戯れ合い(1)
威圧感も、殺気も何も感じない。むしろ、その穏やかさにこちらの心が勝手に開いていく感すらある。
俺はただ、黙って老人が語るのを聞いている。
「セキウン流は、ただ剣術の王道を行く流派。肉体と技だけでなく、精神を鍛えることを芯とした流派だ。つまり、ただ相手に勝つだけではなく、自分自身にも打ち勝ち、そして世の理不尽にも抗う。そのための術が剣術であり、セキウン流だ」
セキウンの講義が始まる。
茶々を入れそうなヘンヤ、そしてマサカドまでが神妙な面持ちで聞いている。いや、口を挟みようがないのかもしれない。
セキウンの語る声は静かで、しかし厳かに耳を打ち、不可抗力的に奥底にまで染み入ってくる。
「実戦を基本として、ただ相手に勝つ術を磨いていたホウオウ流と比べ、我が流派が勝っていたとすればその一点のみ。セキウン流、いや私は、剣の上での技術も、強さも、ホウオウ流に勝っているとは思っていない。特にあの怪物、ゴンザ・ホウオウに比べれば、剣による殺し合いという一点においては私は明らかに劣っていた」
するすると、兵法者にとっては恥ととられてもおかしくない言葉をセキウンは口から流していく。
「それでもなお、セキウン流はホウオウ流に勝ち、私はゴンザに勝った。何故か。それこそ、まさしく精神の強さ。いかなる状況においても心静かにある境地に達することがセキウン流の目的であり、私がその境地に至っておるからだ」
瞼を下ろしたままのセキウンの顔が、全員を見回すように動く。
「そして今、同じような境地にまで達した者達がこうして一堂に集まり、その中でも優れたもの、私を超える、我が流派を継ぐにふさわしい者がここにいる。そして、今日、私の跡を継ぐ。こんな喜ばしいことはない。ヘンヤ」
「はい」
名前を呼ばれたヘンヤは似合わない真剣な顔で一歩前に出る。
「よくぞそこまで己を高めた。目の見えぬ私にもはっきりと分かる。お前の至った境地が。今日、ここでセキウン流の後継として認めると共に、その証として秘剣を伝授する」
気づけば、ヘンヤだけでなく、俺も頭を下げている。いや、俺だけじゃあない。部屋にいる誰もが、尊い言葉を聞いたかのように、頭を下げている。この場に立ち会えたことを感謝している。
「これに納得していない者がいるのも分かっている。実際、我が流派の三羽烏、ヘンヤ、トウコ・ヤザキ、スライス、その誰もが後継者として相応しい力を、技を持っている。しかし、我が秘剣を受け継ぐのに相応しい力、技、何よりも精神を持っているのは、ヘンヤだ。我が心眼がそう見たのだ。これに異を唱えるということは、私の心眼に異を唱えるということ」
声にひやりとしたものが混じる。
「私の心眼に疑いがあるものは、いつでも打ってくるがいい」
スライスは、頭を下げたまま、相変わらずの暗い目でセキウンを見ている。
トウコも頭を下げたままだが、厳粛な表情で目を閉じているところがスライスと異なっている。
「では、ヘンヤ。我が師、シジマより受け継いだ道場で、秘剣を伝授する。身支度を整えてから来い。ヒエイ」
「はっ」
「これより、私とヘンヤが戻ってくるまで、誰も道場への道を通すな」
「かしこまりました」
「行くぞ」
足音を立てず、杖を使うこともなくセキウンは遊戯室から出ていく。
それに寄り添うようにしてヘンヤも。
しばらくして、ヒエイが出ていく。が、ヒエイは付いて行くのではなく、道場、ヒエイの個室、セキウンの個室に続く道を封鎖するために行くのだろう。
「分厚い布で遊戯室から先の窓を全部覆ったんだよ」
三人が消えてしばらくの無言の後、それを破ったのはダイゼンのどこか間の抜けた報告だった。
「は?」
マサカドが目を丸くすると、
