真夜中の冒険(2)
やはり、意味が分からない。
二人がいなくなった部屋で、俺は悶々とする。
ミステリマニアとして、意味が分からないまま放っておくなんてしてはいけないだろう。
そう思って、俺は寝る前に我慢ができなくなり、部屋を抜け出すとレオの部屋をノックする。
「ああ、どうぞ」
「邪魔する……ってうお、何だこれ」
レオの部屋は、様々な色の液体が入ったグラスで埋め尽くされている。
「ああ、最近、薬の調合に凝っているんだ。中々面白い。まあ、気にせず入ってくれ」
レオは多趣味だ。それも、全てに一気にのめり込んで凄いスピードで極める。
趣味で絵を描き出した時は授業以外数週間部屋から出なかったし、その年のコンクールで入賞した。彫刻を趣味にしていた時には部屋に石の固まりがごろごろと転がっていたし、料理が趣味の時期は、密かに王都で人気のあるレストランで働いていたりもした。
「これ、多分、一口で体が頑強になると思う。飲むか?」
ぼこぼことあわ立つ緋色の液体の入ったグラスをレオが差し出してくる。
「遠慮しとく。自分で飲めば?」
「そこまで自信がないんだ。だから実験台になって欲しかったんだが。まあいい。こっそりボブに飲ませよう」
恐ろしいことをさらりと言って、レオはグラスをテーブルに置く。
「それで、何の用だ?」
「いや、ほら、キリオのさ」
「ああ、あれか。あのやり取りの意味がよく分からなかったのか?」
「ああ」
正直に頷く。
「別に、そんな変なことじゃあない。王やヴィクティーに会うのをあそこまで喜ぶのは典型的貴族的価値観だろ。そんなんじゃあ、想いも伝えられないって揶揄しただけだ。許せ、からかうというより、背中を押すつもりだったんだ」
「いや、許すも何も」
その前に。
「想いって何だ?」
それを聞いた瞬間、レオは目を見開くだけでなく、あんぐりと口まで開ける。この男にすればありえないくらいに無防備な表情。
表彰式のことを食堂で聞いた時も、ここまで驚いた顔はしていなかった。
「き、君、気付いてないのか?」
「え、な、何を?」
「だから、キリオが」
「キリオが?」
「君に惚れてることだよ」
「うん?」
聞こえたが、意味が分からず聞き返す。
「だから、君に惚れているんだ。聞いた話じゃ、初対面の時にボブから君が助けたんだろう? その時からの一目惚れみたいなものじゃないのか?」
「いやいやいや」
俺は首を振る。
キリオが、俺に惚れてる?
そんな素振り、一体どこで?
「あの時は真っ赤な目で殺されるかと思うくらい睨まれたんだぞ」
「泣きそうなのを我慢して虚勢を張りながら、助けてくれたナイトに見惚れてたんだろ」
「その後も、俺の方を睨んだりとか」
「だから気になって君の方をちらちら見ていたんだろう」
「今だって、普通の友達でしかないだろ。態度だってそんな感じだし」
「家、両親、そして貴族であることに縛られて、男装をして心を鎧で覆っていた彼女がここまで柔らかくなったのはどうしてだと思っているんだ。君が傍にいたからだろう」
「い、いや」
確かに、最初とは比べ物にならないくらいにフレンドリーになってはいるが。
「でも、それだったら俺じゃなくて意中の相手はレオかもしれないだろ」
苦し紛れに言うが、
「自分が惚れられているかどうかくらいは判断がつく。君と違ってな」
と斬って捨てられる。
「うう……で、でも本当に?」
前の世界でも恋人はおろか友達も少なかった俺には信じられない。まあ、振り返ってみれば無理も無い。話題がミステリだけの人間だったし。
「本当だ。俺が保証する。が、そのために今キリオは苦しんでいる」
「苦しんでいるって、どうして?」
その言葉は聞き捨てならない。
俺は真剣な顔をして、座りなおす。
「家だ。消えかけている家、そして何も見えていない両親に、彼女は縛られている。平民と良い仲になるのは許されないと考えているんだろう。別に貴族であることをやめれば済むだけの話だが、それが彼女はできない。例え貴族であることを失うのが時間の問題だとしてもな」
「両親、か?」
さっきまでの浮かれた気分は霧散する。
「ああ。両親のために、未だに男装を続けているくらいだ。裏切ることはできないんだろう」
部屋が、しんと静まり返る。
俺は何と言っていいか分からないし、レオも俺の反応を窺うように、黙って俺の顔を見ている。
「何とか、ならないか、レオ? お前に頼むのもおかしな話だけど」
