経過(1)
俺とレオとキリオが友人になってから、あっという間に三年近く経った。
俺達が友人になってからの話を、大まかにしていこう。
一年目は基礎、二年目からそれぞれの専門に進み、三年目で卒業論文を書いて卒業、というのが士官学校の流れだ。
が、実際には、ある程度目的意識を持っている学生は一年目から自分の進みたい専門について勉強しているらしい。
そして、俺にも既に目的意識がある。なりたい職業がある。
探偵だ。
そして、いい探偵になるためには、絶対に必要になる知識がある。この世界の基礎とも言える魔術の知識と、この世界での捜査の現状の知識だ。
俺は、一年の間はそれを中心に知識を蓄えることに決めた。
学校での生活は、楽しかった。
成績ごとにクラス分けされるらしく、特待生として入学した俺は当然最上位のクラスに入った。同じクラスにはキリオ、レオ、そしてボブの奴もいた。
ボブは入学してからも、俺やキリオにちょっかいを出してきた。それも、自分より格上の貴族であるレオのいないタイミングを見計らって。
他のクラスの連中も、大なり小なり平民でありながらトップの成績で入学した俺や消滅寸前の家の男装少女に色々と思うところがあるらしく、ボブの嫌がらせを止めることはなかった。
が、俺にとってはボブの嫌がらせなどどうでもいい。
問題はキリオだ。
彼女は、ボブの嫌がらせをされるたびに血走った目で殺気と共に睨みつけている。
何も知らなければボブの嫌がらせなんてキリオには全然堪えてないな、と思うところだが、背景を知ってしまった後では、泣きそうなのを我慢しているのだということが分かる。
なので、その度に俺はキリオを庇うというか、ボブをぶっ飛ばしていた。
「お前っ、僕が誰だか分かってるのかっ」
ぶっ飛ばされた後には、ボブは必ずそう喚いた。
「うるさい。どれだけお前の家が貴族の中で力を持っていようと、平民の俺には関係ない」
キリオを庇うように前に立ち、俺が言うセリフもいつも一緒。
「いいぞ、やれやれ!」
いつの間にか現れていたレオが、笑いながら囃し立てるのまでいつも一緒だ。
そして、顔を真っ赤にしたボブが取り巻きと一緒に俺とキリオに襲い掛かり、俺とキリオが応戦し、やがて笑いながら乱入してきたレオが、その豪腕で敵味方関係なく、全員をノックアウトするのもいつものことになった。
そうして、俺とキリオとレオが、三人揃って懲罰房に入れられるのも。
ムカつくことに、そういう時は決まってクラスの連中はボブの味方をして、罰せられるのはいつも俺達側だった。
レオもまた、あまりにも特別な存在のためクラスの連中からは煙たかったのかもしれない。絶対に揺るぎそうにも無い精神を少しでも傷つけたかったのかもしれない。
妙な話だが、俺にもその気持ちは少し分かった。
ともかく、そうやって三人で揉め事を起こして学校側に怒られる日々は、不思議と悪くなかった。味方は少なかったが、その分、三人の仲は深まった気がした。最初は、レオの強引なやり方で不自然に作られた友人関係だったが、やがて俺達は何でも話せる仲になった。
キリオの悩み。両親への複雑な思い。やめたいのに、今でも跡取りとして強くあろうとし続けてしまう呪縛。
レオの愚痴。周りの貴族が馬鹿ばっかりだという嘆息。自分は歴史に残る大人物だという自負。
そして、俺の夢。探偵。あるいは、ミステリ。ちょっとしたミステリを、クイズとして出してみたら二人は面白いと予想以上に楽しんでくれた。
こんなこともあった。
「けど、つまり妥当であるかどうかという話なんだろう?」
休憩時間、俺が適当に作った犯人当てクイズに二人が正解しなかったので、答えを教えていると、レオがそう文句を言ってきた。
といっても本気ではないようで、にやにやと笑っていた。
「どういう意味だ?」
「お前の作る問題、面白い。他では聞いたことがない考え方だ。ロジックを積み上げて、ありえないものを除外していけば犯人が分かる。けど、それは確実じゃあないわけだろう?」
「確実じゃないって、証拠もあるんだぞ」
「だからだ。例えば、その証拠が偽造された可能性だってある。あるいは、何かの拍子に奇跡のように偶然そうなったんじゃないとは言えないだろう? それに途中で、犯人の行動から正体を絞っていくロジックがあったけど、あれだって確実とはいえない。犯人が血迷って、何故か自分の不利になるような行動ばっかりとる可能性だってある。ほとんどない、とは思うが。要するに、絶対確実な話じゃないだろう? 妥当かどうか、に過ぎないわけだ」
「それって無茶な話じゃない?」
キリオが楽しげに笑いながら言う。
彼女は俺のミステリクイズがいたく気に入ったようで、休み時間のたびに新しいクイズはないかとねだってくるようになっていた。
「いや、そう無茶な話でもない。確かに、究極的な話を言えばそうだ。この世に確かなことがないように、絶対の真実に辿り着く道はない。けど、そこまでいったら哲学の領域じゃないか?」
俺が言うと、
「確かにな。現実的に犯人を捜す際には、妥当かどうかで捜査するしかないわけだ。けど、これはクイズだろう? なら、こういう答えだってあっていいだろう? 駄目だというなら、最初にルールを決めていないお前が悪い」
「負けず嫌いが酷いわね、レオは」
そう笑うキリオだが、俺は密かに舌を巻いていた。
何故なら、レオの意見は本質的にミステリ小説の核心を突いていたからだ。
