剣聖(2)
離れは本当に大して広くなく、例の食卓の部屋よりはマシという程度だった。全員で雑魚寝をすることくらいは何とかできるか、程度の広さだ。
離れに着いて三十分程度でヒエイが食事を準備してくれる。
板張りの床に直接置いて食事という行儀の悪さだが、誰も特に不満を言わない。まあ、ここで不満を言うくらいならトウコやウーヘイと一緒にあの部屋に残るか。
イスウの伝統料理だという、野菜を薄味で煮たものが大量に入った大皿を囲むようにして、俺達は座る。
取り皿と箸、そしてお茶がそれぞれに配られて、食事が始まる。
「あの二人が婚約者だっていうのは?」
気になっていたので、とりあえず俺はそれを聞く。
「ああ、ヤザキのじいさんが、ナムトとパイプを結びたくてな。元々、ウーヘイの父親であるナムトの役人と友人だった師匠のとこに娘を送ったのも、それが理由らしい」
巨体からは想像できないくらいに箸を上手く使い、マサカドが煮物を次々と口に放り込む。
「それで、実際に婚約を成立させるっていうのも、ヤザキ様の政治力の強さをうかがわせますよねえ」
正座に背筋を伸ばしたきっちりとした姿勢で、アオイは箸を進める。
「ふうん、でも、元ってことは、婚約は解消したんですよね?」
「トウコが最終的に突っぱねたんだよ。成長するに従って、どんどん尖っていったんだ。昔はあんなんじゃなかったよなあ」
「確かに。剣の腕が上がるよりも性格が鋭くなっていく方が顕著だった」
ダイゼンとスライスは顔を見合わせ、頷き合う。
「昔は、御淑やかな深窓の令嬢って感じでしたからのお」
うむうむ、とヒエイも同意する。
「へえ」
全然想像できない。
「あたしが何度か道場に顔を出した時には、既にもう今みたいな感じだったけど」
箸が苦手なのか、ライカは煮物を突き刺す。
「ライカは、ホウオウ流ということで、敵という印象があったんだろうな」
スライスは暗い目を細める。
「それは、俺だってそうだ。お前のそのざっくばらんな性格すら、擬態ではないかと疑っている。セキウン流を潰すつもりなんじゃあないかとな」
「気のせい気のせい」
険悪なムードになりかけるが、ライカはまるで気にせずに食事を続ける。
「スライスは元が影だから裏を読みすぎるんだよ。気にしすぎだ。ひひ。こいつはただのアホだ」
さっきから黙って煮物を食べていたヘンヤが言う。額の傷はもう目立たない。
「アホではないけど」
「アホだよ。知ってるか、こいつがそもそもシャーク国に行った本当の理由」
「げ、ちょっと、やめなさいよ」
途端、ライカが慌てる。
俺も含め、全員がぽかんとする。どうやら誰も知らないらしい。
一通り全員がざわざわと口々に喋るが、誰も正解を知らないらしい。しばらく盛り上がる場の中で、ヘンヤはにやにやと笑い、ライカはあわあわと慌てている。
「元々父親がシャーク国の役人だったから、だろう?」
これ以上相談しても明確な答えがないと諦めたマサカドが確認すると、
「そりゃ、表向きの理由だ。本当はな、ひひ、この国から逃げたんだよ。つらい思い出がありすぎるってことでな」
「ぐぐぐ」
さっきからライカの顔が赤くなったり青くなったりしてる。
「要するに失恋だよ。ひひ、同じ道場にいた十も年上の男に片思いした挙句、結婚してるって分かって飛び出したんだよ。あのままいればホウオウ流の後継者も夢じゃなかったってのにな」
全員が唖然とした顔でライカを見ると、ライカの顔が真っ赤に染まっている。
あまりにも赤いので病気かと心配しかけるが、単に日が沈もうとしていて赤い日の光が射しているだけだった。
「え、もうそんな時間か」
と俺は口に出してしまっている。
もう日が沈むような時間が近づいているとは思ってもみなかった。
「ああ、この辺りは日が沈むのが早いんだ。とは言っても、そこそこな時間なのは確かだな。おおい、あいつらほっといていいのかよ?」
ヘンヤの言葉にヒエイは一瞬きょとんとしてから、
「ああ、そうですな、忘れていた。トウコとウーヘイの分の食事を持っていかないと」
慌てて立ち上がって調理台の方へと向かう。
「ああ、準備だけしてくれればいいよお。おいらが届けに行くからあ」
と、ダイゼンも立ち上がる。
「で、で、マジ? マジなのかよ」