「さっきまでの間に、おいらとヒエイで大急ぎで道場とか、廊下とかの窓を覆ったんだよお。分厚い黒い布でなあ。外から、秘剣伝授が見えたら大変だろお」
ああ、そういう意味か。
「つまり、ヒエイに見つからないように屋敷を出て、外から道場に侵入したり、覗き見ようとしても、無駄だからなあ」
それが一番言いたかったようで、ダイゼンは声にちょっとした凄みを含ませる。
「もっとも、おいら達は互いが互いを監視してるみたいな状況だけどなあ。誰かが抜け駆けして秘剣を盗み見ようとしたら、誰かがそれに気づいて、そうだなあ」
ダイゼンは一瞬だけ考えて、
「殺されるかもなあ」
と言う。
脅しでもなんでもなく、妥当な可能性としてそれを挙げたのだということが声で分かって、俺は震える。
「けど、そうなると暇だなあ。後継者指名の見届け人になるって役目は果たしたし、後はもう自由にしていいだろ?」
いつの間にかマサカドはまたソファーにふんぞり返っている。
「暇つぶしと言えば、これくらいしかないだろう、我々にとっては」
青白い顔に皮肉な笑みを浮かべて、スライスは壁にかかっている袋竹刀を手に取ると軽く振る。
「袋竹刀で叩き合いか。下らん。結果が見えている。お前とトウコ、俺は大体互角だ。こんな戯れじゃあ、ある程度以上の技量があるなら互角にしかならん。見世物にもならない」
肩をすくめたマサカドがふとアオイに目をやり、
「そうだ、お前やってみろよ。一応、剣はできるんだろ」
「えっ、いや、いやいやいや。あたしが皆さんの相手になるはずないっすよ」
驚いて大きく首を振るアオイ。
「じゃあダイゼンさんとならどうだ?」
「おいらは右脚ダメにして、とっくの昔に引退してるんだぞ。勘弁してくれよお」
そう言いながら、ダイゼンはまんざらでもなさそうに顔をほころばせている。
結構やりたいみたいだ。
「それよりも」
固く鋭い声が、場の雰囲気を変える。
「私は、ヴァンさんの腕前に興味があります」
トウコに指名されて、俺は驚く。
どうして、ここで俺の名前が出てくるんだよ。
「なるほど、確かに。魔術師、それも一級の魔術師との戦いは、圧倒的に不足しているな。俺達剣士は」
スライスが、粘着質の視線を俺に向けてくる。
「魔術というのは直接戦闘向きじゃないってのは定説だが、とは言っても炎術師なんかはうまいこと応用してるし、なによりヴァン・ホームズは魔術師としての才は一級品で、あの冒険者ジンと互角に戦ったとも、ダンジョンを魔術で攻略していったとも言われている」
青くなっていく俺の顔を面白そうに見ながらマサカドはペラペラと喋っているが、明らかに誇張されている。
「いや、それは勘違い」
「確かに、魔術師として恐るべき実力を持っているわ。ジンと互角だったのもこの目で見たもの」
俺の訂正に割り込むようにして、ライカが何故か俺を持ち上げる。
おい、余計なことを言うなよ。
非難の念をこめて睨むと、何故かライカはウインクしてくる。
どういう意味だよ。
「対魔術、非常に興味があります。お手合わせ、願えますか?」
自らも袋竹刀を持ったまま、こちらに袋竹刀を差し出して、トウコが真っ直ぐな目で見てくる。
「いや、俺は」
「いやあ、是非、あの有名なヴァン・ホームズの戦いを見てみたいですねっ」
元気に声を出しながら、挑発的な目を隠そうともしないアオイ。
こいつ、何だか俺にだけ突っかかってくるな。
何となく、断りにくい空気になってくる。
そして、とうとう俺は、おずおずと差し出された袋竹刀を受け取ってしまう。
あくまでも戯れ。頭や首、胸や腹といった急所に袋竹刀を当てるか、相手の袋竹刀を落とした方が勝ち。ただし、俺は魔術を使用していい。
そんな風にルールは決まった。
さて、どうするかな?
