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聖女の顔、そして

 午後一時二十分。

 部屋に備え付けの時計がその時間を指した時、ドアがノックされる。


「迎えだ」


 ドアの向こうから、ジンの不機嫌そうな声がする。


 俺は鍵をはずしてドアを開ける。


 苦虫を噛み潰したような顔をしたジンと、


「おっす」


 軽い感じで手を上げるライカがいる。


「行くぞ」


 短く言うジンは明らかに不機嫌だ。

 直前のレオとの間で何かあったんだろうと容易に想像できる。昼食中も険悪だったし。


 何となく微妙な雰囲気のまま、俺達三人は無言で一階に降りて、そのまま式場を出る。


「うおっ」


 外の空気の冷たさにたじろぎ、少しだけ声を出してしまう。


 朝と変わらない晴天。日が昇っているので、さすがに朝と比べれば寒さは大分マシにはなっている。


 そして、俺達三人は聖堂へ向かう。


 近づくにつれ、その聖堂と呼ばれている建造物の異様さが分かる。

 それは式場の縮小版とでもいうべきものだ。いや、正確にはその高さだけが縮小されず、二階建ての式場と同程度だ。だから、背の低い塔のようにも見える。

 頑丈そうな、ぶ厚い石材を組んで作られているような外観で、なるほど爆薬でもないと壁に穴が開かないというのが納得させられる。

 そして、巨大な扉。俺の部屋のドア三つ分はあろうかという巨大な、金属製の扉がついている。


「これが特注で作らせて、一週間前に設置されたっていうミスリル製の扉。凄いもんでしょ」


 ライカが親切にも解説してくれる。


「余計なお喋りをするな」


 まだ不機嫌そうなジンはそう言うと、懐から鍵を取り出す。


 ライカも肩をすくめてから、同じように鍵を取り出す。


 よく見れば、なるほど扉には鍵穴が二つある。


「これ、同時に回さないと開かないようになってるの。便利でしょ」


 何故か自慢げにライカが説明する。自分が作ったわけでもないのに。

 けど、確かに凄いギミックだ。同時に、レオの言ったように王城側と教会側が互いを信用していない証拠のようで、少しぞっとする。


 ジンとライカの手で鍵が開き、重々しい音と同時に巨大な金属扉が外開きにゆっくりと開いていく。


「いいか、下らん真似をするなよ。お前はただ伏して、お言葉をいただき、礼を言って帰って来い」


 ジンの小言はもうほとんど耳に入らない。

 扉の奥は闇だ。この闇の奥にヴィクティー姫がいる。

 俺は唾を飲み込む。手足が震えているのを自覚して、驚く。喉も気づけばからからだ。

 緊張してる? ああ、してるな、おそらく。

 はっきり言って、前の世界の記憶のある、ある意味で余所者である俺が、ヴィクティー姫に表彰されるのにこんなに緊張するとは思ってもみなかった。


「おい、ぐずぐずするな」


「そんな緊張することないんじゃない? ぱぱっといってきてよ」


 ジンとライカの言葉を背中に、俺は震える足を聖堂内に踏み入れる。


 背後で、扉がゆっくりと閉まって行く。鍵のかかる音がする。

 扉が閉まれば、後は完全な闇。いや。前方に小さく、光がある。


 ゆっくりとその光に近づく。

 蝋燭の光だ。燭台が、そこにある。


 そして更に歩み寄り、燭台の近くに座る少女の姿に気付き、


「っ!」


 慌てて俺はその場に伏せる。石床は冷え切っているが、気にしてる余裕はない。


 ヴィクティー姫だ。

 暗闇の中、柔らかな光に照らされて、ヴィクティー姫がそこにいる。


