真夜中の冒険(1)
卒業式が一ヵ月後にまで迫っても、俺はただただ普通にその日を過ごしている。
「暗殺においても、魔術はそれ単体では大した効果はない」
授業は、魔術と暗殺の関係性についてだ。
マーリンの、ほとんど個人授業だ。受講者は俺とレオのみ。
犯罪捜査のための知識に必要ということで、こういうマニアックなところまで教えてくれと頼んだところ、マーリンは快く引き受けてくれたのだ。
「魔術は発動までに時間がかかる。射程距離もそれほどではない。ならば暗殺に使えるのではないか。その考え方自体は昔から存在した。近距離で、気付かれないように詠唱し一方的に攻撃するのなら魔術のデメリットは消えるのではないか。実に分かりやすい」
「分かりやすいが間違っているってことですね」
レオが茶々を入れる。
「そういうことだ。まず第一に暗殺に必要な瞬間的火力の問題がある。魔術を極めた一握りの人間しか、一瞬で対象を殺害することはできない。その時点で暗殺には向かない。暗殺用に魔術を極めるくらいならば、ナイフを隠し持つ方がいい」
「それなら、距離は近くてもナイフでは暗殺できないような状況からの暗殺は?」
俺の質問に、
「ふむ、それは例えば壁越しの暗殺か? そうだな、例えばその壁に覗き穴や窓があるなら、そこからナイフを投げて暗殺すればよい。その状況から殺せるほどに魔術を極めるよりは、投げナイフの術を極める方が余程容易いだろうからな」
「覗き穴や窓がない状況だったら?」
レオが更に突っ込む。
「問題にならん。つまり、向こうの状況が全く分からないまま、魔術で暗殺しようというのだろう? 不可能だ。理由は単純で、魔術自体が発動しない。これは、魔術の射程距離が短い理由でもあるが、魔術を使う場所の周辺の様子がはっきりとしていないままでは、魔術は使えない」
「ええ!? そうなんですか?」
試したこともない俺は驚く。
一方のレオは、黙って頷いている。どうやらしてみたことがあるらしい。
「理由は二つ。一つは、魔術はイメージが全てだ。魔術行使する周辺の様子が分からなければ、どのように魔術を行使するかと共に、周辺の様子もイメージしなければならない。つまり、イメージしなければならない量が膨大になる。そして二つ目、魔術は現実からかけ離れたイメージは形になってくれない」
「ああ、はい」
それはそうだ。
俺は頷く。
それは試したことがある。
例えば冷たい炎や熱い氷を出現させようと必死でイメージしても、そんなものは出来上がらなかった。
あるいは、この世界でもある程度は解剖学が発達していて、それに基づいた、本当の人体の構造をイメージしながらでなければ回復魔法も強化魔法もうまくいかない。ちなみに人体の構造は基本的には前の世界のものと同じようだった。
ともかく、あまりこの世界では科学があまり発展していないため見えないが、やはり科学的法則が、理がしっかりと背後には存在し、それに基づかない現象を魔術で起こそうとしても失敗するわけだ。
「つまり、実際にイメージの中で壁の向こうの様子をイメージして、その上で魔術を行使しようとしても、イメージと実際の様子が違えば、魔術は発動しない」
「聞けば聞くほど、魔術ってのは不便な代物だな」
思わず、といった様子でレオがぼやく。
「無論だ、だからこそ、研究するのがおもしろい」
しわがれた声で楽しそうにマーリンが言って、その授業は終わる。
授業が終わって教室を出ると、同じく授業終わりらしいキリオとばったりと出くわす。
「おっ、キリオ」
「あっ、ヴァンに、レオ」
以前と比べて格段に雰囲気が柔らかくなっているキリオがぱたぱたと駆け寄ってくる。
「そっちも授業終わり?」
俺の質問に、
「うんっ、まあね」
とキリオは頷く。
キリオは、医学や解剖学を専門に勉強を進めている。
どうやら俺やレオの論文に影響を受けたらしく、現在はあまり体系化されておらず感覚的なものに頼っている医療、回復魔法の分野を変えるのだと息巻いている。
それで多くの人を助けるんだ、とは本人の弁だ。
「まるで子犬だな」
俺の後ろでレオがよく分からないことを言うと、
「は?」
と、キリオは久しぶりに見せる鋭い目でレオを射抜く。
もちろん、それでうろたえるレオではなく、太い笑みを浮かべるばかりだ。
「それはそうと、ヴァン、すごい話題だね、あの本」
「ん、ああ、あれね」
俺は照れくさくなって頬をかく。
あの本、というのは俺とレオの共著だ。
俺とレオがお互いの論文原案を見せ合ったあの日以来、俺達は切磋琢磨して論文を完成に近づけていた。
