第9.5 兆し
誠が帰ってきた!誰に教えてもらうでもなく直感で察知した私は、一目散に玄関へと足を運ぶ。・・・昨日の件もある。今日は(も)自重せず飛びついてやることにした。
ゆっくりとドアが内側に傾き、直後、私は身を躍らせた。猫である利点その2、脚力が凄い。ゆうに身体の倍の高さまで跳躍し、そのまま誠の顔にダイブする。
「ただい――うおッ」
誠が驚いて目を見開く。私は構わずその顔にしがみついた。
「だ~れだ?」
思わず笑いが漏れる。他のメスもいないようだし思いっきり甘えようと、結構打算的な思考で行動していたが、結局、考えもない本能からの甘えになってしまう。しかしそれも仕方のないと言うもの。誠を肌で感じ、匂いを嗅げば、全てがどうでも良くなる。至福の一時などひと言では形容できない、幸せが私を覆っている。「ああ、誠だ」と、私は心の底から安堵し彼の胸に抱かれる。彼が苦笑し、注意を促すのをどこ吹く風とばかりに受け流し、私を包む誠の腕に身を預ける。
・・・しかし、ここにきて少し違和感を覚えた。既に下ろされてしまったが、何時もならそのままリビングまで抱いたまま運ぶか自分の頭に私を乗せるなど、楽しげに遊んでくれるのに。
「これは、怪しいわね」
私は誰に言われるなくして直感でそう感じた。まあもっとも、そんな曖昧な直感に頼らずとも、じっくり観察すればわかることである。例えば、誠の足取りが何時もより遅い。――これは、悩んでいるか考え事の証拠!他にも、誠の表情が何時もより優れない。――つまり、精彩を欠いている。=悩みだ!ふっふっふ、伊達に1年間誠と住んでいるわけではないのよ!
と、一人・・・一匹意気込みを入れた所で、
「何かあったのか、相談に乗りましょうっ」
――という訳で、観念した誠をリビングまで連れて行き、私は机に乗っかった。そこで私が振り向くと、誠も理解した(苦笑した)顔で椅子に座った。それでも、目線的にはまだまだ誠とは差がある。なので必然的に私は背筋を伸ばす羽目になる。・・・目と目が合う~しゅn、コホン。誠と目を合わせ、先を促す。
「さあ、早く話しなさい」
「・・・・・・」
しかし、一向に話を始めない。それどころか視線まで外す誠に業を煮やし、その顔を引っ掻いてやる。
「痛ッ!」
痛みに顔を顰める誠を、悲しげに目を細める自分がいる。
好きだからこそ、悩みなどを相談して欲しい。少しでも誠の役に立ちたいと日々考えている。だが、その思いが伝わることはない。・・・でも、伝えたい。願っても叶わぬ願いが、頭に出ては消えてゆく。
遣る瀬無い思いを言葉に込め、私は再度促す。
「今更渋ってないで、いいから私に話して!」
もはやヤケクソに近かった。でも、誠も誠で私を理解してくれようとしてくれる。その御陰で、私が心配しているということはキチンと理解している。今はそれだけが救いだ。
内向し始めた頭を切り替え、私はニヤリと笑みを湛える。まーだうじうじ視線を落とす誠に、私は今度は爪を見せてやった。
「わ、わかった。言うよ」
「クス、やっとか」
流石に私の意図が分からぬ程愚か者でもないようで、降参の合図か両手を上げようやく口を開いた。
「ど、同級生に告白されました。どうしよう?」
だが、その相談内容は、余りにも・・・・・私の心を抉る内容だった。思わず数秒呆然としていた程だ。だが、理解が及ぶと途端に頭に反響し始めた。「告白」「同級生の告白」「人間のメスから告白」もはや自分の声と誠の声がごっちゃになって、頭が割れそうだ。だが、それでも一つの真実を捉えていた。
誠が、告白されたッ!
恐れていた事態についになってしまった。そんな・・・
――嘘だッ!!嘘だッ!!嘘だッ!!うそだ・・・
・・・誠と事だ。きっと相談内容は受けたほうがいいか悪いかだろう。誠自身、女性に興味が無いのは、残念な事に実証済みだ。だが、誠に好き嫌いかは関係ない。相手が困るか否か、幸せか否かの四択だろう。だからこそ、マズイのだ。
だからこそ・・・・・・どうしようもないのだ。
相手がそれで幸せだと知ったら、誠は気負うことなく直ぐさま受けるだろう。そんな男なのだ。だから、私にはどうすることも、できないのだ。邪魔をする?でも方法が無い。いっぱしのクソ猫が何をした所で頓着はない。唯ウザがられるだけだ・・・
何でッ!・・・いや、これでも遅いほうだ。誠の魅力など、それこそ余りあって零れ落ちる程ある。そんな誠の魅力に気づかぬ筈がない。よかった・・・・のかな。そうだよ。私は、誠だけの幸せを願って、過ごして、一生を誓ったんだ。誠が付き合って、笑顔でいられるなら、たかが猫の私にはできない色んな幸福を与えてくれる存在がいれば、私などいなくても誠は・・・誠は、
「あれ?何だろう・・・頬に何か通っていく・・・・。これは、涙?」
「ど、どうしたんだルナッ」
「――ッ!」
思わず駆け出す。
誠の静止の声も聞かず、私は一目散外へと駆けてゆく。
外はどんよりとした曇りだった・・・いや、今降り始めた。
・・・・丁度いい。私の止まらない涙も、洗い流してくれることだろう。
「あはは、あははははは」
空虚な笑いが溢れる。笑わずにいられるだろうか。こんな絶望、二度と味わえないのだ。人生に一度、一番の幸せが、今、終わった・・・・
「は、は・・・・嫌だ。」
でも、それでも・・・
「嫌だッ!誠がどっか行っちゃうなんてッ!私の傍にいてくれないなんてッ!私のものにならないなんてぇッ!!嫌だあああああああああああぁ」
ひとしきり叫び、私は地面へと転がる。もう、このまま死んでしまいたい気分だった。
・・・もし、私が人間だったら。一体何度願い、恋焦がれた思いだろう。馬鹿みたいな願い。でも、もし、私が人間になれたら、誠と手繋いで、誠とキスして、誠と・・・
「人間に、なりたい」
ピシャアッ
突然雷が鳴り出した。そんなの構うもんか。
「私は、人間になりたいッ!」
空へ
誰かへ
誠へ
何でもいいから、叫びたかった。このたまらない願いを聞き届けたかった。私の言葉を何かに聞いて欲しかった。
そして、
「人間になりたかった」
――直後
「ぐっ」
胸に急激な痛みが走った。まるで内側から溶けていくようなそんな痛み。
「うううう・・・グ、」
しかも、収まるどころかどんどん増幅していく。もはや痩身に力が入らない。ずぶ濡れの身体が一ミリも動かすことができずにいた。
「はは・・・・私、本当に死んじゃうのかも」
ああ、それなら最後は誠に、キスしたかったなぁ・・・
そんな状態でも、誠の事を考えると笑顔になり、動かなかった身体も、誠がいるであろう方向に動いた。でも、もう遅かった。瞳が霞掛かり、動いた手も、虚しく地面に落ちる。
「ごめんなさい。私、もしかしたら化けて出るかも・・・」
ボケた台詞を最後に、私の意識は闇へと落ちていった。