第5話 何の準備をしているのか
翌朝、我は隣で眠る少女を起こさぬように活動を開始する。
起きた時に少女が腹を空かせるという事がないように、火を起こして魚を一匹捕っておく。
そのまま焼いてしまっても良いが、かなり匂いがするので少女を起こしてしまう恐れがある為、魚を締めて葉で作った皿に仮置きしておいた。
我も朝食替わりに再度川に入り、魚を数匹胃袋に入れる。
朝から結構食べると思うかもしれないが、基本的に魔力を宿す存在は大飯食らいなのだ。
魔力は、体内に取り込んだ糖や脂肪酸といった栄養と酸素を、細胞呼吸を通じて合成する。
この仕組みは動物がエネルギーを生成する働きと似ている。というか、細胞呼吸を通じて生成されるアデノシン三リン酸の加水分解の際に放出される自由エネルギーを……。
いや、細かい話はよそう。私の悪い癖だ。
まあ動物がエネルギーを作成するのとプロセスは近いのだが、効果に少し違いがある。
魔力は筋肉を反応させて収縮させるだけではなく、コーティングし、魔力自体が力場となって作用するのだ。
どういう事かと言うと、筋肉の力だけでは出せない力を出せるし、そんな事をしても筋肉が傷つかない。
もっと言うと体全体に魔力は放出されながら常に纏っている状態であるから、刃物を体で受け止めても傷付かない様に硬質化する事だってできる。
極めつけは脳波に連動して空中に式を描き、それを放出して魔法として外に放つ事も出来る。
これほど様々な、かつ強力なエネルギーにも関わらず、生きている限り常に生産されるエネルギーでもあるのだ。元となる栄養を大量に摂取し続けなくては、脂肪がすぐに無くなり飢えてしまう。
もう一度言うが、魔力が多い者はおしなべて大飯食らい、それは自然の摂理なのである。
だから別に我が特別食いしん坊という訳ではない。本当だ。
「……どらごんさん……おはよ」
『ああ、おはよう。魚をそこに置いてある、好きに食うがよい』
「ありがと」
結局起こしてしまったか。
まあよい、魔法の方も昨晩の内に構成はすんでいる、あとは実証実験を行うのみなのだが、素材を選ぶのに少女も一緒に選んでくれた方がいい。
そう思いながら、魚を焼き、ここ最近毎日同じものを食べているというのに、まるで初めて口にするごちそうを食べるかのように笑う少女の顔を見ながら、思い出しかけた昔の事に思いを馳せ、時の流れを感じながら少女の食事が終わるのを待つのであった。
○○○
『では少女よ、準備はよいか?』
「うん」
ちなみにだが、我は少女と会話する時、心で会話している。この会話方法に名前を付けるなら、念話とでもいうのだろうか。
勿論我々ドラゴンは意思疎通として口語、つまり口から言葉をしゃべる事も出来る。
だが、今の時代の人間を知らない我は少女の言葉を耳では理解できないし、少女にわかるように話す言葉も知らない。
ではなぜ会話が成立しているのかというと、念話であれば、伝えたい事がダイレクトに伝わるため、自動翻訳に近い事が起こっているのだ。
少女は声で我に話しかけているが、その実、念話でも話しかけてくれている。
音声では人間の言語、念話では我に伝わる言語が同時に入ってくる感じである。
残念なのは、少女はあまり多弁ではないという事。翻訳された念話と鼓膜から入る言語を照合して言語解析を行っているが、まだ少し人間の言葉を解するには時間がかかりそうだった。
……そうすると、あの洞窟で我の命を狙ってきた人間は何故我と会話できたのであろうか。
もしかすると、この念話に近い現象を魔力波を使って我の脳波に干渉し……。
「どらごんさん?」
むう、また悪い癖が出た。どうやら知らぬうちに思考が横に逸れて、考え込んでしまったようだ。
永く生きると、時間の感覚がおかしくなる。
『すまんな、いくぞ、ゲート!』