そして、俺は気に入ってくれているマーリンに、レオは自分のバアル家当主という力を使って多くの有力貴族に、二人の論文をセットで紹介してみた。
が、結果は惨敗。
有力貴族達はさすがはバアル家の当主、素晴らしいと口では褒め称えながらも実際には黙殺。
マーリンはことのほか論文を気に入り、「世界を変えるテキスト」と激賞。だが、マーリンが宮廷に紹介しても、誰もそれを話題にもしなかったらしい。
「怖がってるんだろうな」
とはレオの言だ。
この国を牛耳っている古臭い制度にしがみついている連中が、この論文のあまりの新鋭性に恐れをなしている、と言っていた。
だが、それからのレオの行動が凄かった。
レオは、マーリンに許可をとると、俺達の論文を俺達の共著の一般書として売り出したのだ。もちろん、バアル家としての力もフルに利用して。
一般の書店に並んだのが数日前。
そして、すぐにその本『捜査と裁判は死んでいる』は話題になった。更に、レオはその本の中で執拗に「この新しい案は神の教えに適っている」と、過半数のページを割いて主張し、徹底的に理論武装していた。
これが功を奏し、教会内部でもその本は話題になりつつあるらしい。
さすがに貴族連中も、一般市民と教会内部で話題になっている本を無視はできないだろう、ということだ。
まったく、レオは力があるだけじゃあなくて、何と言うか喧嘩がうまい。
「あれが話題か。なんだか、照れるな」
「さて、腐れ貴族達がどういう態度に出るか、見ものだな」
レオはにやりと笑って、目を閉じる。
おそらく、どんな手を打ってくるか、それに応じてどうやって自分の論文を認めさせるか、それをシミュレートしているのだろう。
が、その日の夜もたらされた知らせは、レオのシミュレートになかったようだ。
寮の食堂で俺とレオ、キリオのいつもの三人で夕食をとっていると、珍しいことにマーリンが食堂に入ってくる。
「あれ?」
最初に気付いた俺が声をあげると、マーリンは黒いローブをするすると引きずりながら、俺達のテーブルに寄って来る。
「ここにいたか、探したぞ」
「校長が、どうしてここに?」
驚くキリオ。
「うむ、ちょうどいい。ヴァン、レオ、お主らの論文についてだ。本として出したあの論文が、大分評判になっているのは知っているだろう?」
「ああ、そりゃあ、まあ」
話がどう流れるのか分からず、俺は不安になる。
「それが、意外なものを引っ張り出したらしい。キリオ、お主も関係のあることだぞ」
「え? あたしですか? どうして?」
キリオはきょとんとする。
そりゃあそうだ。
「卒業式の一週間前、成績優秀者を集めて行われる表彰式を知っているな」
「そりゃあ、もちろん。ええっと、今年は表彰されるのは俺とレオとキリオ、それから」
「メージンの馬鹿息子。ボブもギリギリで入るらしいな」
面白そうに笑うレオ。
どうも、ボブのことがツボらしい。
俺達に負けることが我慢ならなかったらしく、最後に必死になって成績で追い上げてきたあいつは確かにちょっと面白い。
「ギリギリどころか、結局総合では僅差で追い抜かされちゃったわよ、あたし。あの意地だけは認めるわ」
キリオがため息。
しかし、あいつが結局表彰までされるのは俺としては意外だった。
態度も悪いし人間性もおごり高ぶった貴族そのものだが、実力もあるし、必死になって努力もする。妙な男だ。
「そう、その四人だ。そして、今年はその表彰式にゲストが来る」
「ゲスト?」
レオは眉を上げる。
彼も知らなかったことらしい。
「評判の本を書き上げた二人にも会いたいから、ということだ。王だよ。シャークの王と王妃、それから、聖女の生まれ変わりたる姫も一緒だ」
俺は驚く。
確かに俺も驚くが、俺以外の二人、レオとキリオの反応こそ見物だった。
キリオは青ざめ、そのまま硬直して動かなくなる。いや、よく見れば小刻みにぶるぶると震えている。
レオも、いつもの豪胆な様子はどこへやら、目を見開いたまま、言われたことが信じられないようにマーリンを凝視している。
「教会まで巻き込もうとしたのが裏目に出たな。いや、それともいい方に転がったのか」
驚いている俺達を見て、愉快そうにマーリンは言って、返事も聞かずに笑いながら食堂を去っていく。
衝撃を受けている俺達は、黙ってその背中を見送ってしまう。
固まっているのは俺達だけではなかった。
俺達の周りで食事をとっていた生徒、今の話が聞こえたであろう生徒達も、全員が動きを止めていた。
そして、大騒ぎになる。
まだ上の空のレオとキリオを引きずるようにして、俺は食堂から逃げ出す。
「信じられない、王に、王妃に、そ、それに、あのヴィクティー姫に拝謁することができるなんて」
