経過(2)
一年が終わるころには、俺達三人とそれ以外の生徒の間には大きな差がついていた。
魔術関連では俺が常にトップに、それ以外ではレオが常にトップに立ち続けた。
キリオは、
「あんた達みたいな化け物二人に挟まれて大変だわ」
と苦笑していた。
ともかく、魔術に関してはレオもキリオも俺にアドバイスを求めてきたし、それ以外に関しては俺とキリオはレオに色々と教えてもらった。
それが、俺達三人が他の生徒と差をつけた大きな理由だろう。
別に、仲間だけで知識を独占していたわけでは全然ない。
他の生徒は、俺にコツを聞きに来たりなんて一度もしなかった。成績のいい俺とレオ、特に俺を敵視して、遠巻きにひそひそと陰口を言う連中だ。ボブは正面切って罵倒してくるが。
レオとキリオはよく質問してきたし、俺のアドバイスは素直に聞いた。
その差だ。
だが、考えようによっては他の生徒の反応の方が自然なのかもしれない。
いきなり、取るに足りない平民が貴族を追い抜かしてトップの実力を見せつけ、マーリンという大人物からも可愛がられる。
そりゃあ、むかつくだろう。逆に、どうして貴族であるレオとキリオが素直に俺に質問をしてきて、俺のアドバイスに従うのかが不思議だ。
そう思った俺は、平民に教えを請うことに躊躇いはないのかと一度質問したことがある。
キリオは、
「貴族なのは形だけだし、今にも消えそうな家だから。あたし個人としては、平民も貴族も意識しないかな」
と自嘲気味に答えた。
そして、レオは笑った。
「君は俺よりある部分で優れている。それを認めない方がどうかしているだろう。そして優れた部分を吸収しようと教えを請うのはごく自然な流れだ」
「意外だな、レオはプライド高そうなのに」
「下らん。君が部分的に俺より上だと認めることで傷つくような安っぽいプライドは持っていない。俺は拳、君は剣だ」
「え?」
「喩えだ。それで、拳より剣の方が強いことを認めたからといって、拳の価値が下がるか?」
笑ったまま、レオはそう言った。
レオの言うことは正しい。
魔術に関しては俺が頭一つ抜けているが、それ以外についてはレオはずば抜けていた。
オーガの血がそうさせるのか、まずその身体能力がずば抜けている。
対人格闘訓練では、限界まで魔術で強化した状態でなお、俺はレオに叩きのめされた。歯が立たないとはこのことだと思った。
座学に関しても、魔術以外ならばレオがトップだ。歴史の授業では、教師が圧倒されるような知識量と理解の深さを見せつけた。
そのレオに空いた時間に付きっ切りで勉強を教えてもらっているのだから、俺とキリオの成績が上がらないわけがなかった。
こうして、一年が終わる頃には総合成績はレオが一位、俺が二位、キリオが三位となった。
二年生になると、一年生の時の順風満帆の日々とは一転、ショックの連続の日々になった。
別に勉強ができなくなったわけでも、レオやキリオとの仲が悪くなったわけでもない。他の生徒からの嫌がらせは、むしろ減ったぐらいだった。多分、しても無駄だと気付いたのだろう。ボブは相変わらずだったが。
俺がショックを受けた理由。
それは、二年生になって、専門知識としてシャークの探偵制度、そして犯罪捜査について学び始めたからだった。
警察組織ではなく個々の探偵が事件を捜査する。その仕組みを、わくわくすると胸を踊らされていた俺にとって、ショックの連続だった。
ショックを受けたのは、その杜撰さだ。
見つかった証拠と動機だけで容疑者を特定し、あとは締め上げて自供をとる。そうなったら後は司法院に引き渡して裁判を受けさせるだけ。それが犯罪捜査だ。
証拠の信用性など問題にされていない。捜査の適正な手続きや手順なんて決められていない。俺が夢見ていた論理や推理など欠片もない。
それが、現状だった。
俺が馬鹿だった。
すぐにそう思った。
この個人的、感覚的な世界で、そんな論理や推理が犯罪捜査の世界で存在していると考えるのが間違っていたんだ。
更に調べてみれば、歴史に名を残す、大事件を解決した名探偵達は、それぞれが独自の有効と思われる方法論を持っていたようだった。
だが、それが共有されていなければ、継承も体系化もされていない。
だから結果として、捜査技術が全く進歩していない。
思い違いをしていた。
俺の好きな名探偵達も、警察組織があって、その組織だった捜査があって、それでも解決できない零れ落ちた事件を解決してきたのだ。
つまり、組織だった捜査、マニュアル化された手順、方法論、科学技術による鑑識、そう言ったものは前提だった。あまりにも当然の前提であったがゆえに、探偵小説という場では影が薄い、もしくは論理と推理の噛ませ犬になってしまっていただけだ。
俺の趣味だけの問題じゃあない。こんな捜査じゃあ、冤罪や完全犯罪のオンパレードだ。
現に、犯罪記録を調べれば、未だに犯人が不明の事件や犯人とされた人物に潔白の疑いがあるとされる事件が山ほどある。
いや、そうじゃない事件の方が少ないくらいだ。
俺は愕然とした。
何とかしなければいけない。
その時、俺はそう思った。
自惚れでもなんでもない、前の世界の記憶を持っている俺なら、俺だからこそ、できることがあるはずだ。
そう思った。
そして、二年生の後半からは、その作業に没頭した。
まずは基準だ。
俺はレオとの会話を思い出した。ミステリクイズについてのレオの感想。
どこからどこまでが妥当なのか、それを決めなければいけない。
そいつが犯人だと判断するには、どういう条件が揃っていなければいけないのか。証拠はどこからが信用性が有る証拠だと判断するのか。等々。
