表彰式、準備
式場に入ると、内部は意外にも外観から想像するような殺風景なものではない。
壁についている金細工の燭台がやわらかに照らしているし、床には細かい円形文様の入った赤い絨毯が敷き詰められている。
まあ、実際に内部も牢獄みたいなわけがないか。卒業式や表彰式のたびに、有力な貴族が入るような建物なんだから。
「ようこそいらっしゃいました。マーリン様、レオ・バアル様、ボブ・メージン様、キリオ・ラーフラ様、ヴァン様、でよろしいですね?」
玄関ホールを入った俺達を待っていたのは、一人の妙齢の女性だ。
他種族の特徴のない、人間そのものの女性。二十代後半から四十代前半まで、何歳のようにも見える。灰色の長髪をオールバックにし、右耳にだけ金のピアスをしている。
整った顔だが、同時に特徴がない。顔から目を離したらすぐに忘れてしまうような顔をしている。あるいは、それは彼女の技術によるものかもしれない。意識して背景に溶け込もうとしているような印象を受ける。
白いシャツの上に黒いシンプルなベスト、下は黒のスラックスといういでたちのその女性は、にこやかに話しかけてくる。
「ああ、久しぶりだのお、ヤシャ」
それに答えるのはマーリン、そして、
「やあ、ヤシャ」
気安く返事をするレオだ。
「紹介しよう。彼女はヤシャ。一言で言えば、接待屋だ。王族に雇われて、王族が誰かをもてなす際には腕を振るう。わしやレオには顔馴染みじゃな」
「王族のもてなしの場にはよく連れて行かれるからなあ」
多少うんざりしたようにレオがマーリンに同意する。
その二人を、少し不満げにボブは睨んでいる。自分がヤシャと会っていないから、ステータス的に自分が負けているとでも思っているのかもしれない。
キリオはようやく震えが止まっている。まだ顔色は悪いが。
「マーリン様、レオ様にはいつもよくしていただいております」
深く頭を下げてから、
「それでは、皆様、さっそくではございますがこちらをご確認ください。この式場の地図になっております」
俺達に場内図を配る。
「へえ、こうなってるんだ。二階はホテルみたいだ」
俺は思わず口に出す。
一階が大きな広間、多分これが卒業式の行われる式場だろう、になっており、二階はそれぞれの人間に部屋が割り当てられている。
この世界でも地図の方角は同じく、上が北で下が南だ。
「その通りでございます。この式場にご滞在いただく皆様に少しでも快適に過ごしていただけるように、この式場の二階は皆様のお部屋になっております。無論、王族や聖職者の皆様といった主催者側の方々もご滞在いただいております」
なるほど、ヤシャの言う通り、二階の右側には俺達の部屋があるが、左側にはそれ以外、おそらく主催者側の人間の部屋が、そしてその更に奥には王族、そしてヴィクティー姫の部屋があると場内図には記されている。
「当然のことではございますが、必要のない場所へのお立ち寄りはご遠慮ください。もちろん、何かご質問やご要望がある場合に申し付けるためにわたくしの部屋にいらっしゃるのは構いません」
丁寧な口調ではあるが、ヤシャが言いたいのは、用がないなら国の重要人物に近寄るんじゃない、ということだろう。
まあ、そうだろうな。特にキリオは貴族とはいえ弱小で色々とよくない噂があるみたいだし、俺に至ってはただの平民だ。向こうにしてみれば信用できるわけがない。
部屋割りは以下のように整理できる。
まず、右端、つまり東の端にあるのは階段、そして上からレオ、ボブ、俺、そしてマーリンの部屋となっている。レオの向かいにはキリオ。ボブ、俺、マーリンの向かいにも部屋があるらしいが、名前が書いていないということは空き部屋なのだろう。レオとキリオの部屋の前で廊下が突き当りになっている。
そして左側、つまり西側に俺達の部屋から行くには、一度階段の横を通ってぐるりと回らなければいけない。その際は、南側にあるいくつかの部屋の前を通らなければならない。
南側の部屋は、東から順に、ヤシャ、ライカ、ジン、ウラエヌスとある。
ヤシャは分かるし、ウラエヌスも分かる。ウラエヌス三世はシャークの現国王だ。
ライカとジンについては聞いたことがないな。
「この、ライカとジンっていうのは、どなたですか?」
別にやましい気持ちがあるわけでもないので、さっさと質問するに限る。
「ライカ様はシャークの親衛隊に所属されているお人です。ジン様は教会の聖騎士。今回の表彰式においてヴィクティー姫の警護を任されているお二方です」
「ああ、なるほど」