興味津々らしく、身を乗り出してマサカドがヘンヤとライカに詰め寄る。
「ちょ、ちょっと団長」
気まずそうにアオイが袖を引っ張るが、そんなものでマサカドは止まらない。
「誰だよ、それ。俺、ホウオウ流の連中ならある程度知ってるけどよ」
「いいでしょ、別に」
ぷいとライカが顔をそむける。
「さすがは探偵、ゴシップが好きだな」
スライスがぽつりと言うが、その言い方だと俺にも流れ弾が当たる。
完全に太陽は夕日になり、西日が外はもちろん離れの中まで真っ赤に染め上げる。
「やれやれ」
と料理の準備が終わったヒエイが戻ってくる。
「さあ、まだまだ残っておりますから、皆さん遠慮せずにどうぞ」
言葉通り、大皿にはまだ半分ほど煮物が残っている。というか、元々の量がいくらなんでも多すぎるだけだ。
「腕によりをかけましたからな、残したらぶっ殺しますぞ」
にっこりと笑うヒエイの目が笑ってないので、俺達は仕方なく、剣術について話しながら料理を胃の中に片付けていく。
日が沈んで薄暗くなってきても食べきれず、困っていたところに戻ってきたダイゼンに無理矢理手伝ってもらう。
ちなみに戻ってきたダイゼンの第一声は、
「げえ、まだ結構残ってるな」
「お前、さてはそろそろ食事が終わってるかと思って戻ってきたな」
ヒエイに睨まれて、ダイゼンは誤魔化して笑う。
「さて、俺達はもうノルマ達成だろう。遊戯室でゆっくりさせてもらうぞ。鮨詰めにされていたら息が詰まる」
と、入れ替わるようにマサカドとアオイが立ち上がる。
アオイの方は無理して食べ過ぎたらしく、お腹をさすりながら苦悶の表情で、無言でマサカドと共に離れを出て行く。
「あれっ?」
視線を戻した俺は声を出す。
いつの間にか、スライスがいない。ついさっきまでいたのに。
「マサカドとアオイに視線が集まった瞬間にこっそりと出たんだろうな。あいつは、気配殺すのが癖だからしょうがない」
ヘンヤが苦笑する。
ようやく、大皿は空になる。
「ご馳走様でした」
俺が言うと、
「お粗末様でしたのお」
と嬉しそうに笑って、ヒエイは皿を持って調理台の方に行き、皿を簡単に洗ってから、別の皿に入った大量の何かを持って戻ってくる。
あれも食べろってことか、と俺が凍り付いていると、
「ああ、あれは違うんだよお。犬の餌だあ」
笑ってダイゼンが説明してくれる。
見れば、皿の中にあるのは、大量の肉と、同じくらい大量の骨だ。
「そろそろ犬も食事の時間なんですな」
「あたしが行くわよ。あの子たちとも久々に会いたいし」
と、ライカがその皿をもぎ取るように受け取ると、意気揚々と離れを出て行く。
「あいつもそういや、動物好きだったなあ」
ヘンヤはそう言って、俺に笑いかけてくる。
「薄暗くてよく見えないけど、ヴァンも見てきたらどうだ? 可愛い可愛い犬が沢山いるぜ」
どうせ凶暴そうな巨大な犬だろ、と分かってはいたが、正直興味があるので、俺もライカについていくことにする。
薄闇の中をライカの後をついて行く。
すぐに目的の犬小屋、というよりも犬の檻の前に着く。
数匹の犬が団子のようにじゃれあっているが、どれも黒いから薄闇に溶けて、一匹の巨大な生き物が蠢いているようにも見える。
「あはははっ、相変わらず元気そうねえ」
が、ライカにはそれぞれの犬がはっきりと分かるのか、嬉しげに檻に近づくと皿を地面に置いて、その場に屈み込むと、
「ほれほれ」
と皿から無造作に掴み取った肉と骨を檻の隙間から投げ入れる。
唸り声と荒い呼吸音が檻から聞こえて、その真っ黒い蠢く塊が投げ入れた肉と骨を飲み込んでいく。
その頃になるとようやく俺の目も慣れてきて、真っ黒い巨大な犬が我先にと争って肉を食い、骨も噛み砕いているのが見える。
「可愛いわねえ、必死に生きてるって感じがして。ヴァンもどう?」
にっこり笑ったライカが振り返って、肉と骨を掴んで俺に差し出してくる。
「いや、結構」
悪いが、俺には全然可愛く見えない。
むしろ怖い。巨大な黒い犬が何匹もいるだけで怖い。だが、同時に惹かれる。こういう、野性的な強く凶暴そうなものは、やっぱり憧れてしまう。案外、セキウンが犬が好きなのも同じような理由かもしれない。剣士なんだから、強いものへの憧れはあるだろう。
「あら、そう」
