第39話 僕が先頭です
ダンジョンの入り口まであと数歩、というところだろうか。勇者クロウが我の前に立ちはだかる。
「僕が先頭です」
やや険のある顔をした勇者に、我はどういう表情を返せばいいのだろうか。
我は勇者の心境になど全く興味がないのである。
心の内を隠す事無く「好きにしろ」という言葉を返してみたが、勇者は不服の様で、むっとした顔をして「そうさせてもらう」と言って我に背を向けた。
驚く程に成熟していない。異世界からやってきた者らしいが、どんな世界からやってきたのだろうか。
その世界にはこの男のように、未成熟なまま力を有した存在が蔓延っているのだろうか。だとしたら、その世界は混沌としているのだろうな。
我が溜息を吐いて苦笑を浮かべた頃、勇者の背中は扉の前で一度進みを止めた。
扉を見やると、まるで早く入ってこいとでも言う様に半開きだった。
風に吹かれて「キィィ」という音を立ててドアが少しずつ開いていく。
ドアの向こうは黒くてよくわからないが、何かが出てくるのではないかという予感さえする不気味さだった。
その様子に勇者は何を思ったのだろうか。「よし」と一言、扉のノブに手を掛けてゆっくりと開き、闇の中に消えて行った。
妙な胸騒ぎがした。それはまるで何かを忘れたまま出かけてしまった時のような、大丈夫だと思うが、確認のしようがない、そんな時のような。
ざわざわとする心に苛立ちを覚えて、我はぎゅっと自分の胸のあたりを握って、ふと真後ろに居たフローレンスと、その後ろ、最後尾に居たマリに振り返る。
彼女達は訝し気な顔をしてこちらを見てくる。まあそれはそうだろう、突然振り向いたのだから、そういう反応になるだろう。
我とて、何を伝えたくて振り返ったのかわからないのだ。
けれど、振り返ったからには何か言わなくてはならないと思って口を開き、しかし言葉は出てこなかった。
「どうしたんですか?」
フローレンスが問うた。それには何の感情も含まれていない。
けれど、我の存在は彼女達にとって面白いものではないだろう。
何故なら、彼女達が信頼し崇拝する勇者と我の関係が良くないからだ。
我には明確に勇者を憎悪する理由があった。勇者が何故我の事を疎むのかは現時点で理解不能だが、それども、恐らく性格の相性が悪い事も大きいのかもしれない。
そんな我に彼女達が良い印象を持つ理由などないのだ。
それで良いと思っている。何故なら、我にとって人間との関係などどうでも良いと思っているからだ。マアナと今後関わっていくであろう人間以外など、居ても居なくても構わないし、生きようが死のうが知った事ではない。
だが、何故か、我は不思議な感情に惑わされている。
守れるのであれば、守ってやってもいいかもしれない。
はあ、我は一体どうしてしまったのだ。面倒この上ない。
我は前を向き、扉の前まで歩いてから、後ろに居るであろう二人に向かって振り返らずに言う。
「勇者の傍を離れるな。けれど、それが適わぬ状況になったなら、我の傍を離れるな。守るくらいはしてやろう」
沈黙。特に二人からの答えはない。我は構わず歩を進めようとした。
だが、数秒の沈黙のあと、マリの声が聞こえた。
「お主、意外と良いやつなのか?」
「……」
良いやつ? 愚かな。
これはただの自己満足だ。貴様らの為に守る訳じゃない。
そんな事を思いながら、我は扉の向こう、闇の中に足を踏み入れた。
○○○
扉の先には、まず勇者の背中が見えた。
彼は扉を出て一歩も進んでいないのか、呆然と立っている。
「どうしたんだ」と声を掛けようと口を開きかけたが、それよりも奇妙な状況に我の意識が飛んでゆき口をつぐんで周りを見渡した。
カタカタカタ、という音の表現が正しいのだろうか。硬質だが軽い物が板に連続でぶつかっている様な音がそこかしこから聞こえてくる。
その正体は、目の前に居る羊の顔をした人型の魔物達の指先から出てくる音だった。
羊の魔物達は並べられたテーブルに向かい、そのテーブルの上に据えられたよくわからない物、板の上に文字の書かれたブロックを並べたような物を指先で叩いている。
