一日目:運命的邂逅②
「なぁ、今回のテストどうだったよ?」
教師の説教とも愚痴ともつかない独り言を同じく聞き流し、横から声をかけてきた彼は天谷 総克。僕の悪友である。
悪友と言ってしまうと聞こえが悪いかもしれないが、これでなかなかいい奴だし、何より特筆すべき点はキャラが濃いということだろう。意外と軽いノリと粗暴な言葉遣いはともかくとしても、染めに染めた茶髪を逆立て、金のピアス左耳に付けたその風貌はまさに町のチンピラと呼ぶにふさわしい、そんな小物臭漂うチョイスだった。
ただ惜しむらくは、それでも僕の凡庸性を打ち消すには至らないことだろうか。まぁ友人にそこまで求めるものではないと思うし、付き合っていると楽しいのは事実なのだけれど。
「そういう君はどうなんだ?」
「国語ってのはいけねぇよな。こっちがちゃんと文意読み取ってても教師が取り違えてやがったら話にならねぇ」
そう愚痴をこぼしながら自分の答案を、特に成績の部分、98点と書かれたところを指さしながら僕に見せてきた。
この男、そこらにいるようなチンピラ風味のくせに頭が非常にいい。それどころか身体能力も最上級ときている。正直なところ友達になった当初は信じられずに何度も彼の答案を確認したものだ。
以前、僕がまだ凡庸であることに耐えられずに足掻いていた頃。そんな彼に勉強の秘訣を聞いてみた事がある。期待と希望に満ちたその僕の問いに返ってきた答えは、特に何もしていないというシンプルで絶望的なものだった。
すなわち才能というやつである。
なんなのだろうこいつは、ギャップ萌えでも狙っているのだろうか。僕はその時意味もなくそう思い、そして割と本気で神を恨んだりしてみたものだ。どうして僕ではなくコイツに才能を与え給うたのかと。まぁそれゆえに悩みもあるみたいだから、結局神様というのは案外公平な存在なのかもしれないと思わないでもない。
今思うと、僕の平均少年への道は彼との出会いから始まったのかもしれない。
「で、お前は何点なんだ?」
この世の不平等を若干の苛立ちと大部分の諦観をもって嘆いていた僕に、彼は再度問うてきた。
彼が自身の点数を明かした以上、僕が教えないのはフェアじゃない。僕は意外とそういったことを気にする性質なのである。
「僕は72点だ」
「……また平均近くかよ」
呆れた風に言う彼に少々カチンときたけれど、毎度のことなのでその感想も仕方のないことかもしれないと思い直した。
その代わり、僕はとりあえず弁明らしいことをしてみた。
「君はあたかも僕がサボったかのように言うけれど僕は世間一般で言うところの凡人でありどれだけ努力したところで越えられない壁というのは存在するわけで。であればわざわざ越えようとせずとも許される程度の壁を持つ僕はそんな無駄な努力をするよりも他のことに力を使ったほうが有意義だと思う訳で。そもそも僕はテストという不特定多数をヒエラルキー的にランク分けする行事に賛成的ではないしであればそんな行事に力が入らないのは当然のことであるしむしろ僕がその行事に力を入れてしまえば結果的にその行事を肯定することに繋がるので僕としては力を入れる訳にはいかないので、だから」
「つまりはサボってたんだな?」
「……そういうこと」
さすが成績優秀者。僕程度の長文には惑わされなかったか。
彼は器用にも教師に気付かれないように、しかし横目で彼を見る僕には見えるようにぴっと指さしてきた。
「お前も少しは頑張れよ。そうすりゃ成績だって伸びるんじゃねぇの?」
「……面倒臭いんだよ」
僕は彼から視線を逸らして、そんなありきたりな理由を述べた。
それは確かに嘘偽りない本音であったが、僕が努力しない理由はそれですべてではないし、それを彼に言うつもりもなかった。
「お前なぁ……俺のお袋もよく言ってるんだがよ。今の時代、成績良くなけりゃ進路が狭まんだってさ。お前も安い給料でこき使われたくなきゃ、頑張った方がいいぜ」
なら君は今すぐその風貌をやめた方がいいという言葉が喉から出かかったが、僕の喉は寸でのところで別の言葉を発した。
「僕はそれなりに生きてそれなりに死ねたら、それでいいって思ってるから」
彼がなんと言おうと僕は生き方を変えるつもりはない。
人には分相応というものがあるのだ。今苦労して教科書の内容を勉強しても、それら知識は恐らく将来においてほとんどが役立たないだろう。大工が過去の偉人を知っている必要はないし、喫茶店の店員が微分積分を知っている必要もないのだから。
だから、中高の教育を将来につなげようと思えば大学への入学を志さなければならないだろう。しかもステータスを得ようとすれば難関の大学へ進学しなければならない。
そして苦労して難関大学に入った後にはまた苦労して進級し続けねばならない。
そして苦労して大学を卒業すればまた苦労して就職活動。
そして苦労して就職すれば、難関大学卒業にふさわしい能力を会社に求められ続ける。
結局何を言いたいのかといえば、身の丈に合わぬ生き方は常に自身へ苦労を強いるということだ。必死に努力して得る未来がそれでは、あまりにもむごいではないか。
だから僕は努力しない。そんな道は、努力したい凡才と、その道が苦にならない天才に任せればいい。そんな人達だけで世界の数少ない特等席は埋まり、僕も分相応な職場に割り振られるだろう。いわゆる適材適所の実現だ。
それに僕は、努力したところでどうしようもないから。僕は努力を諦めているのだ。
「はぁ~……これだから怠け者の平均少年は」
そんな僕の返答に、彼は長いため息とともにやれやれと肩をすくめる。僕はそれをちらりと横目に見て、それから窓の外に視線をやって呟いた。
「人生なんて、それで十分なんだ」
僕のこの生き方も結局のところは高校生特有のひねくれてみたいだけの人生観に則ったモノかもしれない。しかしそれでも今の僕はそれでいいと思っているところが、怠け者の平均少年たる所以だろうと思うのだった。
怠け者として当然のごとく帰宅部である僕には、放課後になったところですべきことがある訳もなく、また特に寄り道する用事もなかったのでまっすぐ家に帰るだけだった。
人生のifを想像することに意味があるのかはともかくとして、もしここで僕がもう少しの間だけでも天谷 総克と会話していたなら。もし僕が行きつけとも言えない程度に訪れる本屋に訪れていたなら。
今後の僕の人生は大きく違っていただろう。まぁ違わなかったかもしれないけれど。
とにかく、この時点の僕は知る由もないが、ここが人生の分岐点だった。