ようやく絞り出た俺の言葉は、そんな他力本願な情けないものだった。
「別に、俺と付き合うとかはどうでもいいけど、キリオが家から解放されるような方法、ないかな」
「結局、本人の意識の問題だろう。キリオ本人が捨てようと思えば、いつでも捨てられる。思わなければ、どうしようもない」
正論を言われて、俺は俯く。
「だが」
と、予想外にレオの言葉が続く。
「意識を変える方法はある。一週間後を待て」
顔を上げた俺は、得意げなレオのウインクを見る。
そして、一週間後の真夜中。
俺はレオに呼び出されていた。
動きやすい格好で、中庭まで来い、とのこと。
別にいつも動きやすい格好なので、俺は特に気にすることもなく中庭に向かう。
「お」
中庭には、既にいつもとは違う目立たない格好をしたレオと、逆にいつもと同じようなぴったりとしたジャケットとパンツ姿のキリオだ。
「キリオは、いつも通りの格好だな」
俺の言葉に、
「あたしはこの格好が一番動きやすいから」
とキリオ。
「あまりみっともない格好を見せたくなかったんだろう」
と笑いを含みつつレオが口を挟み、
「ちょ、馬鹿なこと言わないでよ」
とキリオは慌ててからそれを誤魔化すように、
「で、どういうこと、レオ。これから一体何が始まるわけ? あたし、ヴァンやレオと違って、まだ論文できてないから徹夜するつもりだったんだけど」
とじっとりとした目で横のレオを睨む。
「ふん、マーリンに聞いたが、君の論文も中々のものらしいじゃないか。これまでバラバラに保管されていたカルテを手当たり次第に収集して、その大量のデータを分類しているんだろう?」
「そうよ。だから寝不足なの」
言ったそばからキリオはあくびをする。
「そんな眠気を吹き飛ばすようなものを見せてやろう」
レオは自信満々だ。
「そんな、凄いものを?」
結構楽しみだな。
俺の声が自然と少し弾む。
レオが期待を裏切ったことはない。
「ああ、もちろんだ。ということで、諸君、まずは、この学校を抜け出そう」
「ちょっと、士官学校は、門限過ぎてから敷地内から出るのは厳禁よ」
「そうだ」
当然だとばかりにレオは頷く。
「だから、抜け出すという表現を使っただろう?」
こうして、レオに無理矢理に押し切られるような形で、俺達は真夜中、士官学校を抜け出す。
レオの先導で、夜の王都を進む。
どうやらあえて人通りの少ない道を選んでいるようだ。
「追いはぎとか出てきたらどうするのよ」
キリオは心配するが、
「心配ない。大抵の奴はヴァンが魔術で倒す。ヴァンの魔術は規格外だからな。それでも駄目なら、俺が殴る」
確かに、レオが殴ったらすぐに決着だろうな。
夜の道を進みながら、レオが話を始める。
「一週間前、キリオ、君が言っていただろう?」
「え?」
「ヴィクティー姫が、どうして聖女の生き写しだと言われているのかと」
「ああ、うん、そのことね」
キリオは頷く。
「もちろん、理由がある。簡単な理由が。聖女ファタの姿を残すものがあるんだ」
「え、そりゃ、おかしいだろ」
俺は思わず少し大きな声を出す。
夜の街に響く。
「だって、偶像崇拝は禁止されてるんだろ」
慌てて声量を小さくする。
「そうだ。だが、大抵の貴族なら噂で聞いたことがある。ファタの像が存在する、という話はな。キリオは知らなかったようだが」
「あたしのところは、貴族と言っても、ね」
自嘲の笑みを片頬に浮かべて、キリオは歩く。
「そして、その像は実在する。実際に目にするのは、一握りの有力貴族、王族、そして上位の聖職者だけだがな。年に一度の建国祭は知っているだろう?」
「ああ」
建国祭。
聖女ファタがシャークを創ったとされる日だ。国を挙げての祭りとなる。
「建国祭で、シャーク大聖堂の地下にある特別な部屋に有力者が集まって、次の一年のシャークの繁栄を祈るという行事があるのは?」
「いや、それは知らない」
シャーク大聖堂は王都の中心に位置する、教会の本部、王城と同じくらいの規模の聖堂のことだ。
休みの日に何度か行ったことがあるが、かなり立派な建物で、見ただけで教会の力を実感できる偉容を誇っていた。
「あたしは、何かで聞いたことがあるわ」
キリオは記憶を探るように目を細める。
「その祈りの場が……おっと、ここを右だ」
真っ暗な細い路地の十字路を、レオはすいすいと進みながら右に曲がる。
「その祈りの場が、ファタの像のある場所だ。聖女のお姿を目にできる唯一の場所、ということだ」
レオは多少皮肉げな調子を滲ませる。