「顔を」


 静かな聖堂に、微かな、消えいるような声が響く。


「顔をあげてください」


 本当に微かな、囁くような声に応えて、俺はゆっくりと顔をあげる。


 ヴィクティーは薄闇の中、ヴェールを被り、ドレスではなく白い布を何重にも体に巻き付けた格好をしている。傍には、何故か古びた剣が置かれている。


 ああ、そうか。

 俺はすぐに気づく。

 これは、大聖堂地下で見たあの像を模倣しているのか。多分、儀礼的な格好なのだろう。


 そして、ゆっくりとヴィクティー姫は白く細い腕を動かし、自分の頭を覆うヴェールに手をかける。その時気付くが、ヴィクティー姫は手袋をしていない。素肌を晒している。

 ヴェールの顔の部分が捲られ、素顔が晒される。


 俺は、息を飲む。

 これは、生まれ変わりと言われるはずだ。


 その、ヴィクティー姫の素顔は、まさにあの像と瓜二つと言ってよかった。

 中性的な、美しい青年のようにも凛々しい少女にも見える顔。憂いを含みながらも鋭い目。あの像の顔に色を付ければ、こんな風になるだろうか。


 その目が俺を向き、理由もなく、俺は震え上がる。圧倒的な何か、神仏にでも目を向けられた気分だ。


 ヴィクティー姫の目が俺を向いたのはほんのひとときで、すぐに彼女は祈りでもするように暗闇でしかない天井を見上げる。


「あなたが、これからもシャークのために尽力してくれることを祈ります」


 微かな声で、俺を見ることなくヴィクティー姫は言う。


 俺は再び、その場にひれ伏す。


「こ、光栄です。尽力いたします」


 床を見たまま、そう言った俺がゆっくりと顔をあげると、その時には既にヴィクティー姫はヴェールで顔を隠している。


 これは、もう終わりってことか。


 俺は立ち上がると、ヴィクティー姫にもう一度頭を下げて、逃げるように背を向けて歩く。


 走り出したいのを必死に我慢しながら、俺が聖堂の外に出ると、


「あ、おかえり」


「何もよからぬことはしてないだろうな」


 ライカとジンが出迎える。


「うわ、凄い汗」


 気づけば冷や汗で全身を濡らしている俺を見て、ライカが驚く。


 俺は答える余裕もなく、ただ深呼吸をする。


「少し待て、確認してくる」


 ジンはそういって、ライカと一緒に聖堂に入って行く。そして、ほんの数秒で二人は出て来る。


「異常なしね」


「ああ」


 そう言って二人が扉を閉めて鍵がかかるのを、俺は黙って見ながら気持ちを落ち着かせる。


 正直なところ、いわゆる儀式みたいなものを侮っていた感はあった。けど、実際に参加したらあそこまで心を揺さぶられるものか。カルトが問題になるわけだ。


 鍵をかけたジンとライカに伴われ、俺は聖堂を後にする。ふと何気無く振り返り、聖堂の静かな佇まいに、やはり少しぞっとする。

 聖地というか、異境というか、あの小さな聖堂は、中に聖女を迎えたことで、異質な世界に変貌している気がする。


 式場の一階、玄関ホールに戻ったところで、


「お前はさっさと自分の部屋に戻れよ」


 と仏頂面でジンに言われる。

 横でライカがにやにやと笑っている。


「お前はって、誰か自分の部屋に戻らなかった奴が」


 言いかけて気づく。

 俺の前といったら一人しかない。


「レオか」


「あいつ、さっさと自分の部屋に戻れって言ったら、屁理屈こねやがって」


 忌々しそうにジンが吐き捨てる。


「用もないのにウロウロするなとは言われたから、用があるから部屋には戻らないってさ」


 ライカは明らかにおかしがりながら補足説明をする。


