第43話 あなたって、意外と普通の大人なんだね
しかし、いつまでもこうしている訳にもいくまい。
勇者やフローレンスという司祭がどうなるかという事に然程興味がある訳ではないが、外にいるマアナの事は心配だ。念話も今の所通じる気配はない。
テンガロン達の事は、まあ、死んでいて欲しいとは思わないから、どちらかと言えば生きていて欲しいとは思っている。
それに、テンガロン達が命を落とすような状況であれば、マアナとて無事ではないだろう。
そういう意味では、全員の無事を祈っているし、その為に善処すべきだとも思っている。
何が言いたいのかというと、早くマリに立ち直って欲しいのである。
勿論、時間を掛ければ我一人でこの状況を脱する自信はある。けれども、知識ある人間が近くに居るのに、その知見を活用しないのは愚策とも思えるのである。
そしてそうした知見を得るにあたって、相手が前向きなのか後ろ向きなのかで情報の密度や正確性が異なると我は考えている。
まあ、協力的な方が話は進みやすかろう。
だからこそ、我は一旦立ち止まり、マリの心のケアをしようとしているのだが。
ここに大きな問題が発生している。いや、そもそも問題はそこにあったのだ。
その問題とは、我は、人の心に疎いという事である。
これはしょうがない事だと思っている。
何故なら、我は人ではないからだ。
だから、先程僅かでも笑顔を見せたにも関わらず、また顔を背けて黙っているマリの心理がわからない。
この状況を打破しようと、我は口を開けたり閉じたりしてみるが、何を言えばいいのかわからないため、ただ口をパクパクさせる魚のようになってしまう。
(マリの過去に触れるべきか、どうすべきか)
誰にともなく、胸中で呟いた自問に答える者はなく、我は一旦口を閉じて押し黙る事にした。
先の醜悪な出来事を思い出してみても、家族との関係性に何かがあると思えるのだが、それは赤の他人である我が踏み込む問題ではないと思われる。
また、勇者も酷い事を言っていたようだが、それこそ我がどうこう言う問題でもない。
あれは勇者の本心なのか、それともダンジョンが見せた幻影か、それともマリの潜在意識の中にある恐怖を現したものなのか。
あれこれ考えてみても、どうすべきかの答えはでない。まるで迷宮に迷い込んだ心地だ。
そんな様子の我に何を感じたのか、マリのため息が聞こえた。
「あなたって、意外と普通の大人なんだね」
そのマリの言葉に、我は憮然とした顔にならざるを得なかった。
意味がわからないからだ。
黙っていると、先の言葉の理由を語るように、マリの声が聞こえる。
「ねえ、今。どうしようかって考えてるでしょ」
まさにその通りだ。だから、その通りだという事を言葉でなはなく、表情に現してみた。
マリはその様子に不服だったのか、それとも想像通りだったのか。呟くように言葉を続ける。
「大人っていつもそう。見てるのは状況だったり、自分が次にどういう行動をするかだったり。そんな存在しないものばっかり見ていて、目の前に存在する人間の事を見ようとしない」
吐き捨てるほどではないにしても、あまりいい感情ではないマリの言葉に、我は妙に納得していた。だから。
「全くその通りだな」
我は思わずそう答えていた。
なるほど、そうなのか。
我の口から考えが漏れだす。
「そうか。お前……君は誰かに自分の事を知って欲しいのか。だから我の名前を尋ねた。これを我はどうでも良い質問だと思っていたが、重要なのは質問の内容ではなくて、相手を知る事を重視しているという主張だったのだな。とすると──」
「うるさい」
「わかった。黙ろう」
早口になりだした我の推理を、マリは一言で止める。
答え合わせができない事は残念だが、それも仕方ない事だと諦めよう。
我にとって、目の前の彼女の事を知る行為にあまり価値を見出していないかというと、そうではない筈なのだ。
何故なら、彼女は利用できるからだ。
ダンジョン、というよりこの空間から脱出するために利用できるならば、相応の努力をして彼女の協力を求めるべきだろう。