「けど、妙じゃないか。偶像崇拝は禁止されてるんだろ? どうして、教会の総本山の大聖堂の地下に、ファタの像がある?」
俺の疑問に、レオは振り返らずに答える。
「簡単な話だ。その像は、人の作った像ではないとされているからだ」
「人の作った、像ではない?」
「そうだ。伝説によれば、ファタは最後に己を国の礎とするために石と化したらしい。大聖堂の地下におわすのは、その石となった聖女ファタだそうだ。俺に言わせれば、馬鹿馬鹿しい話だがな」
「へええええ」
全く知らなかったらしく、キリオは目を丸くして驚いている。
「あれ、ちょっと待てよ、その話の流れからして」
俺は嫌な予感がする。
そこで、レオは足を止める。
「ここだ」
細い細い路地の突き当たり。そこには、見上げたら首が痛くなるくらいに高く聳え立つ壁がある。
「この壁を乗り越えれば、大聖堂の裏手に出る」
どうしてそんなことを知ってるんだよ、と質問したかったが、それよりも先に別の疑問が口をついて出る。
「これ、どうやって乗り越えるんだよ」
壁はほとんど何の取っ掛かりもないつるりとした平坦なもので、暗い中で、高さは優に前の世界で言う二十メートルを越えているように見える。
「ヴァン、お前の魔術の腕なら、限界まで自分の体を強化したら登れないこともないだろう」
軽く言われるが、俺はあまり自信がない。
うまくいったとしても、次の日に全身がぶち壊れるくらいの筋肉痛は確定だ。
「ちょっと、レオとヴァンはいいとして、あたしはどうするのよ」
とキリオが当然の文句を言う。
「問題ない」
と答えて、レオはキリオの襟首を掴むとひょいと持ち上げる。
「きゃっ、ちょっと、な、何するつもり?」
「何、すぐ済む」
レオはキリオを軽く片手で抱えると、そのまま残る片手と両脚でもって、するすると壁を登り始める。
「嘘だろ」
自然と口から言葉が漏れる。
どうやら、壁のわずかな凹凸に手足をかけて、それであの壁を登っているらしい。
軽い少女とはいえ、片手に人を一人抱えたままで、壁を登るか?
魔力で強化しているとはいえ、人間わざじゃあない。どういう膂力だ。オーガの血が反映されているにしても、馬鹿げた身体能力、そして運動神経だ。
見る見るうちにレオは壁の最上部まで登ると、俺を待つことなく乗り越える。
「おいおい」
マジでこのまま置いてかれる。やばい。帰り道だってよく分からないのに。
俺は覚悟を決めて、全身の筋肉を意識してそこに魔力を通すようイメージする。
よし、やってやる。
一応、学校では天才魔術師で通ってるんだ。これくらいできなくてなんだ。
そして、全身をがたがたと震わせ、息が上がった俺が何とか壁の向こう側の地面に降り立ったのは、登り始めてから約一時間後だった。
「遅いぞ」
平然とした顔で先に待っていたレオに文句を言われるが、反論しようにも言葉が出ない。
出るのは荒い息だけだ。
この壁を人を抱えたまま軽々と越えるなんて、レオは人間じゃあない。
俺はそのまま地面に転がる。
俺達は、大聖堂の裏手、大聖堂の壁面と大聖堂の敷地を囲う高い石壁に挟まれた、狭いスペースに辿り着いていた。
「だ、大丈夫?」
心配そうにキリオが屈みこんでくるが、それに答える余裕もない。
「多少ハードなルートなのは認めるが、常に警備の目が光っている大聖堂に忍び込むことができる、俺の見つけた唯一のルートだ」
「ど、どこが、多少だ」
ようやく、俺は声が出せる状態になる。
「さて、大聖堂に来ることが目的じゃあない。それなら昼間に、堂々と正面から入ればいいわけだからな。こっちだ」
まだ寝転がっていたい俺を半ば引きずるようにして立たせ、レオはずんずんと進む。
グレーブロックと言われる灰色の石のブロックを積み上げてできている大聖堂の壁、その一部に近づいていく。
「ここだ」
と、無造作にレオはしゃがみこむと、グレーブロックのひとつに手を置き、
「ふっ」
と力を入れて押す。
そんなことをしてどうなるんだよ。
そう俺が言おうとしたその時、
ごとり、と音を立てて、そのブロックがめり込んだ。
目を丸くする俺とキリオの目の前で、そのままブロックが崩れ、大聖堂の壁に穴が開く。
穴といっても、子どもがしゃがんでようやく通れるくらいの穴だ。
「これでよし」
レオは崩れたブロックを穴の横に整理して置いている。
「後で、元に戻さないといけないからな」
「いや、そういうことじゃなくて、お前、これ」
えらいことしてるんじゃないか?