その種の小説は、どこまでがアリでどこからがナシなのか、つまりどこまでが妥当なのかの線を読者が共有していないと面白くないものだ。
いや、ミステリ小説だけの問題ではない。DNAにしろ指紋にしろ、前の世界で現実に証拠とされるものも全て、「絶対確実」なものではありえない。同じDNAを持つ人間が存在する可能性はゼロではないし、証拠が偽造される可能性は消えることが無い。その意味ではミステリと現実は、弱点を共有している。すなわち、どちらも絶対はない、ということだ。
「さすがだな」
ミステリの知識がないのにそういう問題を鋭く突いてくるレオに、俺は手放しの賞賛を向けた。
「当然だ」
照れることなどなく、レオは太い笑みを浮かべた。
学校での生活自体はこんな感じで、楽しく過ごしていた。
では、学業の方はどうか。
こちらも順調すぎるほど順調だった。
校長であるマーリンが、俺をいたく気に入ってくれて、個人授業までしてくれたくらいだ。
魔術の知識を得ようとした俺が士官学校の魔術学の授業でまず教えられたのは、魔術がいかに不便な技術かということだった。魔術は役に立たない。それを叩き込まれた。
「魔術それのみではなにもできない」
とは、俺達のクラスに来て授業を行う時のマーリンの口癖だった。
魔術は人間の肉体に影響する魔術と、自然の五つの属性を操る魔術に大別される。
人間の肉体に影響する魔術とは、回復魔法や強化魔法。
自然の五つの属性を操る魔法とは、炎・水・土・風・冷の属性の魔法のことだ。
「だが、これはつまり魔術によって操る対象が何か、というだけの話だ。根本は一つだ」
最初の授業で、マーリンはそう教えた。
分かりやすい話だと思ったのだが、成績上位者の集団である俺のクラスでも、俺とレオ以外はよく言っている意味が分からなかったらしく皆首を傾げていた。
つまり、魔術とは魔力によってその場にある「何か」を操る技術だ、ということだ。
魔術なんて存在しない世界から転生して、魔術とは何かと不思議に思っていた俺には、そして基本的な科学の知識がある俺には、よく分かる話だ。
魔術は無から何かを生み出すものではない。
五つの属性も、炎の魔術は温度を上げることで、冷は逆に下げることで行う。水は、空気中にある水分を集めるか元々ある水を操ることで行う。土や風も同じく、元々そこにある空気や大地を魔力で操る。
回復魔法や強化魔法も、肉体を魔力で操ることで行う。
魔術は、ただそれだけの技術だ。
「パンゲアが今の四国体制に安定する以前の戦乱の時代、魔術は主に戦闘用の技術として発展していった。だが、魔術単体で敵を殺すことなど、魔術を得意とするエルフすら難しかった」
威力とスピードの問題だ、とマーリンは言った。
「まず威力。敵を燃やそうとも凍らせようとも、まず魔術は瞬間的な威力にかける。その間に逃げられるか反撃を受ける。殴った方が余程手っ取り早い。炎の魔術にしても、敵を一気に焼死させるレベルの炎を扱えるのは、この教室の中ではわしとそこのヴァンくらいのものか」
教室中の、嫉妬と怒りを含んだ視線が俺に集まった。
「次にスピード。基本的に魔術は発動まで時間がかかる。呪文を詠唱しなければならないし、無詠唱で魔術を行うとしても、イメージを作るのにやはりそれなりに時間がかかる。僅かではあるが、戦闘の中では致命的な時間だ」
「遠距離からある程度のダメージを与えるという用途では使えないんですか?」
ボブが立ち上がって質問した。
中々いい質問だ。やるじゃないか、ボブのくせに。
俺は感心した。
「さっきも言ったように威力に難があるということは、規模が小さいということだ。そもそもの射程範囲がそこまでない上に、距離が離れれば命中率も悪くなる。もちろん個人差や練度の問題はあるがな。それくらいならば、弓で射抜いた方がよほど効果的だ」
魔術はもっと万能なものだと思っていたけど、そうでもないのか。
授業を聞きながら俺は驚いた。
「近距離でも同様だ。近距離で敵を燃やそうとしているうちに逃げられるか反撃を受ける。肉体強化も同様だ。戦闘中に肉体強化の魔術を行ってから剣で斬るよりは、普通に剣で斬りかかった方が安全で効率的だ」
つまり、とマーリンはまとめた。
「戦闘においては魔術というのは中距離で、しかも魔術以外の何かと組み合わせる策をもって初めて効果が出る、極めて扱いづらい技術ということだ。にも関わらず魔術が世界で重視されるのは何故か」
かつん、とマーリンは杖で床を鳴らした。
「直接的な戦闘以外の面で役に立ち、生活に欠かせないからだ。医者は回復魔術に特化する。文明に欠かせない火は、魔術によって制御される。魔術以外の方法で温度を下げる方法は何かで扇ぐ以外に未だ見つかっていない」
ここで笑いが起こった。
「身体が頑強ならともかく、年老いてからの農作業には強化魔法や土を操る魔法が効果的だ。緊急性のない、戦闘以外の面で魔術はむしろ重要なのだ。諸君らのイメージとは違うだろうがな。そして、そのような場面においても、やはり魔術は万能ではない。例えば、魔術はイメージに頼らなければならないから、どうしても大雑把なものになる。作るよりも壊すことの方が得意なのだ。氷の塊を作ることはできても、氷の彫像を作ることはできない。壁を割ることはできても、平らな壁面を作ることはできない」
魔術は世間の連中が思うような、極めれば何でもできる万能の真理ではない。ただの技術体系だ。
マーリンはそうまとめた。
「分かった上で、趣味として極めてしまったがな」
最後に、マーリンは枯れた声でそう笑った。