「用って?」


「小腹が空いた、だとさ。まだ大広間で片付けをしていたヤシャに何か作ってもらったみたいだ」


 努めて冷静に言おうとしているが、ジンの声はところどころ震えている。


 多分、本当に小腹が空いたというより、ジンをからかおうとしてそんなことを言ったんだろうな。レオに目をつけられるとはこの人も可哀想に。

 本気で同情しながら二階に上がり、ジンのリクエスト通りに俺は自分の部屋のドアを開ける。

 部屋に足を踏み入れながらちらりと見れば、次の順番のボブがジンとライカに呼ばれ、意気揚々と部屋から出て来るところだ。


 目が合うと、あからさまに鼻を鳴らされる。

 それはいいけど、どう見てもボブはさっきまでと格好が違う。いつも以上に金や銀のアクセサリーがじゃらじゃらとついた装飾過多の服装をしている。

 気合入ってるなーと感心半分、呆れ半分でそのボブの姿を見ながら、部屋に入ってドアを閉める。


 時刻を確認すれば、午後一時四十分。

 部屋を出た時から、二十分程度しか経っていないのかと驚く。あの聖堂での出来事で、時間感覚が狂ってしまったらしい。





 午後二時十五分。


 ドアがノックされる。

 もう迎えの馬車が来たのかと思いドアを開けた俺は、意外な顔に驚く。


「キリオ?」


 キリオが、目を泳がせながら、俺の部屋の前に立っている。


「ど、どうも。部屋、入っていい?」


「あ、ああ、いいけど」


 俺がそういうとキリオは転がるようにして俺の部屋に入り、そのまま文字通り部屋の中央で転がる。


「き、緊張した」


 キリオはそう言って大の字になって仰向けになる。


 よく見れば、キリオは顔色が白を通り越して少し土気色になっているし、冷や汗で顔を濡らしている。


 そりゃそうか。比較的呑気な俺ですらあんな状態になったんだ。キリオが平静でいられるわけがない。


「ごめん、ちょっと、この部屋にいさせて。まだ、震えが止まらなくて。一人になりたくないの」


「いいけど、ジンさんとかライカさんに怒られるんじゃないか?」


「あたしで最後だから、あの二人は玄関ホールで引き返して聖堂のヴィクティー姫を迎えに行ったわ。お部屋まで警護するんだと思う」


「なるほど。で、やっぱり緊張したか?」


 答えは分かっていたが敢えて質問すると、


「緊張なんてものじゃないわ。あのオーラ、やっぱり聖女様よね、この世のものとも思えないわ」


 ほう、とキリオは息をつく。


「ほんと、ヴァンがいてくれてよかった。あのまま一人で部屋に戻ってたら、あたしの心臓破裂してたかも」


 少しは落ち着いたのか、キリオは体を起こして、


「ああ、本当に、夢みたい。ありがとう、ヴァン」


「何が?」


 いきなりの礼に戸惑っていると、


「あたしをここまで連れてきてくれたのは、ヴァンみたいなものでしょ」


「え、そうかな? レオの力が大きいし、何よりもキリオ自身の頑張りだろ」


 俺が正直にそう言うと、


「鈍感」


 とデコピンされる。


「いてっ」


 そこで、至近距離で、俺とキリオの目が合う。


 あれ、何だ、この雰囲気?

 ちょっと妙な雰囲気だ。早くキリオから離れるか何か言うべきなのに、体は動かないし言葉も出てこない。


 キリオも無言だ。

 俺とキリオは無言のまま見つめ合う。


 心臓が痛いくらいに鼓動を打っている。顔が熱い。ヴィクティー姫の時とは全く違う種類の緊張だ。


 キリオの鋭い目が、赤く染まっている。ということは、泣きそうなのだろうか?