というより、この穴って、ひょっとしてお前がこの一週間の間に仕込んだのか?
色々訊きたいが、訊いたらえらいことになりそうで俺は途中で黙る。
「多少狭いが、我慢しろ」
そう言うと、レオは体を寝かせてその穴を潜っていく。
明らかにレオの体では通れないように見えたのに、器用に体を捻りながら奥へ奥へと進んでいく。
不安げなキリオと俺は顔を見合わせる。
情けないことだが、同じくらい俺の顔も不安げだろう。
が、仕方ない。
毒喰らわば皿までだ。
俺はキリオに頷きかけると、その穴を潜ってレオについていく。
後ろの方でキリオが穴に潜る音が聞こえる。
壁の穴を抜けても、相変わらず狭い空間だ。
どうやらここは大聖堂の床下らしい。狭い空間を、レオは蛇のようにしながら進んでいく。
必死でついて行く。
途中、見回りの足音や声が聞こえてぎくりとするが、レオはそれを気にした様子もなくずるずると進んでいく。
蛇の通り道のような狭い空間を進み、上がり下がり曲がりまた下がり、そして。
「到着だ」
そのレオの言葉と共に、ようやく旅が終わる。
「うおっ、ここは」
広い空間に出て立ち上がった俺が見たのは、暗い広間だ。
どうやら、今俺が出てきたのはこの広間の空気穴らしい。
「やっと着いた」
と、俺に続いてキリオも出てくる。
暗いから正確な広さは分からないが、相当に広い。寮の食堂と同じくらい、つまり五十人程度がテーブルにつけるくらいの広さはある。
それなのに、灯りはぽつりぽつりと等間隔に置いてある松明だけだ。部屋は薄闇に包まれている。
「ここが例の部屋だ。ここに王族、力を持った貴族、それから聖職者共が集まって国の繁栄を祈るわけだ。あれに向かってな」
レオは部屋の中心を顎で示す。
そこには、何か巨大な物体がある。松明の揺れる弱弱しい光が、その何かを照らしている。
だが、よく見えない。
無意識のうちに、それに向かって近寄る。
キリオも同じように、俺の後ろについてくる。
近づくにつれ、輪郭がはっきりしてくる。像だ。これは、像。ということは、やっぱり。
その像まであと十歩というところで、
「それ以上進むと、王よりも近いことになるぞ」
と、楽しそうなレオの声がして、俺とキリオの足を止める。
「え?」
意味が分からず振り返る。
「建国祭の祈りの時、その像に近寄れる限界がそこだ。王の定位置だよ」
笑いながら、レオが近づいてくる。
「恐れ多いか? 違うよな、ヴァン。君はそんなことを気にしない。キリオ、君はどうだ?」
見れば、キリオは震えている。
この状況の異常さにか、それとも自分のいる場所の恐れ多さにか。
「無理をする必要はない。そこからでも見えるだろう。ほら、聖女の顔を、そしてヴィクティーのものでもある顔を、よく見てみろ」
催眠術にでもかかったように、俺とキリオは揃って、ゆっくりと目をレオからその像へと移す。
そして、目にする。しっかりと目にする。
それは、若い女性を象った石像だ。細身の体だが、背は高く、骨格はしっかりとしている。
顔は、美青年と美少女の中間のような、不思議な顔をしている。獰猛な戦士のようでもあり、穢れない少女のようでもある。右手には剣を持っているから、余計にそんな印象を持ったのかもしれない。
静かな湖面をそのまま身に纏ったような、つるりとした一枚の布を体に巻きつけただけの格好をしている。
髪は結ってあり、その髪の一本一本、そしてうなじまでしっかりと再現されているように見える。
なるほど、凄まじく精緻な石像だ。聖女本人が石化したのだと信じられるのも頷ける。
「どうだ、キリオ」
「……え?」
夢を見ているように、俺と一緒に呆然と石像を見上げていたキリオは、レオの声に我に返る。