一時避難として逃げ込んだ俺の部屋で、キリオは開口一番そう言うと、頬を赤らめて呆然と宙に目を彷徨わせる。
貴族にとって、王や姫に会うというのはこれ程のことか。
俺は改めて知った気分になる。
「マーリンの言った通り、教会を巻き込もうとしたのが裏目に出たな」
一方のレオは、いつものらしさを取り戻し、顎に手をやり何か考えながら喋る。
「どういうことだ?」
「ヴィクティーのことだ。あの姫は、王族でありながら聖女の生まれ変わり。教会にとっても重要な存在だ。分かるだろ? 多分、今回の表彰式に王族が、それも姫も一緒に参加するっていうのは、王族を含む貴族連中と、欲深い聖職者共の綱引きの結果だろうな。それだけ、あの論文が注目されてるってことだ。どっちの奴らも、お互いがお互いをあの論文を使って引き摺り下ろそうとしている」
俗世の権力者と教会の聖職者が、お互いを尊重するポーズをとりながらも実際には泥臭い権力闘争をしているというのは、もはや周知の事実だ。
なるほど、あの論文を使って権力闘争を有利に進めようと、王族と教会が同時に乗り込んできたわけだ。その結果、どちらにとってもキーマンであるヴィクティー姫も参加することになった、と。
「多分、王族だけじゃなくて貴族の誰かしらも参加するだろうし、ヴィクティー姫の、聖女の生まれ変わりの保護って題目で教会側の連中も参加するな。お前も精々気をつけろ」
言いながら、何かを必死にレオは考えている。
すぐに分かる。これをチャンスとして、あの論文を王族や教会の上層部に認めさせる方法を考えているんだ。
「ああ、そんなの、どうでもいいじゃない。だって、ヴィクティー姫よ。あの聖女ファタの生まれ変わり。この上ない光栄よ」
うふふ、と似合わない笑い方をして、キリオはくるくると部屋を回る。
ふん、とレオはそんなキリオの様子をどこか馬鹿にした様子で見て、
「ヴィクティー姫と会うのがそんなに光栄か。俺はあの姫とはいわゆる幼馴染だが、そんな大した存在だとは思えないな。むしろ、哀れに思っている」
レオは遠くを見る目をする。
その言い方があまりにも寂しそうだったからか、キリオは激昂することなくぴたりと動きを止め、
「哀れって、どういうこと?」
「そのままの意味だ。ファタに見た目が瓜二つだったからといって、生まれた頃から自由がない。教会に聖女として囲われ、両親には教会とのパイプとして扱われる。哀れな女だ。聖女と同じ姿をしているという理由で、限られた人間以外には素顔を晒すことすらできない」
ああ、そうか。教会は偶像崇拝を禁止している。だから、神も聖女ファタもその姿を見ることはできないし、絵などに描くことも許されない。
そして、それは生き写しとまで言われている姫、ヴィクティーにも適用されるってことか。
ん? 何かおかしいな。
「あれ?」
同じタイミングで、キリオは首を傾げる。
「よく考えてみれば、おかしい。ねえ、どうして聖女のお姿が分からないのに、ヴィクティー姫が瓜二つのお姿をされてるって言われてるわけ?」
そうだ。
今まであまり自分に関わりのある話じゃなかったから、疑問にも思わなかったが、よく考えたらおかしい。
「なんだ、ヴァンはともかく、君が知らないのか」
そんなキリオの疑問に、レオは呆れた顔をして、
「今にも消えそうな家とはいえ、貴族だから噂くらいは聞いたことがあると思っていたが」
そこまで言って、不意にレオは言葉を切って目を閉じる。
どうやら、自分の思考に没頭しているようだ。
「お、おい」
俺が声をかけても反応がない。
「……そうだな」
やがて、呟きながらレオは目を開ける。
「よし、そうしよう」
「な、何の話?」
不気味な挙動のレオにびくつきながら、キリオが問いかけるが、
「こっちの話だ。それより、キリオ」
不意にレオは目を細めて、口の片端を少しだけ持ち上げるような笑い方をする。
珍しい、意地の悪い笑い方だ。
「な、何よ」
「王や姫に会うのをそんなに喜ぶような、そんな意識は捨てた方がいい。これ以上、貴族である自分に縛られるつもりか? その分じゃあ、自分の意を通すこともできない。家に気を使ったら、無理な筋を通すのはつらいと思うがな」
「はっ、なっ、何? 意味が分からない。馬鹿じゃないの」
久しぶりに目を赤くして、キリオはぶるぶると身体を震わせる。耳や首筋まで真っ赤に染めて、そのままばたばたと部屋を出て行く。
突然のキリオの態度と退席に、俺が呆然としていると、
「意地悪を言い過ぎたか。さて、俺も帰る」
と、レオも部屋を出て行く。
そして、ぽかんとしている俺だけが残される。