だが、長く生きていると、大体は経験で応用しようとしてしまう。その方が楽だからだ。
こういう場合はどうする。ああいう場合はこうする。そうやってどういう行動をとれば彼女が自分の目的に沿う行動をしてくれるかと考えてしまう。
勿論、双方の利点になる事が望ましい。
そういった考えが先に立ち、今この場にあるものを一々細かく知ろうとはしなくなる。応用でなんとかなるものを、毎回一から知ろうとする行為は、無駄だと感じてしまうのだ。
しかし、生きた年月の少ない者にとっては、その態度や考えは目の前の存在を軽視している、言い換えれば雑な考えだと感じてしまうのかもしれない。
永い時を生きた我にとって、そういった若い価値観を想像する事は難しい。
というよりも、他者の考えなど、気に入らなければ命を奪ってしまえばいいという考え方がドラゴンという種族にとっては普通だ。
だけれど、ここまで付き合ったのだ。最後まで付き合ってもいいだろう。
その思いが、我の重くなりつつある口を開かせた。
「我は君をこの状況でどう使うかとしか見ていなかった。すまない」
「君って言うのやめてよ。マリって呼んで」
「わかった。以後気を付けよう」
そこでマリはこちらを向き、変な物を見るような目をした。
「あなたって、嫌な奴だけど悪い人ではないんだね」
「そう言うマリも、悪い人間ではなさそうだが、相当面倒な人間だと思うぞ」
我の言葉に、マリは自嘲気味に少し笑う。
「そうかな」
「自覚するがいい。とても面倒だ」
「ひどいね」
先程より幾分か柔らかい声になったマリに、我は視線を向けて問う。
「それで、マリはどうするのだ?」
「なにが?」
「これから先だ。我としては、マリの知識を貸して欲しいと思っている」
我としては、こんなにも人間に配慮しているこの状況が腹立たしくもある。
けれど、何故かそうする事が当然だというような気もする。そんな不思議な感情のせいで、なんだか姿だけではなく、本当に人間になってしまったかのような気もしてくるのだ。
我々ドラゴンにとって、人間とは格下の生き物でしかない。だから、少し我は悲しくなって、自信を欠いたような心地だった。
「私なんかが、役に立てるかな」
そう言ったマリは、我以上に自信を欠いた声をしていた。
これに対してどう答えるのが適切だろうかと無意識に考えてしまう。
その考え自体がマリにとって好ましくない考えなのだという事はわかっているが、これは永く生きたという事だけでなく、性分とも言えるものなので仕方ない。
だからせめて、結論を出さないようにしておこう。
「どうしてそう思うのだ」
聞かなくてもわかる事をわざわざ聞く。いや、マリの事を知っているわけでも、マリに何が起きたのかを知っている訳でもない。
ただ、こういう時に自信を持てない理由は大体想像がつくというだけだ。
成功体験が少ない。他人に認められているという実感がない。過去に大きな失敗をした。比較する相手がいて、劣等感を感じる結果になっている。そんな所だろう。
ただ、この隣で考えるように下を向く女は、きっとその理解では納得しないのだと思う。
実に面倒で、非合理的だ。
けれど、この面倒で非合理的な存在こそが人間であり、生命であるとも思えてくるから不思議なものである。
それこそが生命の良さだという者もあろうが、逆に悪い部分だという者もあろう。
我はどちらとも思わない。なぜならば、良さや悪さなど立場によって変わってしまう程度のものでしかないのだ。人間の作り出した勝手な幻想。
世界には良いも悪いもない。ただ在るだけだ。だからこそ、良い部分も悪い部分も変わらないのである。
人間の短い人生では、満足いくまで観測する事ができず、良いか悪いかのどちらかに偏って見えてしまうというだけなのだから。
肯定するわけではない、そんな冷たいとも言える目をマリに向ける。
ただし、見方によっては否定しないという優しい目に映るのかもしれなかった。
ともあれ、そんな我の視線に何を感じたものかはわからない。
マリの口から、ポツリと言葉が漏れるように落ちた。
「私ね、アンドウン家の娘なんだよね」




