一日目:運命的邂逅④
そんな僕の窮状を無視してキョトンとした顔で訪ねてくる彼女に対して、僕の眉はひそめられていった。
僕は彼女の事を当然知っている。といっても噂話に効く程度だが、それでもそれなりに彼女のことは知っている
故に僕が彼女の名前を思い出せるのはいかほどの不思議もありはしない。
だがしかし彼女が僕の名前を知っているのはどうしてだろうか。
人間は対象に対する興味や前情報があればすれ違う一瞬でも対象の人相を記憶できるが、逆にそれらがなければ風景あるいは障害物程度にしか見えない物だ。
それなのに彼女が僕を知っているのはどうにもおかしい。人の噂にも上らない程度の僕に興味があり、調べたことがあるという訳ではないだろうに。
それともまさか僕が忘れているだけで過去に面識があったりするのだろうか? 僕が忘れていて彼女のような才女が覚えているという事象など当然のごとくある訳だし。僕の記憶力など彼女のそれに比べて信用に足る訳がないのだし。
もしそうだとしたら僕はとても失礼な人間だろう。面識があるということを忘れているというのは、彼女と過ごした時間をなかったことにしたのも同然なのだから。
「あの、どうして僕の名前を……?」
いずれにしても、僕は勝手に自分の名前を知られていい気をするほど目立ちたがりではないし、疑問を残すのは気持ち悪いので一応訪ねておいた。
すると彼女は、さも不思議そうに首をかしげて、
「え?だって隣のクラスでしょ?」
……僕の心配はどうやら杞憂で済んだらしいが、それ以上に何か釈然としない物が残った。
どうやら彼女は隣のクラスの人間の名前まで把握しているらしい。いや、もしかしたら同じクラスの人間が知り得る程度の情報を所持しているかもしれないし、その範囲は学校中に及ぶのかもしれない。
どちらにしても、僕程度とは比べ物にならないほどの記憶力を保持しているのは間違いなかった。だってそれが当然みたいな顔をしているもの。
「そ、そう……あ、これ」
彼女の記憶力に軽く引きつつも、いつの間にかしっかり握りしめていたタオルを彼女に手渡すことにした。
「ありがと。うわ、砂まみれになっちゃっ……て……」
ふらりと。僕からタオルを受け取ろうとした彼女の体が、唐突に横倒しになる。
それに無意識下で反応したのであろう僕は、咄嗟に彼女の体を支えることに成功していた。
よくもまぁ反応できたものだと珍しく自分のことを褒めてやりたくなったが、それどころでもなかったので自重しておいた。滅多にない事なのに。
倒れるほどに体調不良な彼女を抱えて慌てふためいた僕の頭は、なんとかやはりこういうことは専門職の人に判断してもらった方がいいだろうという思考を捻り出した。つまりはまぁ、119番だ。
僕は今どきの高校生にしては珍しく携帯という物を所持していない。だからこういう時は公衆電話を使用する他ないのだけれど、彼女を抱えていたのでそれはできなかった。
僕が公衆電話にまでたどり着くには、彼女をベンチかどこかに横たえなければならない。そんな時間も惜しかった僕は周りに助けを求めようと辺りを見回し、
「待って」
弱弱しくも力強い声と、残った力を振り絞って僕の手を掴んだ彼女に、僕は行動の停止を余儀なくされた。
「ちょっとふらっとしただけだから。大丈夫だから………」
縋るような瞳でこちらを見つめながらうわ言を繰り返す彼女に、僕はどうしても抗えずに上げかけた声を引っ込めた。
けれど、それは僕が彼女をこのまま放りだすことを意味してはいない。
彼女はふらっとしただけと言ったが、恐らく熱中症だろう。素人判断で確実とは言い難いが、状況と症状から見て十中八九熱中症である。
熱中症というのはありがちだがとても怖い病気であり、きちんと処置しないと命にかかわる病気である。
だから僕はなんとか彼女を抱え直し、その時漂ってきた女性特有の甘い香りと汗のニオイの混じったモノにくらっとしながらも、木陰のベンチまで運んでいくことにした。