くまさんと萬次郎①
このお話は、昔々というほど昔ではない江戸時代末期のお話です。そのころのお江戸日本橋は、今のようなコンクリートジャングルでも、すす汚れた煙たい空気が充満する街でもありませんでした。緑があちこちに萌え、せせらぎの音がさえずり、子供たちの明るい笑い声が絶えない街でした。皆が皆とてもじゃないけど裕福と言うにはほど遠い生活でしたが、何よりも幸せを実感できているようなそんな世界でした。
さて、この街のとある長屋に一人の男が住んでいました。6尺もあるような長身で中肉中背。着流しの装いがこれまた風流。遠くから見るとちょっとしたイケメンの類いなのですが…。近くに寄ってみると無精髭をこれでもかとのばし放題、おまけに時代錯誤なまんまる眼鏡をかけているものですから、「遠くでどっきり近くでがっくり」といった感じなのです。この男名前を逢坂熊士郎といい、元はどこぞの藩のお城勤めだったようです。でも今は日がな一日を長屋で過ごしたり、たまに散歩しながらあちこちでだべったり、子供たちに「さっかぁ」とか言うわけのわからない蹴鞠を教えて、カラスが啼くまで夕日に向かって走っていたりと、それはそれは生産意欲の全くない無駄な毎日を送っていました。今で言うところのまさにプー太郎なひとだったのです。でもどことなく憎めない人柄で、面倒見もよく、気さくな人柄でもあったころから、長屋では結構の人気ものでした。そのせいか周りの人から「ぷーのくまさん」という通り名をもらっており、また自分でもこの名称が「かわいい!」とか言って気に入っていたようです。
さて、一見すべてが不詳のこのくまさんはこの春突然この街にやってきました。いや、正確に言うと桜が舞い散る神田明神の境内でのたれているところを、この長屋のオーナー、松竹梅屋の一人娘のお鳩さんが見つけて担ぎこんできたのです。その日は小春日和の本当によい天気で、お鳩さん主催の合コン兼お花見会を企画して、その場所取りと準備の為に出かけたそうです。弁当箱とお酒の準備をしてちょっと残りのものを取りに戻ったとき、草陰からこの野たれ男がのそのそとくまの様に出てきて、いつの間にか甘いものに手を出していたそうです。何本ものみたらし団子を食べた後、おなかがいっぱいになったのかそのまま寝込んでしまったところを戻ってきたお鳩さんに焼きを入れられたそうです。でも本当に可哀想なことに、その団子がくさっていたのか、お鳩さん自家製だったのが不運だったのか、はたまたお鳩さんの「やくざキック」が致命傷だったのかはわかりませんが、くまさんはその後うずくまってしまい、動けなくなってしまったのです。それを見て心の呵責に苛まれたのか、お鳩さんがこの長屋に担ぎ込んできたのです。
まぁ、後々良く聞くと意外にもこのくまさんの容貌がお鳩さんのつぼにはまっていたのかも知れません。今でいう渋ギャル系のお鳩さんをして、
「私って〜、別にぃ〜そこらのハンパーニャン(本人は半端者のつもり)やヒキコモりん(ニートのつもり)がどこでどざえモンになってもいいんだけどねぇ〜。ぷーちゃん(本人はくまさんをこう呼んでいる。)はねぇ〜、何か違う気がしたのよね〜。下半身からぞくぞくってするものがあって、拾ってきちゃった!(笑)」といわせる始末。さてその後数日介抱してあげるうちにくまさんは快方に向かったのですが、その過程でこの長屋の人とも仲良くなり、おもしろい冗談を言うものですから、進められるままにこの長屋に居着いてしまったのです。まさにその名が示すような不思議な魅力で周りの人に受け入れられてしまったのです。お鳩さんの「まぁ〜、いいんじゃない?」という一言もあったせいもありますけど…。
とはいえ、松竹梅屋もこの長屋業をただでやっているわけではありません。お鳩さんが「いいんじゃない?」とは言っても、店賃を払わないやつは置いておけないと言ったそうです。そこでこのくまさんに何かできることはないか?と聞いたところ、意外にも「占いをかじったことがあるよ!」という話が出てきたのです。そこで最初お鳩が占いをしてもらったところ、それがあたり、今度は彼女の友達が見てもらったらこれがまた大当たり。ことごとく彼女の友達がしてもらった占いがあたるものですから、ほんのわずかの間に「カリスマ占い師」と呼ばれるまでになってしまったのです。そこで、お鳩は知り合いの瓦版屋の卯吉を引き込み、記事にさせたのです。その売り上げも上々。あたるという評判の噂が噂を呼びいつの間にか瓦版を出せばいつも完売! 週1か2くらいの記事を書いてしっかり原稿料がもらえるまでになったのです。それで長屋の家賃もしっかり払えるようになったので、大家も何も文句は言えません。どんなに見かけが悪くてもしっかり家賃を払う店子は大家からすれば優秀な子供です。またなぜかお鳩さんも「ホの字」の様子。そんなこんなでぷーのくまさんはいつしかこの長屋になくてはならない存在になってしまったのです。
さて、このくまさん。これからいったい何をしでかしてくれるのやら…。ちょうどこのお話は梅雨の季節があけそうな7月の中旬からはじまります。ちょうど今卯吉がくまさんのところに原稿を取りにやってきたところです。
はじまり、はじまり〜。