第44話 流石にアンドウン家は知ってるよね?
どういう事なのか理解しかねる顔をする我に、マリは驚いた様な表情をした。
「流石にアンドウン家は知ってるよね?」
「知らん。だが、マリのファミリーネームはアンドウンだという事は理解した」
「……なんかさ、ファフニールさん? と話してると、家名の重圧に押しつぶされそうだった人生は何だったんだろって感じるなぁ」
疲れた笑いのようなものを浮かべるマリ。これから話の本題に入るのだろうが、言っておかなくてはならない事がある。
「我の名前はドラゴンだ。それ以外の名前はない」
「大切な事なんだね。わかった、ごめんなさい」
素直に謝ったマリを受け入れたところで、ゆっくりとマリはその家名について、そしてマリの身の上について話を始めた。
その話は我には馴染みのない、人間社会独特の苦しみを内包した話だった。
曰く、この国の貴族というのは、神の血を色濃く残す一族の事らしい。
そもそもこの国の始まりは、国王の一族が神と交わり、その神の血を受け継いだ一族が民を導いたというものらしい。
そして、神は強大な力を持っていた。マリ曰く、この国の人間は魔力を持っているが、魔法は使えなかったらしく、神の一族のみが魔道具なしで魔法を行使できるのだとか。
つまり血と一緒に能力も継承しているのが、王族や貴族だという事らしい。
その魔法の能力というのは、貴族にとっては神の血を引く証明でもある事から、とても重要視される。
その中でも強大な魔法を使える一族は、神の血を色濃く継いでいるという証明とされるので、信仰としても政治としても尊ばれるのだそうだ。
そして、アンドウン家は中でも魔法の才能が秀でている家系として有名だそうで、法服貴族、つまり文官の事らしいのだが、ともあれその中でも名門として常に注目される存在だったそうだ。
そして法服貴族が要職に就くためには家柄、もしくは実力が必要であるらしい。
爵位の無い法服貴族にとって家柄というのは、大きく二つ。家系図が王とどれくらい近いものなのか、そしてどれほどその血族の力を引き継いだ子を輩出しているか。
つまり、簡単にいうとある程度王家に近い血族で、魔法が優れた子を沢山排出していれば自動的に家柄が良いと認定されるのだ。
実力というのは魔法の実力と、文官としての実務能力である。アンドウン家は代々財務大臣という要職を任されており、それは実務が評価されての事ではなく、家柄を評価されているという事だった。
つまり、アンドウン家にとって、生まれてくる子に魔法の才能が無いと困るのだ。
一人でも魔法の才能の低い者が生まれると、血が薄れたなどの噂が立ってしまい、要職を続ける正当性が弱まってしまうのである。
そんなアンドウン家にマリの姉にあたる長女が生まれる。名前はリリアというらしい。
法服貴族たちの中で強大な魔力を有しているかどうかというのは、派手な魔法を使用できるかどうかという基準で選定されるらしく、その点、リリアは火の属性が得意で、更に攻撃に特化した力術という系統の魔法を得意としたため、抜群の才能だともてはやされた。
実績にしても輝かしいものだったそうだ。魔法学校を飛び級で進学し、若干12歳にして魔物討伐に参加。多数の魔物を倒すなど、領地と爵位、武力のある帯剣貴族達から下に見られがちな法服貴族にとって、眩しい存在となった。
これにはアンドウン家の家族やそこに仕える一門の家臣たち──大きな枠では家臣も家族の一員のようなものらしい──は安堵し、大いに喜んだという。
アンドウン家の次期当主は抜群の才能を持っている。神の血族たる正当性を保つ事も出来るし、次の世代までの繋ぎができたと他家も羨んだそうだ。
しかし、二女として生を受けたマリは違った。
派手さのない土と風の魔法を得意とし、変成術という形の変化を行う系統の術が得意だったのである。
マリの見立てでは、魔力の総量はリリアとマリに違いはそこまでないらしいし、技量や魔法知識に至っては、マリの方が上だという事だ。
けれど、魔法の専門家でもなんでもない法服貴族たちにとっては、マリは恐ろしく劣った存在に見えたのだそうだ。