我の言葉と共に、眼前に、真っ黒で人間が使う扉くらいの大きさの空間が現れる。
我は少女に向かって言う。
『これはゲートという魔法だ。目印とした場所にいつでも移動できる便利な魔法なのだ』
「遠くに行ける?」
『ふふふ、距離は関係ない。何故なら、このゲートの魔法は、実際には移動ではなく指定した2つの場所の時空を歪めて繋げる魔法なのである。その歪んだ時空を通過する事で、結果的に距離という概念を無視して移動したという結果を得る事ができる。この処理は人間程度の脳では難しく、そも概念を理解する事も難しいであろうという事は明白で──』
「どういうこと?」
『……簡単に言うと、どこまでも行けるものだ』
「すごい!」
早急にこの考えが逸れる癖は直した方が良さそうだ。
ともあれ、こうしていても話はすすまない。我は少女に先立ってゲートをくぐる。
目の前に現れたのは、まるで図書館のような、所せましと並ぶ棚に無数の本が並ぶ大きなホールであった。
「ここ、どこ?」
『我の宝物庫である』
そう、ここは宝物庫なのだ。
誰も寄り付かない小さな孤島に築いた城の一室である。
我とて生まれてからずっと洞窟に籠っていたわけではない。文化と交流することもあったし、我を討伐しようとした者共を滅ぼした事もある。
今はもう滅んだ文明の人間たちと交流していた際に様々な物品を手にしたので、ここに溜め込んでいたのだ。
当時は人間に変成していたから、この城の仕様も人間サイズに合わせてある。少女でも困る事はないだろう。
そんな事を考えながら、我は本棚で出来た道を少し進む。すると、今度は乱雑に武器、防具、衣服、生活用品などが所せましとあるいは棚に、あるいは床に積み上げられている光景が目に入る。
ここが目的の場所だ。
『人間の少女よ。ここで旅の準備をしよう』
「うん、わかった。でも、何を持っていけばいい?」
『なんでも持っていくがよい……という事を聞いているのではなかろう。そうだな、まずは短剣など必要ではないか?』
「どこにある?」
言われて、我はいくつか短剣を用意する。短剣、つまりナイフはあった方が何かと便利だろう。魚以外の獲物を食すにあたっても、我は丸のみや齧りついて食っても良いが、少女は小さく切らなければ口に入らないだろう。
用意した短剣は、いずれも非常に質の良いナイフだ。
『このタングステンのナイフなどはオススメだぞ』
「綺麗だね」
示したのは、肉厚で片刃のナイフである。柄の部分が持ちやすいように、手に合わせて少し弧を描くようになっており、握りやすくて良いと思われた。
刀身は光を照返さない黒。フルタング構造となっているため、刀身を構成する金属の板が柄の内部全体にまで伸びている構造となっている。
この構造を採用しているナイフは、例えば薪割りのようなハードな使い方をしても柄から刃がすっぽ抜けたり、柄との接合部分で折れるというリスクが少ないため、かなり無茶な使い方も出来るのである。
という実用的な意味でも進めているが、実際は黒い刀身のナイフがこれ一本だから進めている。
我の鱗と同じ色なのだから、それは最強のナイフに違いないだろうからだ。
「これ、もっていく」
『わかった。まずはこれを持っていくとしよう。後は……』
「武器も欲しい」
『武器? 何故だ』
「どらごんさんを、守るから」
我は、その言葉に思わず苦笑する。
しかし、この少女は冗談で言っている訳ではないのだろう。事実、我を一度守って見せたのだから。
『そうか。わかった、ここには人間の作りし武器が多数ある。それらを見てみよう』
「うん!」
そうして、少女と一緒に旅の準備を続けるのだった。
この時の我はまだ、人間の町にこの少女を届けて、少し経過を見て問題が無ければそれでお別れだという、その程度にしか考えていなかったのである。