潜水館1
詰めかけている報道陣や見物客、彼らと押し合いながらもスケッチ、メモ、とにかくメモ帳を埋める。本当ならこの後の話をメモするために残しておかなければならないのだが、そんなことをしている余裕がないくらいに目を奪われている。
実際に目にした潜水館は、その全てが規格外だった。
黒い金属が寄せ集まって歪な球になったようなシルエット、小城ひとつ分くらいはあるその巨大な球が、湖に浮いている。一部にガラスが貼られていて、それが日光を反射してきらきらと輝いている。あのガラスが水晶ガラスと呼ばれる、素晴らしい透明度と素晴らしい強度、そしてそれを上回る値段の代物だと事前に情報が入っている。
カルコサ湖の傍に位置する町、クレイ。それなりに発展した町ではあるが、ここまで多くの人が訪れたことはこれまでないだろう。それくらいに人が集まっている。もちろん、潜水館が目当てだ。
潜水館の浮かんでいる傍の湖畔がちょうど広場となり、商売魂めざましい者たちがそこにぎゅうぎゅうに詰めている人間をターゲットに屋台を開き、軽食や飲料を売っている。もう、一種の祭りだ。
「おい、おい、ココア」
あまりにも騒がしいのでなかなか声が聞こえない。だが、やがてヴァンが叫んでいる声が聞こえる。そちらを向くと、人と人に挟まれ潰されて息絶えそうなヴァンがこちらに手招きをしている。
「あ、何ですか?」
こちらも叫ぶような声で返事をしなければいけない。
「そろそろ、パパゲアの挨拶が始まる。行こう。招待されてるから、すいてる席でありがたい挨拶を聞けるぞ」
「でも、もうちょっとここの様子を取材してから――」
「招待状は一通なんだから俺とお前は一緒じゃなきゃだめなんだ。頼むから俺をここから解放してくれ。死ぬ」
本当に死にそうな顔色をしていることもあって、仕方なくその懇願に従う。
縄で区切られた招待客用のスペースにはいると、一気に楽になる。
周囲には、同様に招待客らしき者たちが数人いる。互いに距離を取っているし、何らかの方法で顔を隠している。今の時点では目立ちたくないのだろう。仮面を被っている性別不明の人物が一人、帽子を目深に被っている男が一人、そしてローブで顔を隠した二人組――恋人同士か夫婦だろうか、それが一組。そして僕たちだ。
周囲の見物客の目もある中で、嗅ぎまわるのもさすがに気が引ける。僕はとりあえず、パパゲアの挨拶を待つことにする。メモの準備は万全だ。
潜水館をバックに周囲より一段高くつくられた木製の舞台、その壇上にゆっくりと太った中年の男がのぼる。
あれがパパゲアだ。パパゲア・モネ。薄くなった頭髪にたるんだ顔、だが年齢を感じさせるそれらとは裏腹に眼差しや表情はどこか幼い。金を持った悪戯好きの子どもがそのまま大きくなった男。そう揶揄されているのが一目見ただけで納得できる。
「あーあー、皆さん、皆さん……皆さん!」
パパゲアが声を張り上げる。ざわついていた見物客たちが徐々に静かになり、注目がパパゲアに集まる。
そうすると、パパゲアは満足そうに頷き、
「ようこそ、我が潜水館の発表に集まっていただきました。私の後ろに見えるこれが、潜水館です。私の今まで積み上げてきた技術の粋、多額の資金、そして何よりも私の家族の協力があってできあがった最高傑作です。まずは、私は家族に礼を言いたい。ありがとう、と」
その言葉と共にパパゲアはいつの間にか彼の後ろに立っていた二人の人物を手で示す。妙齢の婦人と少女。パパゲアの妻と娘だ。
まばらな拍手が起こる。僕も拍手をしながらその二人を観察する。
妙齢の婦人の方は、如才なく微笑み、手を振って拍手に応えている。あれがティア。ティア・モネだ。パパゲアの妻。パパゲアに比べれば二十近く若い。先妻と死別したパパゲアに嫁いだ後妻で、没落貴族の令嬢だったはず。艶めいたブラウンの髪と肉感的な体つき、男好きしそうな妖艶な美貌だし、服装もどこか若作りしている感がある。愛人でもいるんじゃあないかと邪推してしまう。
対照的に不愛想で、見物客を睨み殺すような目つきで眺めている少女は、パパゲアと前妻の娘、メアリ・モネ。刺繍入りの黒いワンピースは高級品と一目で分かるし顔立ちも整っており気品を感じさせるが、ぼさぼさで伸ばしっぱなしの黒髪と例の表情、そしてがりがりに痩せた体形がそれらを台無しにしていて、とても令嬢とは思えない。
「ありがとう、ありがとう……さて、私がつくりあげた潜水館ですが、見た目はこのようになっていますが中身は十分に居住できるものになっています。一流のホテル並みと考えてもらってもいいでしょう。まさに、潜水する、館なのです。何の不自由もなく、ただただ普通に生活していきながら潜水することができる……これがこの潜水館の一つ目の利点であります」