気を悪くした様子もなく、また嬉々として餌をやり出すライカから視線を外し、何の気なしに横を見れば、屋敷の窓がある。
窓の奥には、道場、ヒエイの部屋、セキウンの部屋が続く廊下が見える。いや、正確には見えない。闇だ。奥の方は全くの闇。
「真っ暗だな」
呟く。
火を灯す照明器具が廊下の両側にあるのは目を凝らせば何とか見えるが、どれも火がつけられていない。
外の薄闇がどんどん濃くなっているのだから、当然照明のない屋敷の内部は真っ暗に近づいている。
「そりゃそうでしょ。まだヒエイさん離れにいるんだし、セキウン様は瞑想中でしょ」
ライカは振り返りもしない。
確かに、明かりをつける人間もいなければ、そもそもつける必要すらないのか。
そう思って別の窓、遊戯室や食卓がほとんどのあの狭い部屋に面する廊下が見える窓に目を移せば、そちらの窓からは明かりが漏れている。
「あっちは、明かりがついてるな」
「そうね。トウコかウーヘイが付けたのか、それともダイゼンさんが食事持っていく時についでに付けたのか、どっちか分からないけど」
餌を全て放り込み終えたライカは立ち上がって伸びをする。
「ああ、堪能した。やっぱり犬はいいわね」
薄闇はもう暗闇へと変わっている。月が出ているので、月明かりで何とか互いの姿形がわかる程度。
檻の中の様子なんて、もう音でしか伺えない。
「いやあ、いつまででも見ておけるわね。もうちょっと犬見て帰るから、先に戻っていいわよ」
なのに、ライカはそんなことを言う。よほど夜目がきくのか。
「あ、そう? じゃあ、お先に」
と俺は離れに戻る。
流石に離れにも明かりがともされている。
「あれ?」
屋敷に戻ると、ヒエイとダイゼンはいるが、ヘンヤがいない。
二人は、手際良くテキパキと布団を並べているところだった。
「ヘンヤは?」
「おいらは知らないなあ。布団敷くのを手伝うのが嫌で逃げ出したんじゃないのかあ?」
「お二人が出て行ってからしばらくして、ふらりと消えましたなあ。遊戯室ではないですかな?」
そう言いながらヒエイは枕を並べて、
「これでよし。すいませんが、遊戯室に行って皆さんに寝床の準備ができたと伝えてもらってよろしいですかな?」
「ああ、それはもちろん。布団まで敷いてもらってすいません」
「いえいえ」
俺はさっさと遊戯室に向かう。
遊戯室には、スライス、アオイ、そして袋竹刀で遊んでいるヘンヤがいる。
「あれ、他の人達は?」
「ん、トウコなら隣の食事室にいるぞ。ウーヘイは、食べ終えたから皿を返しに離れに行ったはずだぜ」
ヘンヤの答えに、俺は首を捻る。
「いつ?」
「ついさっきだよ、なあ?」
スライスとアオイも頷いて同意する。
妙だな、すれ違わなかったけど。外が暗いから、見逃したのか?
「ええと、残りは、マサカドさんか。マサカドさんは?」
「俺がどうかしたか?」
そこでマサカドが遊戯室に入ってくる。頬が上気し、うっすらと汗をかいている。
「どこに行ってたんだよ、お前」
ヘンヤの質問に、
「最近鈍ってるからな、道場で少し汗を流してきた」
「誘ってくれれば、一緒に遊んだというのに」
残念そうに、スライスが呟く。
「はは、兄弟子殿とやり合うにはもうちょっと勘を取り戻さないとな」
豪快に笑うマサカド。
「あ、それでもう寝床の用意ができたらしいですよ」
ようやく自分が来たそもそもの理由を思い出して、俺は言う。
「なら、行きましょう」
いつの間にか食事室から顔を覗かせていたトウコがそう言って、全員で離れに行くことになる。
離れに着いたところで、中にいるウーヘイに気づく。マント姿のまま、布団の一つに座っている。
「ああ、すみませんなあ、ヴァン殿」
「ウーヘイが入れ違いで皿を返しに来たんだよお」
ヒエイとダイゼンが言う。
やっぱり、外ですれ違ったのか。
ウーヘイは静かな顔をして、俺達の会話が聞こえていないかのように黙って座っている。
「さて、じゃあわしも寝ますかな」
そう言ってヒエイが立ち上がる。部屋に戻るのだろう。
「ああ、ヒエイさん、そう言えば、俺、道場を使ったから、明かり消しといてくれる? 廊下の明かりはつけてないけど、道場の中は明かりをつけておいたから」
驚くべきことにマサカドは鎧姿のまま布団に潜り込む。
これが普通なのか、ひょっとして?
