ばれるってことはそれなりに力もあるわけだ。護衛役からえらい出世したもんだね」
「お前にだけは言われたくないけど」
ライカと名乗った女性議員とヴァンは互いに軽口を叩き合っている。
それにしても、議員夫妻。なるほど、貴族代表、商人代表、そして研究者代表に議員代表というわけだ。見事に、パパゲアの思惑が透けて見える。確かにヴァンの言う通り、ここで恩を売っておいてこの潜水館で商売をするのに文句が出ないようにしたいのだろう。
アオもディーコン、ライカ夫妻と挨拶をかわすが、気付けばふらりと消えてしまう。
「にしても、パーティーなのに飯が出ないな」
ヴァンが貴族にあるまじき下品な言い方で不満を口にする。とはいえ、確かにゴーレムが運んでいる酒だけだ。
「もうじき出てくるわよ。さっきまで、料理人が入り口で案内役してたから」
「えっ、ああ、あの執事さんが料理もされてるんですか?」
「そうそう……ええっと、あなたは?」
「あ、すいません、ココアです。記者です。ヴァンさん付きの」
「記者……そう。まあ、とにかく、モネ家の執事のエジソンって男がこの潜水館の料理や掃除、もろもろをするそうよ。ヴァンたちで招待客は全員なんだから、今頃……ってほら」
ライカが指さす方を見ると、パーティールームの奥から、両手に料理の載ったトレイを載せたさっきの執事――ライカいわく、エジソンという名前らしいが――が、出てきて、手際よくテーブルに料理を並べていく。
「ようやく食事できる」
言うが早いか、ヴァンはひょいひょいとテーブルに近づくと、エジソンに自分の席を聞くとさっさと座る。まだ食事を並べている最中だというのに、はしたない。貴族とは思えない。と思いながらも僕も結局座る。
「やっぱりこういうのって人間がやらなきゃだめなのかな。せっかくゴーレムいるのに」
ヴァンが誰に言ったつもりでもないように呟くと、
「不器用ですからな」
と食事の用意を手早く整えながら、エジソンが答える。
「ああ、やっぱりそこのあたりは、特に改善されているわけではないんですね」
記者として、ゴーレムの弱点については知っている。といっても少し前に先輩の書いた記事を読んだからだが、どうやらそこからあまり進歩はしていないらしい。
「使いどころがないわけではないですが、正直なところ、目玉が飛び出るような値段には釣り合っていないでしょう。働きだけではね。ただ、物珍しさからもありますので、客寄せとして使うことはできるでしょう」
穏やかな口調で喋りながらも、エジソンの食事を用意する速度は一向に鈍らない。
「エジソンさん、ですっけ。ゴーレムって命令されたことを延々と続けるんでしょ?」
横のヴァンが興味津々の様子で会話に入ってくる。どうやらゴーレムのことが結構気になっているらしい。子どもっぽいところもある。
「ええ、そうです。今は、トレイを持ったままぶつからずにパーティールームを歩き回ること、そしてトレイが空になったらキッチンに戻ること、を命令しているということです。キッチンでゴーレムが呆然と立ち尽くしていたら、私がそのトレイに酒を置いてやるわけですな」
「キッチンで酒を自分で補充するようには命令できないんですか?」
「不器用ですから」
少し前と同じ言葉を繰り返し、エジソンは奥のドアに引っ込む。また料理か食器を持ってくるようだ。向こうがキッチンなのだろう。
それにしても、ゴーレムってそんなことすらできないのか。思った以上に融通が利かないようだ。
だが一方でヴァンは感心したように頷き、歩き回っているゴーレムを目で追っている。
「そんなにゴーレム気になります?」
「そりゃあ、男のロマンだよ、ロボット――いや、あの、ゴーレム的なものは」
「はあ……そんなものですかねえ」
僕にはよく分からない。
「そういや、ゴーレムって話もできたはずだよな?」
「ええ、そうですよ。けど僕の知る限り――」
「向こうは『はい』か『いいえ』でしか答えられませんし、また会話自体も不器用ですよ」
料理を持ったエジソンが戻ってきてテーブルで食事の準備を再開する。
「会話が不器用ってどういうこと?」
きょとんとしているヴァン。僕も同感だ。
「例えば――おい」
ちょうど、横を歩いていたゴーレムにエジソンが声をかけると、ゴーレムは足を止める。
「もうお客様は揃っているか?」
「いいえ」
思ったよりも高い声で、ゴーレムが即座に返事をする。だが、その返事の内容は妙だ。もう、全員揃っているはずなのに。だからエジソンがここで食事の準備をしているはず。
「……ゴーレム。今日のパーティーに出席する予定のお客様は、既に全員揃っているか?」
「はい」
今度は、ゴーレムは「はい」と返事をした。これは、一体?
不思議がっている僕とヴァンの顔を見てエジソンは苦笑しながら、
「こういうわけです。あらかじめ、予定やお客様の名前などを設定しておかなければそもそもさっきの質問には答えられませんが、しておいてもこうなります。つまり、最初の質問では、『お客様』の中に数日後の予定に入っているお客様や過去に設定しておいたお客様全てが入っているんです。当然、揃っているわけはありません」
「はあー……なるほど、人間だったら文脈で当然、今日この場のお客様のことだって判断できるけど、ゴーレムは判断できないわけか」
がっかりするどころか、面白そうにヴァンは目を輝かせている。顔も緩んでいるし。
「ええ。他にも……ゴーレム、キッチンにはまだ豚と鳥は残っているか?」
「いいえ」
「では――キッチンに、まだ豚肉と鶏肉は残っているか?」
「はい」
今度のは僕にも分かった。普通、キッチンに豚や鳥が残っているか、と訊かれればそれは食材としての豚や鳥だと判断できるが、ゴーレムにはそれができない。だから、最初の質問では生物である豚や鳥がキッチンに残っているか――というより、そこにいるのかと質問されたことになって、いいえと答えたのか。
「超面白い。奥さんに頼んだら買ってくれないかな」
エジソンが不便さを強調しているにも関わらず、ヴァンは前のめりになっていっている。
「ヴァン・ホームズ様。私はあまりお勧めはしません。確かにお伝えしましたからね。後々、奥様から私に文句を言われないようにお願いします」
エジソンは片眼をつむって見せる。完璧な執事然とした外見とは異なり、なかなか茶目っ気のある人のようだ。ただ有能らしく、そんな話をしながらもいつの間にかテーブルの上に料理の準備は完璧になっている。