試験(1)
校庭には、今回の受験生のほぼ全員と思われる、千人近い受験生が集合している。
俺はキリオと同じタイミングで校庭に足を踏み入れる。
ちなみに、本当に何となく同じくらいに教室を出ることになったから結果としてタイミングが同じになっただけで、校庭に来るまでに俺とキリオは会話の一つもかわしていない。
これから魔術試験という興奮もあってか、校庭はざわつきに支配されている。
そんな熱に浮かれたような集団の中にあっても、キリオは変わらない。
というか、どんな様子か確認しようと横目で見た瞬間に、目が合って睨み返される。俺は慌てて目を逸らす。
目を逸らした先に、ボブの顔を見つける。
あの巻き毛の男は、同じように浮かれて取り巻きと何やら喋っていたが、俺とキリオの姿を見ると顔を赤く膨らませて何やら取り巻きと一緒に喚いている。
癒しキャラだな。
レオ・バアルもまた、ざわつきとは遠く離れた状態にあった。
集団の中にあっても、あの巨体とたてがみのような金色の髪は目立つ。レオは背筋を伸ばし、ただ立っているだけだ。誰とも喋っていない。
だが、それだけで、この場にいる誰よりも存在感を放っている。
「さて、諸君」
そして、ざわつきは唐突に登場した、黒いローブを身にまとった老人によって停止させられる。
しわがれた低い、けれども良く通る声が、校庭をしん、と静まり返らせる。
いつからその老人がその場に立っていたのか、どういうルートでその場に至ったのか、全く分からない。
気付いた時には、その老人は校庭の中心に枯れ木の如く立っていた。
かなりの年代物と思われる、ボロ布のような黒いローブを老人は身に纏っている。
今にも地面につこうかとするくらいに長く白い髭。その髭以外は、ローブの中の闇に隠れて顔は全く分からない。
老人は両手で長い無骨な杖を持っている。
その手はやせ細り、皺とひびが無数に存在する。指は長く、爪が獣の如く厚く鋭い。
マーリンだ。
実際に見るのは初めてだが、名前だけは俺でも知っていた。
士官学校の校長であり魔術学の教師、そして宮廷魔術師筆頭でもある老人。王族すら敬意を払い、他国からは警戒される、シャークの大参謀であり第一級の魔術師。本名を誰も知らない、過去の無い男。
ヴィクティー姫、レオ・バアル、そしてマーリン。
現在のシャークで、王よりも有名なのはこの三人くらいだ。
「それではこれより魔術試験を始める」
この上なく簡潔に、マーリンは伝えてくる。
「『氷』と『爆発』だ。わしに近い奴から見せてみろ。爆発は上空で起こせよ」
課題は氷と爆発か。試験としてはスタンダードだな。
俺がそう考えるのには理由がある。
どちらも、魔術の腕を見るにはうってつけのテーマだからだ。
例えば、氷。
温度を下げるイメージだけでは、氷は出現しない。水を凍らせることはできるが。
氷を出現させるには、空気中にある水を集め、それをしながら温度を下げていくことが必要になる。つまり、実際には二種類の魔術を同時に行使しなければいけない。よりイメージの難度は上がるわけだ。
爆発も、属性とすれば火と風の魔法を同時に使うようなイメージが必要となる。
さっそく、我こそはと思う受験生から、マーリンに受験票を渡し、魔術を披露し始める。
ばん、ばん、と空で小規模な爆発が起こる。あるいは受験生達が掌に氷を作り出す。
大体の爆発は癇癪玉程度、大体の氷はペットボトルのキャップ程度の大きさだ。
そして、爆発と氷の生成が終わると、マーリンは無言で受験票に何事か書き込み、それを受験生に返す。
返ってきた受験票を受け取った受験生のうち大体半数は肩を落とし、もう半数は顔を上気させて笑顔を噛み殺している。
驚くべきことに、受験生の中には爆発をそもそも起こせなかったり、氷を作ることさえできない者もいる。
絶対、ここらへんが試験で出題されると予想できるのにできないまま受験しにくるというのが凄い。記念受験だろうか。
いい結果にせよ悪い結果にせよ、結果が出た受験生は次々に校庭の隅に移動していく。終わった奴らはそうやって後の受験生の試験を見学する流れらしい。
校庭が片付いていって、段々とマーリンが近づいてくる。もうすぐ、俺の番だ。