そして、悪い事に、マリの興味や思考はきっとこの時代に、いや、少なくとも法服貴族たちの価値観に合っていなかったのだろう。
派手さのない魔法を扱う彼女は、現時点では存在していない魔法や魔道具を開発する事で、実力を認めてもらおうとしたのだ。
例えば、土魔法を召喚術で集めて変成魔法を使い、小さな粒に変成した土を下層に、大きな粒に変成した土を上層に分けて容器入れる。その容器に汚水を通すと、綺麗な水になるという魔道具などだ。
我の知識だとそれはろ過という作業だが、この国の人間にろ過という概念がないらしい。
汚水などを利用する場合の多くは、汚水や海水を貯蔵して汚れを沈殿させ、綺麗な上澄みだけ使用するという方法が一般的らしい。
そう考えると、マリの発想や発明は社会全体に影響を及ぼす大きな発明だと言える気もするが、全く評価されなかったらしい。
この発明で皆に認めてもらおうと、口下手だった彼女が頬を高揚させて捲し立てるように説明した所、「水は井戸から汲めばいいのに、なんでわざわざ汚水を浄化して使用する必要があるのだ」と笑われたそうだ。
それ以降、魔法の開発はマリの価値を認めさせる手段から、ただの時間の無駄でしかない趣味へと暴落した。
マリは一般的に見れば裕福な家に生まれた幸運な子だと思われるかもしれないが、その実、不幸な人間だった。
世間から認められなくても、家族から応援されていればまだよかったかもしれない。
だが、親も彼女を心底嫌っていた。特に母親からは憎しみに近い感情を感じたという。
それはアンドウン家の価値を落とす存在であるからというだけではない。あまりにマリの魔法の才能が低いと世間から評価される事で、ある疑惑が浮上したためだ。
マリは、アンドウン家当主、ズィーリア・アンドウンの娘ではないのではないか、というものだ。
つまり、マリの母、ムトシス・アンドウンが浮気をして子供を作ったという噂である。
この国の貴族には暗黙のルールがあるらしい。第三子までは浮気をしてはならないというものだ。
これは、次期当主に神の血を正しく受け継ぐ必要があるためにという事なのだそうだ。
貴族にとって決められた相手との結婚と、子を残す事は義務で職務であるが、恋愛も禁じられている訳ではない。
ただし、それを許されるのは決められた相手との世継ぎを残した場合になる。
不測の事態に備える為、3人は世継ぎ候補を残しておくべきだ、というのがこの国の貴族の考え方である。
よって、3人目以降の遊びで出来た子であれば問題ないが、マリは2人目の子であるために、この噂は非常に世間体が悪かった。
そしてアンドウン家を財務大臣から引きずり下ろしたいと考える勢力にとっては恰好の的でもある。
マリの母は謂われない誹謗中傷を浴び、王領の町の庶民にまで広がり、心無い一部の創作家たちはマリの母を題材に男遊びに耽る貴族の物語をバラまいた。
そして、当時13歳だったマリが父に連れられて法服貴族たちの夜会に参加した日の事だった。
ある法服貴族の中年男性が、マリに挨拶をし、こう言ったという。
「わしは芸術に興味がありましてな。マリ嬢はこういった書物が町で人気になっているのをご存じですかな?」
手渡されたのは、マリの母がみだらな恰好をした絵が表紙の本だった。
タイトルは、大臣の嫁の淫乱日記。
あまりの事に、その書物を直視することすらできずに顔を上げたマリの目に飛び込んできたのは、法服貴族の、悪魔のような笑顔だった。
耳に入ってくるのは、下腹から響いてくるような不気味な笑い声。そしてその笑い声が次第に四方八方から聞こえてくる。
見渡すと、無数の悪魔の顔があった。
ぐるぐるぐるぐると悪魔の顔が並んでいる。それぞれに、心の底を泥水で冷やすような笑い声を出しながら。
傍らで父の怒鳴り声が聞こえた気がするが、過呼吸になってしまって視界がぼやけて、意識が回るマリには、もう誰が何を言っているかわからなかった。
その日から、家族がマリを外に出さないようにした。まるで、アンドウン家にマリという人間は存在しないかのように。
けれど、隠していても居るという事実は変わらない。