その二人の部屋の前を通らないと俺達は西側に行けないっていうのは、なかなか気が利いているな。あくまで俺達をヴィクティー姫に近寄らせないってことだ。
「ふん、なるほどね」
同じようなセリフを吐いたのはレオだが、その顔は俺とは違い皮肉る笑みに歪んでいる。
「護衛に王城側と教会側から一人ずつか。つくづく、パワーバランスを気にする連中だな」
「さて」
言っている意味が分からない、とでも言いたげにヤシャは首を傾げる。
さて、地図ではその南側の部屋の前を通れば、ようやく西側に到達できる。
西側は西端に部屋が並んでいる。南から、アイス、ミンツ、アルル、そしてヴィクティー姫の部屋だ。
ミンツ大司教と宮廷医師アルル、二人の世話係も一緒か。
アイスというのは現王妃。女傑として有名だ。噂では、今の王はこの王妃の操り人形状態らしいが。
ちなみに廊下はヴィクティー姫の前で突き当り。
ということは、もしも俺達がヴィクティー姫の部屋に忍び込もうと思ったら、俺達以外の全ての部屋の近くを通らなければいけないわけだ。
よくできてるな、警備上は。
「ご質問がないようでしたら、まずは皆様各自のお部屋でおくつろぎくださいませ。十二時から昼食となっておりますので、お時間になったらわたくしがお呼びいたします。昼食は、一階の大広間で行いますのでよろしくお願いいたします」
頭を下げるヤシャ。
「おいおい、大広間で昼食ってことは、ひょっとして、あれかよ?」
ボブが顔を赤くする。珍しく怒りではなく、純粋な興奮で。
「他の、今この式場にいる奴ら、じゃなかった、人も、僕達と一緒に食事を?」
興奮のためか荒くなりつつある口調を、ボブは必死に直す。
「はい、もちろんでございます。ただ、ヴィクティー姫におかれましては、皆様の前で食事をとることはできませんので、ご出席されるだけ、となりますが」
「いやあ、それでも、凄い。凄いぞ、これは」
喜色満面に喜ぶボブとは対照的に、レオはどこか白けた顔だ。
そして、ようやく平静を取り戻しつつあるキリオが、俺にしか聞こえないくらいの声で、ぽつりと呟く。
「本当に、レオの言う通り、同じ人間として誰も見てないんだ。人の前で食事することもできないなんて」
黙っているが、俺も同感だ。
「それでは皆様、二階にお上がりください……ああ、そうでした、その前に、失礼ながら身体チェックをさせていただきます」
そこまでするかよ、と俺はヤシャの言葉に呆れる。
そんなことする意味なんてないだろ、と思っていたら、チェックでキリオの懐からナイフが見つかって驚く。
理由を訊かれて、
「ボブがあまりにもからかってきたらそれで刺してやろうと思って」
と答えたのにはもっと驚いたが。
ボブはいつもの赤い顔を青くしていた。
もちろんそれは冗談で、いつも授業を受けているのと同じ服で来たので、前の授業、遠距離戦闘演習で使用した投げナイフを入れたままにしてしまっていたらしい。
ちなみに投げナイフはキリオが校内でぶっちぎりにうまい。
そんな微笑ましい(ボブ以外には)一幕があったものの、その他には特に危険なものは見つからず、何の問題もなく俺達は二階に上がる。
二階に上がって、俺はまた驚く。
二階からは、燭台や床の絨毯に加えて、壁にシックな模様の白い壁紙が張られており、ますますホテル然とした様子になっている。
「すごいな、本当に、ホテルだ」
呻く俺に、
「俺はもう見飽きたがな」
とレオは言ってずんずんと進み、
「では、昼食で会おう」
とさっさと自分の部屋に引っ込んでしまう。
「平民と同じ空気を吸っていて気分が悪くなった」
といやらしい目でこちらを見ながら、ボブも自分の部屋へ入っていく。
「自分の部屋で大人しくしておいた方がいいぞ。用もないのにうろついていたら、怪しまれることこの上ないからのお」
そうなった場合の責任を自分がとることになるからか、マーリンの声はいつもよりも切実だ。
「頼むぞ、本当に、大人しくしてくれよ」
「いや、それ、俺に言うよりもさっき引っ込んだあの二人に言うべきでしょ」
思わずそう言うと、
「あの二人に言っても無駄じゃろ」
と、教育者としてはあるまじきセリフと共にマーリンも部屋に入る。
廊下に残ったのは、俺とキリオ。
「大丈夫か?」
もう大分、顔色がよくなっているが、念のために訊いておくと、
「うん、大丈夫」
と、キリオは最初に会った時からは想像もできない、柔らかい表情で頷いてから、
「いよいよだね、ヴァン」
嬉しそうに目を潤ませて言う。
「え、な、何が?」
こんな嬉しがること、何かあったっけ?