と、俺よりも先にボブがマーリンに受験票を渡す。
ちらりと、馬鹿にするような目を俺とキリオに向けてからボブは掌を天に向ける。
ばん、と今までの爆発よりも明らかに一段階大きい爆発音がする。
おお、と受験生達もざわめく。
あの小太り、口だけじゃなくてちゃんと実力もあったのか。見誤ったな。
続いての氷も、野球ボールくらいの大きさの氷を作り出す。
受験票を返されたボブは、得意げな様子を隠すことも無く、俺とキリオの方を見る。
キリオが恐ろしい顔で睨み返しながら、つかつかとマーリンに歩み寄る。
一方のボブは、いやらしくにやつきながら校庭の端に移動する。
どうやら、俺やキリオの結果を見て馬鹿にしてやろうという腹積もりらしい。
そして、キリオの魔術が始まる。
ばん、と爆発音。キリオがさっそく空中で爆発を起こした。
中々の大きさだ。今までの受験生の中でもかなりの上位。だが、ボブの爆発よりは小さい。
氷の精製も、ゴルフボール程度の大きさだ。合格には充分だろうが、ボブには勝てない。
それでも、周りの受験生は感嘆の声をあげるが、当のキリオは、真っ赤な目で、自分自身を睨み殺すかのような目つきで地面に目を落としている。
悔しいのだろう。それくらいは分かる。
どうなっているかと見てみれば、ボブは楽しそうに笑っている。腹を抱え、取り巻きに何か言いながら指まで指している。
あいつ、性格悪いな。知っていたけど。
唇を噛み締めてキリオは受験票を受け取り、赤い目で校庭の端に寄る。
マーリンが近づいてくる。
ここは俺が、と思う間もなく。
レオ・バアルが受験票をマーリンに手渡す。
自分から渡しにいく、というよりもマーリンが目の前に来たから自然と渡した、という感じだった。
レオが魔術を使う、というので一気に校庭中の注目が集中する。
その注目を意識しているのかしていないのか、ぶれずに堂々とした立ち振る舞いで、レオが掌を天に向ける。
ばん、とボブの時と同じ程度の爆発が起こる。
おお、と受験生から声があがり、ボブの顔が悔しげに歪むのが見える。
いい気味だ。
次に氷の魔術を使おうとしたレオだったが、
「待て」
と、魔術試験が始まってから初めて、マーリンが口を開く。
そして、そのままレオに何事か書いた受験票を渡す。
受け取ったレオは少しの間目を丸くしていたが、にやりと笑ってそのまま校庭の端へと移動する。
何だ、今のやりとり?
そう疑問に思っている間に、マーリンが俺の目の前まで近づいてきていた。
「あ……」
近くで見ても、マーリンのフードの奥は完全な闇になっていて見えない。フードから出ている白い髭と両手だけが、そのフードの中に人間がいることを証明している。
次は、俺か。
よし、やるか。
落ち着いている。そうだ、大丈夫だ。
マーリンに受験票を渡す。
校庭の注目が、俺に全て集まっているのを感じる。さっきの、レオの時とは逆の注目。身の程知らずにも士官学校にやってきたただの平民が、無様な結果を残すのを期待する注目だ。
ボブが正にそんな顔をしている。だが、ボブが特に目立つだけで、ほとんどの連中が同じ種類の目をしている。
いいぞ、見返してやる、こいつら。
俺はゆっくりと天に手を挙げる。掌を上に向ける。空を睨みつける。
爆発。イメージで重要なのは、圧縮だ。極限まで圧縮してあったものが、一気に解放されて爆発する。そのイメージ。そうだ、あそこ、あの場所に全てを圧縮する。俺の手から流れ出る魔力が、あそこに爆発する何かを圧縮するイメージだ。そう、それは熱を加えたら何百倍、何千倍にも膨張する物質だ。そんなものが、限界まで圧縮されてあそこに存在する。
イメージする。目に見えるほどに強く。
きりきりと音がする。何の音かと訝しく思ったが、何のことは無い、自分の歯軋りだ。
やってやる、今までで最大の爆発を。
ブラックホールのように圧縮した爆薬が、今、空にある。そうイメージする。
そして、そこに、今、高熱が。
花火。
打ち上げ花火を近距離で爆発させたら、こんな感じだろうか。
轟音と、全身を振るわせる衝撃。そして、空を塗りつぶす閃光。
自分でしたにも関わらず、その衝撃によろける。
「うわっ」
叫んだはずが、聞こえない。
え、何でだ?