 少年のようなシャープな顔も紅潮している。睫毛が結構長いな、とか初めて会った時と比べたら髪が伸びたな、とかそんなことを頭の片隅で思う。


「あ……」


 何か言おうと、ようやく俺の口が開きかけた、その時。


 轟音。振動。


「は?」


「え?」


 思わず俺とキリオは目を丸くして、今までとは別の意味で顔を見合わせ、


「おい、どうなってやがる?」


「誰かっ、誰か」


 怒号と叫び、そして部屋の内部に、ドアの隙間から真っ白い煙が侵入するに至って、


「キリオ」


「そうね」


 俺達は部屋を飛び出す。


「なっ!?」


 廊下は、全てが真っ白い煙に覆われて何も見えない。


「ごほっ」


 煙を吸い込んだのか、キリオの咳き込む声が聞こえる。


「おい、大丈夫か、キリオ」


「今の声、ヴァンか? キリオもそこにいるのか」


 マーリンの声。


「おい、どうなってんだ」


 ボブの声も聞こえる。


「こっちだ」


 と、こんな状況でも冷静で自信に満ちたレオの声。


「煙が薄い」


 見れば、確かに煙が薄くなっている方向がある。

 必死で、口元を手で抑えながら、俺はそっちの方向へと這うようにして進む。そっちの方向の煙が薄い理由が分かる。風だ。風が吹いている。

 風? どうして、窓もないこの建物内で風が吹いている?


 やがて、風が煙を流して、辺りの煙が薄れて行く。

 ようやく、俺は周りを見回すことができる。


「は?」


 そして、目の前の光景に俺は唖然とする。


 煙の薄い場所を目指しているうちに、俺は階段手前に辿り着いていた。俺だけでなく、他の皆もそこに集まって立っている。

 そう、皆だ。ほとんど全員が、階段前のスペースに集合していた。

 俺、キリオ、レオ、ボブ、マーリンという士官学校組。ウラエヌス王とアイス王妃。ジンとライカ。アルルとミンツ。ヤシャ。その誰もが混乱している。

 レオとアイスすら、明らかに戸惑ったように視線を泳がせている。


 当然だ、混乱するに決まっている。

 踊り場の、南側の壁。その壁に、巨大な穴が空いている。風の原因はこれだろう。

 突如として起きた爆発。そして壁の大穴。嫌な予感しかしない。

 いや、それよりも不吉なのは、この場にヴィクティー姫がいないことだ。


 皆が混乱している中、ジンとライカの二人はずば抜けて狼狽している。

 ジンはいつもの傲慢さは何処へやら、顔を蒼白にしてさっきから叫んでいるし、ライカも目を見開き、汗を流しながら立ち尽くしている。


 何だ、何が起きた?


 壁に空いた大穴から、外の景色が見える。

 あの爆発音を聞きつけてだろう、森から何十人もの騎士が式場に向かって駆けて来るのが見える。


「落ち着け。何が起きた?」


 混沌とした状況を一声で静めたのは、王妃であるアイスだ。

 人間的温かみのまるでないその声が、俺達を強制的に冷静にさせる。


「はっ、あ」


 ジンが何か言おうとして、青白い顔で口をパカパカとさせる。


「報告、します」


 代わりに口を開いたのはライカだが、平生の軽い調子は消え失せ、ただ血の気の失せた顔で、ぼそぼそと喋る。


「あたしとジンは、先程表彰の儀が全て終了したため、ヴィクティー姫を聖堂からお部屋にお連れしようとして」


 そこで、ライカは絶句する。

 あまりの衝撃のためか、ライカはぜえぜえと喉を鳴らす。


「爆発が、起きました」


 何とか、途切れ途切れながらライカが報告を再開する。


「我々が二階に上がったタイミングで、です。爆発と同時に煙で視界が極めて悪くなり、そして」


 ライカの声が震え出す。


 そしてその震えは、俺達全員に伝播する。この先の報告の内容が予想がつくからこそ、その信じられない報告に、俺達はかたかたと震え出している。


 報告を受けているアイスも例外ではない。笑わない女と、シャークの女傑と呼ばれた彼女の顔は真っ白になり、唇が震えている。


「そして、現在、ヴィクティー姫がこの場にいません」


 絞り出すようにして、ライカがその恐るべき事実を報告する。

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