相手はトウコだ。少なくとも、俺の見る限り正当派の剣士。真正面から剣で来る気がする。
負けるのもいいが、やはり難なく捻られて終わりとなると、沽券に関わる。下手をしたら俺だけでなくシャーク国自体が低く見られてもおかしくない。
やるだけやってみるのもいいか。
だとしたら作戦だな。
袋竹刀を握り締め、位置を決めるようにうろうろしながら考えに没頭する。
肉体強化の魔術を使おうという気にはならない。いや、使ってもいいがそれは決定打にはなりえない。体を動かすことについては、向こうが数段上なんだ。
だとしたら、魔術で爆発させる、とか。いや、間に合うとは思えない。前々から仕込んでいても、高速で動くであろう袋竹刀に当てることはできない。ならば、直接相手の肉体に攻撃すれば。いやそれをすると下手をしたら殺し合いになる上に、魔術では致命傷を与えることは難しいから返す刀で俺が斬られる。いや、いかん。何、殺し合いを前提の考えをしているんだ。場の雰囲気に引っ張られたな。
よし。
俺は一番オーソドックスな構え、正眼に構えてトウコに真っ直ぐ向き直る。
「もう、大丈夫ですか?」
一応、穏やかな声をかけてはきてくれるが、そのトウコの目は刺すような光を放っている。
「ええ、もう」
「それでは」
と、トウコも正眼に構える。
距離は互いに一歩近づけば剣先が相手に当たる程度。
その距離を、無言でトウコは真っ直ぐに一歩踏み出す。そして、既に剣は振りかぶられている。
いきなり、それかよ。
面食らいながらも、俺は既に準備をしながら、頭の中で魔術の準備は行っている。肉体強化の魔術の準備を。
もう一歩踏み出しながら、凄まじい速度で振り下ろされる袋竹刀。だがそれが俺に触れることはない。
限界まで強化した脚の筋力で、真後ろに跳んでいる俺はその攻撃をかわしている。が、頭をかすって髪の毛が何本か舞う。なんて速さだ。戦慄しながらも、俺はこれで遊戯室の端まで一気に跳べる。これで、距離をとれた。
「ほう」
見ていたスライスが少しだけ感心したように声を漏らす。
トウコの目が鋭くなる。
当然ながら、魔術師の俺としては距離を取りたい。そしてトウコは距離を詰めたい。だから、この状況は俺に有利ではある。
一見のところは。
攻撃魔術を練ろうとしたところで、トウコの姿が消える。いや、跳んだのだ。視線を下げれば、頭を低くした獣のような姿勢でこちらに真っ直ぐトウコが跳んできている。
速い。視線を合わせた時には、既に至近距離。
魔術は間に合わない。
だが、それは読み筋。
俺はそのトウコに向かって袋竹刀で突きを繰り出す。一応、ダンジョンで修羅場らしきものは潜ってきた。本職のものに比べればぬるいが、しかし素人のものではない。そんなレベルの突き。
しかし、トウコは凄まじい速度で真っ直ぐに進みながらも、俺の突きを見切ってかわす。かわしながら、俺のすぐ傍にまで迫る。
同時に小手。
突きを出した俺の手に向かって、袋竹刀が迫る。
フェイント。
俺の両手は、既に袋竹刀から離れている。いわば、突きの形で袋竹刀を放り投げたようなものだ。そして、全力で体ごと後ろに退いている。背中を壁にくっつけるほどに。
トウコの攻撃は俺の手には当たらない。
だが、そこでおしまい。
当たらないと見切るや否や、トウコは即座に竹刀を斬り返す。こちらの喉を切り裂くような、下から上への斬撃。
一方の俺は、無茶な動きをしたために背中を壁にくっつけたままで無防備、そして武器すらない。
そうして、無防備な俺の喉元に袋竹刀が伸びて。
「え」
トウコの目が見開かれる。
袋竹刀の剣先は、俺に届くことはなかった。
すっぱりと、透明の刃で斬られたように、トウコの袋竹刀は剣先が切り落とされていた。
やった。
ちょっとした喜び。だが、それもつかの間。
まず、心臓が勝手に縮みあがる。痛い。
あれ、何だこれ。
そして、恐怖しているのだと理解する。目の前の存在に。
見開かれたトウコの目には一切の感情がなく、それまでの鋭さもなく、ただ虚空の穴のように俺を見ている。
殺される。
瞬間的に、理解する。間違いなく殺される。それだけは分かる。理由も理屈も飛び越えて、そう直感する。
「お」
恐怖の叫びが俺の口から漏れようとする、その寸前。
「ヴァンの勝ちだな」
いつのまにか寄ってきていたスライスが、トウコの腕を押さえている。
「面白かったな」
立ち上がったマサカドが言いながら、腰の剣に手を添えているのが視界の隅に映る。
「うん、いいもの見れたなぁ」
のんびりと言いながら、ダイゼンの目が吊り上っている。表情は鬼、いや、笑っている鬼か。そう、笑っている。嬉しそうに。
「探偵なんだから、謎解きくらいしてくれるんでしょ?」
軽い口調のライカの手に、何かが握られている。
それが、トウコの腰に差していたはずの鞘に入った刀だと気付いたのは、一瞬遅れてだ。
「負けました」
そうしてトウコの目はいつものように鋭いものになり、刃のような口調で負けを認める。
ようやく、俺はそこで息を吐く。長い、長い息を。
どうにか、生還できたらしい。