拍手に応え、満面の笑みを浮かべながらパパゲアは続ける。
「さらに、この潜水館はこれまでの潜水士の魔術を使っての潜水よりも遥かに深く、長時間、何よりも安全に潜水することが可能です。そして、潜水館の居住スペースの多くは水晶ガラス張りになっています。つまり、潜水した後、外の光景を内部から安全に、正確に、長時間観察できるということであります。これは深海探索の学術的進歩を劇的に加速させることが期待できます」
胸を張るパパゲア。
「しかし何よりも、今現在、潜水してその謎を確かめたいものとしては、このカルコサ湖でしょう。皆さんご存知のように、このカルコサ湖の底には古代文明の遺跡があります。そう、この潜水館によって、カルコサ湖の古代文明の謎を解く。それこそが、私の大いなる目標であります」
さっきに比べてはるかに熱狂的な拍手。パパゲアは満足げにその拍手がおさまるまで黙って待ってから、
「既に何度か試運転をして、この潜水館が問題なく潜水できることは分かっています。ですが、私だけがそう言っていても仕方がない。そこで、今回、初めて、我々以外の、広く信頼を集めておられる方々を招待し、潜水館に宿泊していただくことになりました。これは、外部の方を招いての、初めての潜水となります。これが成功した暁には、ついに、我々は安全に海底や湖底を調査する手段を手に入れたことになるのです」
挨拶が終わり、盛大な拍手。
僕も拍手をしながらふと横を見れば、その拍手の中で、ヴァンは冷めた表情で壇上のパパゲアを眺めている。
「ヴァンさん、何か、しらけてますね」
「え? ああ、別にそんなこともないけど……あまりスピーチがうまくないな、と思ってね」
「そうですか?」
「ああ、もうちょっと言い方もあるだろうに。世間から信頼を集めている人間を招待する、とはな。鋭い奴ならすぐに裏の意味に気付く」
「え?」
意味が分からない。裏の意味?
「……お前みたいな奴ばかりなら、そう心配はいらないのかもな。とにかく、あいつ、パパゲア――というより、進言したのは家族や部下連中だろうが、その目的はこの潜水館で金を稼ぐことだ。大金をつぎ込んだんだからな。パパゲアの家の連中がそれをどうやって回収するか頭を悩ませたのは間違いない。だろ?」
「そりゃあ、そうですね」
「で、どうやってあの潜水館で金を稼ぐ?」
壇上から降りていくパパゲアを眺めながらヴァンが問題を出してくる。
「えっ、そりゃあ、えっと、お金をとって、泊まらせる、ですか? ホテルみたいに」
「分かってるじゃないか。そうだ。海の底を眺めることができるホテル。大金持ちの商人や貴族連中は大金を叩いてでも、泊まろうとするだろう。見栄もあるだろうし。そうするには、何が問題かというと――」
「そっか。危険だからといってホテルのように運営することに許可を出されなかったり、あるいは学術目的に限って運用しろみたいに言われちゃったらおしまいですもんね」
「そういうこと。だから、ここで影響力のある奴らを最初の客として招待することで、そいつらにそこらへんをうまくやってくれ、と恩を売るわけだ」
「はあー……貴族とかってそういう裏のことを考えながら生きてるわけですか」
「不幸なことにな。俺はもう慣れたよ。で、特にモネ家は元々はペース国の金持ちだ。稀少な資源の埋まった土地を所有していたから何もせずとも大金持ちになった家柄だ。シャーク国に来たのも節税か何かのためだって噂されてる。今、ゲラルト議長が貴族偏重主義を大変革の最中で、色々と緩い。だからじゃあないかってな。話がずれたが、とにかくパパゲアはそういうわけでシャーク国にはそこまで人脈がない。こういう方法で貴族やら実力者やらとつながりをつくっておきたいんだろ」
「そのうちの一人が、ヴァンさんってことですね。さすが大貴族ホームズ家」
「茶化すな。さて、正装は準備してきたか?」
「は?」
「挨拶が終わった。そろそろ俺たち招待客は館の中へ案内、で、パーティーだ」
「パーティー?」
「あるだろ、そりゃ」
確かに、ありそうだ。
自分の恰好を改めて見直す。記者として機動性を優先した、ハーフパンツにシャツ。これでパーティーは、まずい。まずすぎる。
「そのお、ヴァンさんは?」
「俺? 俺はこの恰好のままで行く」
「真っ黒いローブで?」
「もちろん。これが俺の正装だ。そう言って押し通す」
「……じゃあ、僕もそれでいきます。これが記者としての僕の正装だってことで」
どうせ、責任は全部ヴァンが負うだろうし、彼自身が同じことをしているんだから文句を言われる筋合いはない。開き直る。
「別にいいけど、中で記者だとアピールし過ぎない方がいいかもな」
「え、どうしてです? 向こうは潜水館、宣伝したいはずじゃないですか」
僕の問いかけにヴァンは答えず、黙って顎をさするだけだ。