「ただの石像だろう? 忍び込んだ不届きな俺達を罰するために動き出すか?」
レオは肩をすくめる。
「貴族の連中が大切にしているものも、教会の連中の信仰とやらも、その程度だ。そこにある石像程度のものだ。実物を見ればくだらない」
だから、とレオは妙に優しげな表情をする。
「自分に素直になれ。そんな石像程度のものより、大事なものがあるだろう?」
「……は?」
と、キリオは目を丸くして、レオの顔を凝視し、石像に目をやり、またレオを見る。
「ひょ、ひょっとして、それを言いたいから、あたし達をここまで連れて来たの?」
「そうだ」
レオは当然とばかりに頷く。
俺も、へなへなと足から崩れる。
「もっと安全で、楽なやり方がいくらでもあるだろ」
壁の乗り越えで死を覚悟した身からすればなおさらだ。
「ん? そうか? 楽しかっただろ?」
平然とそう返すレオを見て、こいつはぶっ飛んでいると改めて思う。
「じょ、冗談じゃないわよ、もう帰りましょ」
キリオがぶるぶると震えながら言う。
多分、怖くなってきたんだろう、顔色も青い。
「そうか? じゃあ、帰ろう」
「ちなみに、レオ、帰り道って、どうやって帰るんだ?」
俺は一縷の望みをかけて質問するが、
「もちろん、来たのと同じ道だ。あの壁も乗り越えるぞ」
そうして、俺達は来た道を戻る。
学校に忍び込んだ頃には、既に日が昇り始めている。
中庭で解散となる。
「お前との付き合いはこれからちょっと考えさせてもらう」
と恨みを込めて俺はレオに言う。
体は既にがたがたで、翌日になれば動けないレベルになるのは目に見えている。
「本当よ、まったく」
とキリオも怒る。が、
「でも、あたしのためもあったんでしょ……ありがと」
と小さな声で付け加える。
「なに、いいとも、それではな」
にやりと笑い、レオは颯爽と中庭から去っていく。
俺も自分の部屋に戻ろうとして、
「じゃあ」
とキリオに背を向けたところで、足の力が抜けてかくりと転びそうになる。
「危ないっ」
と、キリオが俺の体を支える。
「おっ」
何か言おうとして、俺の口が止まる。思考も止まる。
神の悪戯か、聖女ファタの復讐か、俺とキリオは抱き合うような姿勢になっている。
柔らかい。
男と見間違えるような格好をしているとはいえ、触れ合えば間違いなく少女のものである柔らかさと、体温を感じる。
ごめん、と言って離れるのがベストだろうが、俺の体はうまく動かず、慌てていて言葉も出ない。
「このまま」
と、キリオが言う。
「このまま、ヴァンの部屋まで運んであげる。動けないんでしょ」
首筋まで赤く赤く染めて、キリオはそのまま俺の体を抱くようにしたまま部屋まで運んでくれる。
俺はそんなに体重はないが、それでもキリオにとっては重労働のはずだが、無言のまま、赤い顔のままキリオは俺を抱いて運んだ。
「わ、悪い」
部屋の前、ようやく俺はそう言って自分の足で立つ。
本当はもっと前から立つくらいはできたのだが、あまりのことに硬直していたのだ。
「ううん、別に……ほら、レオも言ってたでしょ」
赤い顔を俯かせたまま、キリオは早口になる。
「え?」
「素直になれって、だから、いいチャンスだと思って」
「おい、キリ」
「とっ、とにかく、さよならっ」
俺の呼びかけもきかず、逃げるようにしてキリオは走り去っていく。
しばらくその後姿を呆然と見送っていた俺は、やがて自分の部屋に入り、ベッドに倒れこむ。
色々な意味で、忘れられない日になったな。
そう思って、泥のように眠る。意識を失う瞬間まで、キリオの顔が瞼に浮かぶ。恐れ多いことに、聖女の顔は一度たりとも浮かばない。