残念な事に、アンドウン家の人間は世界の悪意を受け入れる程の器がなかった。
いや、そのような器を求める事自体が、少々酷な事かもしれない。
だから捌け口を求めた。その捌け口は、勿論マリだ。
母は夜中にマリを呼び出し、酒を飲みながら朝までマリの悪態をついたし、父もマリに冷たかった、時には暴力も振るったらしい。姉も極力マリを避けていたが、マリを見かけると悪態ばかりついた。家人ですら、マリを無視する始末だ。
アンドウン家の人間が世界の悪意を受け入れられないように、マリもその悪意を受け入れて生きる程の強さはなかった。
けれど、マリには捌け口などないのだ。どうしょうもなくなって、何度も死を考えた。
だけれど、マリはそんな中、偶然呼んだ本に夢中になる。
それはある嫌われ者の魔女が、ひょんなことから行動を共にすることになった英雄と共に、世界を脅かす災いに立ち向かい、やがて世界を救う物語だ。
その物語で描かれる、謂われない誹謗中傷を受ける魔女に、マリは自分を重ねた。
いつかその魔女のように、英雄と共に世界を救い、世界に自分を受け入れて貰えたらと願望を抱くようにもなった。
そして、自分で受け止めきれない辛い現実に、向き合わない方法を見つけたのだ。
この暴言を吐かれているのは自分じゃない。本当の自分は、本の中の魔女なのだ。マリという姿は仮の姿なのだ。そう思う事で、受け止められない現実から逃げるようになった。
だからマリは、物語に出てくる嫌われ者の魔女のように、老獪なしゃべり方で、いつも不敵に振舞う、そんな自分を演じるようになっていった。
こうして、未成熟なのに老獪な部分が目立つ、傷つきやすいのに傷つくことのない、そんなマリという歪んだ人格が形成されていったのである。
そんな歪まなければ生きていけないマリの元に、勇者は現れた。
そして、マリを見て言ったのだ。
ぜひ力を貸して欲しいと。
まるで物語の中の出来事である。
マリは、ようやく人生の一歩が始まったと感じたそうだ。こんな自分に手を差し伸べてくれた勇者に、残りの人生の全てを捧げるとまで思いつめた。
絶対に役に立って見せる、自分の全てをかけて、この勇者と共に世界を救うのだ。そんな想いが、ずっとマリを苦しめ続けた陰惨で薄暗い外の世界を、キラキラと輝く眩しい世界に変えたのだ。
だから、先の魔物が見せた映像は、キラキラとした光は張りぼてで、陰惨でジメジメとした世界がそれを壊して塗り替えてしまったように感じてしまったのだろう。
なんとも憐れで、悲しい話だ。
ひとしきり話し終えて黙ってしまったマリに目を向けて、我は思う。
我は、この人間に何ができるのだろうか。
いや、できない。できようはずもない。
寄り添う事などできない。我はもう先がない。きっとそう遠くない内に命を終えるだろう。一時の寄り添いなど、ただ残酷なだけである。
それに、憐れと思っている時点で、寄り添う事などできまい。それは対等ではないのだ。
それに我は、この人間よりも肉体的にも精神的にも強い。だから、分かってやるという事もできそうにない。
なれば。
「いくぞ」
「は?」
変な声を出すマリをしり目に、我は立ち上がり、顔だけ振り向いて言う。
「お前は自分の価値をわかっていない。世界も、お前も、何もかもが未熟過ぎる。もっと賞賛されてしかるべきだ」
「……」
黙って聞いているマリ。我は、そのまま体ごと振り向いて手を差し伸べる。
「いくぞ。お前はこんな所で立ち止まっていい人間ではない。勇者などいなくとも、お前だけで救える場所はいくらでもある事を証明してやる」
「……お前って言うのやめて」
「わかった。貴公」
「それ、男性への呼び方」
「ん? ならば貴女?」
「それもやめて」
苦笑いしながらも我の手を取るマリ。その目はどこか諦めているような、微笑んでいるような、そんな雰囲気があった。
そうだ。それでいい。
分かり合えなくても、寄り添えなくても。共に進む事はできる。
お互いに向いている方向が違うために、遠い未来には決別し、剣を交える事になるかもしれない。
だけれど、我がこの人間にもっと前に進んで欲しいと願っているこの心は、確かに存在するのだから。