混乱する俺に、
「ヴァンとレオの論文が、認められる記念日が、今日でしょ」
キリオがそう続ける。
「あ、ああ、そのことか。記念日ね、確かにそう言えるかもな」
俺は頷く。
そして、俺やレオよりもキリオの方が嬉しそうにしていることに、少し照れる。
「きっと、全部うまくいくわよね」
キリオが、ふと不安そうな顔をする。
「ああ、もちろん」
だから、俺は安心させるためにも、大声でそう答える。
「全部、うまくいくよ。レオがついてるんだから」
あの男がついていて、うまくいかないなんて考えられない。
「あいつと友達になった時点で、俺達はラッキーだ。あいつみたいに頼れる奴はいないよ」
「ふふ」
キリオが笑う。
俺は何が面白いのか分からずきょとんとする。
「レオも、ヴァンに対して、きっと同じようなことを思ってると思うよ」
「あいつが? まさか」
俺もつられるようにして笑って、そうして会話が終わる。
少し名残惜しげな顔をした後、
「じゃあ、また、後で」
とキリオは部屋に入る。
一人残された俺も、廊下にずっといても仕方が無いので、部屋に入る。
「へえ」
部屋に入って、俺は本日何度目かの驚きを味わう。
ホテルの個室だ。いや、それよりも上等かもしれない。
金細工の燭台、絨毯、白い壁紙に加えて、黒く光沢のある木製のクローゼット、チェア、そしてテーブル。
これはおそらく、パンゲアの木材としては最も価値があり最も硬い「銀樹」製だろう。初めて見た。確か、銀そのものと同じくらいの価値があるんだったな。
実際の話、窓がないことを除けば、部屋の広さといい調度品といい、一流のホテルだってこんなに上等ではない。
この部屋の造りが、そのまま今この場にいる人々の地位の高さを象徴しているようで、それを感じるとつくづく自分が場違いな気がする。
俺みたいな平民が。いや、そもそも、前の世界の記憶が残っている俺からしてみれば、平民ですらない。意識の上では、俺は日本の片隅にいるミステリマニアの冴えない探偵見習いだ。
それが、今、ここでこうしている。
銀樹製のチェアに腰を下ろし、俺は自分が夢を見ているような気がしてくる。
長い、とてつもない長い夢を見ているような気がする。
目が覚めたら、キリオもレオもこのチェアも部屋も魔術も世界も消えて、俺はやっぱりあの場所で死に掛けているんじゃないだろうか。
そんなことを思う。
「いけないな、弱気になっちゃあ」
俺は独りごちて、首を振る。
確かに不思議だ。転生して、この世界に来て、俺がこんなことになるなんて。
けれど、逆に言えば、それは使命があるからかもしれない。
レオの言葉を思い出す。力を持つものの使命。
俺が持っている力は、前の世界の記憶、ミステリの知識。これをフル活用して、この世界の犯罪捜査を変える。
それが巨大な概念の方向転換で、捜査だけではなく司法もそれ以外の全ても変えていく、なんてレオは考えているみたいだが、そんなことはどうでもいい。
俺は、ただ、自分のできることをするだけだ。
そして、それはここから始まる。
自分に言い聞かせる。
午前十一時三十分。