まずあらゆることに、全ての人々が共通して持てる基準を作らなければいけない。個人主義の真逆だ。
それから手順や方法のマニュアル化。どうするのが正しいのか。これは、俺の探偵時代に培ったテクニックをとりあえず入れ込んだ。
特に報告書。事件の資料を作る際のテンプレートを作ってみた。資料作成の形式を統一しただけでも、かなり違うはずだ。
実際の捜査の方法、テクニックについては、やはり多少探偵をやっていたミステリマニアの俺が決めるのには限界がある。
代わりに、この世界の探偵達が個々に持つ有効とされる捜査技術を共有し、体系化し、そして手順を適正化するというプロセスを作ってみた。やっぱり、先人の知恵を借りるに限る。
まだ穴だらけとはいえ、一応の全体像が出来上がった時には、いつの間にか二年生も終わり、三年生になっていた。
食堂の片隅で、俺達のいつもの三人組は集まっていた。
「へえ、できたのか」
「見せて見せて」
俺が出来上がって初めにその原案を見せたのは、もちろんレオとキリオだった。
それまでは、恥ずかしくて一切見せず、一人で寮の部屋でこそこそ書いていた。
「へえ、色々変わったこと書いてるね」
いつの間にか雰囲気が大分柔らかくなりつつあったキリオが、読みながらそう言った。
「だろ? 結構、今までのシャークの、いやパンゲアの常識からは外れた内容にしてみたんだ」
「ううん、ちょっと先進的すぎてあたしには分からないかも」
唸るキリオ。一方、レオはずっと黙っていた。
「レオも感想とかアドバイス聞かせてくれよ。これを叩き台に、卒業論文にしようと思ってるんだ」
俺が促しても、レオは反応しなかった。
妙に思って俺が様子を窺うと、レオは俺の論文原案に目をやったまま、その両目を見開き、身体をぶるぶると震わせていた。
「お、おい」
そんなレオを見るのは初めてだったので、俺が戸惑っていると、
「うおっ」
と、レオは突然吼えて、走り去っていった。
ぽかんと、顔を見合わせる俺とキリオ。
そして数十秒で、凄まじい勢いでレオは駆け戻ってきた。手には数枚の紙を握り締めていた。
「読んでみろ」
それだけ言って、レオはその紙を突き出してきた。
「え、ああ」
気圧されるように受け取り、その紙を読み始めた。
そして、俺は目を丸くした。
それは、レオの論文原案のようだった。
内容は、現在のシャークの司法制度について。その改革案だ。
そして、その案が凄い。
現在の聖職者と貴族が裁判官として君臨している状況をまずは変える。裁判官を資格を要する職業にする。そう、現在では職業ではなく崇高なる役目とされている裁判官を職業という形に完全に変えてしまう。
まずその発想が凄い。前の世界の記憶がある俺ならともかく、この世界に生まれてよくもこんなことを思いついたものだ。
俺は感心する。
更に、現在の裁判官の個人的感覚に基づいての裁判を、普遍的で明文化された基準による裁判へと変える。そのための法律の大幅な改正についても提案している。
そこまでは俺の犯罪捜査に関する改正案と通ずるものがあった。
だが、俺が本当に驚いたのはその後だった。
その論文には、この改正案が単なる自分の思いつきでなく、歴史上の必然であり神の御心にも適うものであると、膨大な量の文献や聖典、歴史と照らし合わせて証明してあった。
説得力が俺の論文とはまるで違った。
「凄い」
俺は思わず呟いた。
これに比べたら、自分の論文なんてただの妄想に過ぎなかった。
「馬鹿を言うな。君のものに比べれば、ただの妄言に過ぎない」
だが、レオは俺を噛み殺すような顔をしてそう言った。
そんなレオの顔を見るのは初めてで、俺もキリオも驚いた。
怒りと嫉妬が、隠されることなく表情に表れていた。
「この論文には何の具体性もない。裁判だけ変えることなど不可能だ。裁判は判断する場所。そこだけを普遍的、合理的にしたところで、判断される対象が、材料が旧態依然としていたら絵に描いた餅だ。そんなことは分かっていた、が」
忌々しげにレオは俺の論文を見て、また俺を見る。
その目には尊敬と嫉妬が入り混じっていた。
「天才め。そっちを君が作り上げている、とはね。つくづく、君と友人になってよかった」
「作り上げてるって、まだまだだろ。俺のは、レオのと違って説得力が何もない」
「いいさ、説得力を持たせる作業は手伝おう。その代わり、君の捜査の改正案を参考に、俺の論文も修正させてもらうよ」
「あ、ああ。もちろん、いいけど」
「全く、妙な話だ。俺と君の論文は、どうやら二つで一つという形になりそうだな。けど、これで、マーリンという後ろ盾、そして俺の貴族としての立場さえあれば、俺と君の論文がこの国を変えることもできるかもしれない」
そう言って目をぎらぎらとさせるレオに、
「ねえ、レオ」
とキリオが声をかけた。
「何だい?」
ふっとレオは平静な表情に戻る。
「さっきから、いつものレオじゃないみたいだけど、そんなに司法の改革にこだわってるの?」
「いいや」
あっさりと、レオは首を振った。
「俺がこだわっているのは、改革そのものだよ。俺は天才だ」
突然、レオはそんなことを言い出した。
「家柄も、肉体も、知性も、全てが恵まれている。力を持っているんだ。力を持っている者は、持っている者としての使命や義務がある。そう思わないか?」
「それが、司法の改革か?」
俺の質問に、レオはにやりと笑った。
「違う。つまり、世界を変える義務だ。手段はどうでもいいんだ。ただ、世界を変えてみたい」