と思ったが、ライカは手早く鎧を外している。そりゃそうだよな。
「分かりましたぞ。それでは、皆さんは寝る時になったらこの離れの明かりを消しておいてください。頼みましたぞ」
そう言ってヒエイが出て行くと、
「さて、じゃあ、もう寝るか」
と、すぐにヘンヤが明かりを消そうとする。
そして誰もそれに反対しない。
普段の俺だったら全然起きている時間だけど、本当に剣士ってのは早寝早起きなんだな、と妙な感心をしてしまう。
本当に明かりが消され、真っ暗闇になる。
ここまで真っ暗闇だと、寝るしかないな。
俺も布団に潜り、目を閉じる。
眠りに落ちようかという、その瞬間。
何かが聞こえた気がする。物音が遠くでしたような、そんな気がした。犬が暴れてるのかな、と思う。
だが次の瞬間、あまりの緊張感に一気に目が覚める。
何だ?
慌てて目を開いた俺は、空気が一気に張り詰めた理由が分かる。
真っ暗闇の中だから、はっきりとは分からないが、俺以外の全員が起き上がっている。
「あ、ちょっ、ちょっと」
いや、アオイも何が起きたのか分からず、今慌てて起き上がっている。そして、辺りが照らされる。アオイがランプを取り出して火をつけたようだ。
照らされた離れの中には、既に起き上がり、臨戦態勢をとっている剣士達の姿があった。誰もが目を見開き、あるものは剣に手を添え、あるものは獣のように身を低くしている。
「聞こえたか?」
言葉少なに、スライスが質問する。
「ああ、叫び声だあ。ありゃ、ヒエイだな。あのヒエイが大声で叫ぶなんて、よっぽどのことだ」
ダイゼンが青白い顔で頷く。
「行くぞ」
言うが早いか、ヘンヤが離れを飛び出て行く。
ほとんど同時に、俺とアオイ以外の全員も飛び出す。
「うわっ、ちょ、ちょっと」
まだ状況が把握できずに慌てているアオイと俺は、全員が出て行った後でようやく後を追える。
「あっ」
誰もが屋敷の入り口には向かわず、犬の檻の傍にある窓から、直接屋敷の中に飛び込む。おそらく、叫びが発生した場所に最短距離で向かっているのだ。
それにしても誰もが速い。凄まじい速度で窓に飛び込んでいる。片足が不自由なダイゼンですら、全く俺達が追いつけない。
屋敷の中は完全な闇。だというのに、誰もが怯むことなく闇の中に飛び込んで行く。ひょっとして、誰もが見えているのだろうか、あの闇の向こうが。夜行生物のように。
「アオイさん、ランプを」
一方、俺はそんな芸当はできない。
アオイにランプを借りて辺りを照らしながら窓から入ると、照明器具に火を付けながら先に進む。
「ちょっと皆さん、どこですか?」
「そうですよお、マサカド隊長、待ってくださいよ」
俺とアオイが叫びながら先に進むと、すぐに皆の姿が見つかる。
そう、あの化け物じみた剣士達が、顔色を真っ白にして廊下の突き当たりに立ち尽くしている。
あそこは、確か。
急激に嫌な予感がこみ上げる。
あそこは、セキウンの部屋の前じゃないか。
駆け寄って、立ち尽くした皆を掻き分けるようにして俺はセキウンの部屋の前に立つ。
そして、他の剣士と同じように固まる。
俺が付けた廊下の照明器具、引き戸が開けられたセキウンの部屋の内部は、その明かりに照らされている。
部屋の中には、廊下の他の剣士と同じように真っ白い顔で立ち尽くすヒエイ。
そして、部屋の中央には、真っ白い髭と髪を血でまだらに染めた、喉の辺りを切り裂かれた剣聖が仰向けに倒れている。
目を閉じたセキウンの穏やかな顔は、まるで眠っているようではあるが。
死んでいる。
死体をいくつも見てきた俺には分かる。
最強の剣士が、殺されているのだ。