すぐに気付く。耳鳴り。きぃぃぃん、としか聞こえない。
横を見れば、受験生の大半は耳を押さえたまま、地面にへたりこんでいた。
ボブも、いつもはすぐに赤くなる顔を青ざめさせて、ぱくぱくと口を動かしている。
やりすぎたか、ひょっとして?
キリオは立ってはいるが、衝撃が凄まじかったのか自分を守るように両手で自分を抱いている。鋭い目は珍しく見開かれている。驚いているってことか。
レオは、笑っている。
しっかりと立って、自信に満ちた笑顔をしている。
「素晴らしい」
大声で賞賛して、レオは拍手まで始める。
やめろ、ちょっと、恥ずかしい。
「君は」
声がして、俺はレオから視線を戻す。
マーリンが、俺に語りかけてきている。
「君は、どうやって魔術を習得した?」
それは、マーリンが魔術試験が始まってから初めてする質問だ。
「ああ、それは、この」
小脇に抱えていた『基礎魔術理論』を慌てて差し出す。
「この本で、勉強しました。実践も含めて」
「……これで、勉強?」
マーリンの低い声に、笑いが含まれる。
「え、ええ、分かりやすかったので」
何か問題があったかな、と不安になる。
「分かりやすかったか、そうか、くく」
マーリンは、ついにはっきりと笑う。
「誰もが難解すぎると言って、結局この後の応用魔術理論を発表する場すらなくなってしまった曰くつきのこの本をな、くく。私の失敗のひとつだというのに」
「え?」
じゃあ、この本の著者って。
「氷はいい。君は、特待生になるつもりか?」
「え、は、はい」
「だろうな。よろしい、君が今年の特待生だ」
至極あっさりと言って、マーリンは受験票を返してくる。
合格、と記されている受験票を。
受け取って周りを見回せば、さっきまで俺に集まっていた視線は一変している。
誰もが、俺を、恐れるような目で見てくる。
あのボブでさえ、俺と目が合いそうになったらさっと目を伏せる。
恐怖を全く感じさせない顔をしているのは、受験生の中では二人だけ。
未だに拍手を続けるレオと、赤く充血した目で睨んでくるキリオ。
ともかく、そんな風にして、入学試験は終わった。
本当に、俺は特待生になれたのか? 全然、実感がない。が、ともかく終わった。とりあえず今日のところは宿屋に向かう。明日から、この学校で学ぶことになるんだ。
ぞろぞろと、試験の終了と同時に受験生達が校門に向かう。
俺も同様に向かうが、俺の周りからは人が離れていく。それどころか遠巻きに囲んでひそひそと話している。
はっきりとは聞こえないが「平民が」とか「邪法を」とか「いんちき」とか聞こえるので、どう考えてもいい内容じゃあない。
知ったことか。特待生になったのは俺だ。
と気張りつつも、やはりへこむ。
そこに、
「さすがだ。想像以上だ」
と、大きな声を出しながら俺に近づいてくる男がいる。
レオだ。
獅子のような男は、気安く俺の横に並ぶと背中をばんと叩いてくる。
衝撃で俺はつんのめる。
「何の背景もない平民だと思って侮っていた馬鹿共の呆然とした顔、最高だったな」
大声で、そんな敵しか作らないようなことを言う。
「い、いやあ」
「俺の目に狂いはなかった。そうだろ?」
強い目で、俺を覗き込んでくる。
俺は思わず足を止めてしまう。
「ああ、特にメージンの馬鹿息子は最高だった。多少魔術の才があるからといって増長した馬鹿息子の顔。なあ、キリオ、最高だったな」
そう呼びかける先には、一人で校門を出ようとするキリオの姿がある。
おいおい、そんな風に言ったら、あのナイフみたいな少年がまた殺気を丸出しで睨みつけてくるぞ。
俺はそう心配するが、
「……悔しいけど、すっとした」
と、こちらを向いたキリオは、鋭い眼差しのままながらも意外にもレオの意見に同意する。
「そうだろうそうだろう。なあ、キリオ、ヴァン」
そこで、レオは手でキリオを招き寄せる。
訝しげな顔をしながらもキリオは俺とレオに近づいてくる。
どうでもいいけど、俺達三人、さっきから他の受験生の注目を無茶苦茶浴びてるぞ。もちろん悪い意味で。俺のせいもあるだろうけど、レオが敵を作る発言ばっかりするのも一因だ。
そして、近寄ってきたキリオと俺を交互に見ながら、レオが提案してくる。
「どうだ、この三人で今夜、晩飯でも」