その指の動きはまるで歩行する蜘蛛の足のようにそれぞれの指を別々に動かしており、奇妙な事に、魔物達の視線はその指先を見ていない。
目の前、テーブルの上に据えられた光る板のような物体を凝視しながら、カタカタと一心不乱に奇妙なブロックのような物を指で叩いているのだ。
後ろから、「え? 何? 何?」というマリの声が聞こえる。
その声には不安と恐怖と疑念が入り混っていたように聞こえた。それもそうだろう、我も先程からどろどろとした得体の知れない物体を脳内にかけられたような、振り払おうにも粘度が高くてこびりつくような不快感が意識の中に存在し、どうにも落ち着かない。
全員が混乱していては困る。我は冷静になろうと状況を観察してみる事にした。
非常に禍々しくも暗い雰囲気がするのだが、不思議と照度は低くない。
天井に据えられた棒のような照明が白々とした光を放っており、かなりの光量を持っているのだろう、その光はいっそ自然の炎では難しいだろうというくらいに隅々まで白く染めている。
時折、パチパチ、という音とともに明滅する照明もあり、その度に部屋全体にノイズを走らせて、無性に不安と焦燥を掻き立ててくる。
部屋の広さは広い。ただし、羊の魔物が30人ほど整然と列になって並べられたテーブルに隙間なく座っている事もあり、狭いとも感じられる。
中央の奥には、豚の顔をした人型の魔物が、何もせずに座っていて、まるで全員を監視するかのように座っていた。
彼が指揮官だろうか。
しかし、これは何をさせているのだろう。
不思議に思って我は羊の魔物が必死になって打ち込んでいる手元を見て、次いで凝視している板をに目をやった。
『帰りたい 早く定時になって欲しい なんでこんな事しなくちゃいけないんだ 全部大企業が悪い 俺たちは搾取されるだけなんだ ブラック企業死ね 俺が頑張ってるのにあいつはサボってる ずるい 死ねばいいのに 死ね 死ね 死ね』
魔物も人間と同じ言語を使っているのだろうか。書いている事は文字としては理解できるが、言っている事の半分はわからない。
だが、手元のブロックに応じた文字が羊の凝視している光る板に表示されるのだろうなという事は何となく理解した。
いや、だからといって何故そんなことをしているのかについてはさっぱりわからない。
「これは……会社……なのか……」
勇者の掠れた声がやけに大きく響いた。
我の知り得る限りの会社というのは、形はどうあれ国家が認めた営利団体の事を会社と呼ぶのだという事だった。まあ、これはテンガロンからの知識だが。
しかし、勇者の言う会社は、それとは違うのだろう。何故なら我はこんな光景を見た事が無いからだ。つまり、勇者の元々居た世界の『会社』の風景なのだろう。
いや、指先を弾いて文字を書く技術は、冒険者協会で見た光景と近しい物を感じる。
もしこれが勇者の元々いた世界の光景と酷似しているのであれば、冒険者協会の技術はそこから着想を得ているのだろうか。それとも逆の可能性もあるのだろうか。
そんな思考の渦に我が飲まれるその刹那。
ガシャン。という大きな音が部屋に響いた。
その瞬間、あれだけカタカタと鳴っていた音がぴたりと止まり、部屋にしーんとした、寧ろ耳が痛くなるような静寂が訪れた。
思わず我、いや、フローレンスやマリ、それだけでなく羊の魔物達の視線も一斉に音源の方に向く。
見やると、呆然とした表情の勇者が、よろめいて思わず近くにあった真っ白で大きな箱──人間の胸くらいの高さで、その箱の上には長方形の紙を吸い込んだり吐き出したりする口がある──を倒してしまったようだった。
それなりの重量があるものらしく、その音は盛大で、中には長方形の紙が沢山入っていたのだろう、紙吹雪のようにそれが部屋を舞っている。
「何ヲシテイルンダ!!」
呆然としている我々に向かって、そう怒鳴ったのは奥で座していた豚の魔物だった。
彼は怒り心頭の雰囲気を足音にして、ずんずんと進み、勇者に向かって一枚の紙を提示する。それは魔法のスクロールを発動させる動作に近いように感じた。
危険を感じて身構える我とフローレンス、マリだったが、勇者は呆然としたままだ。
勇者が何故逃げないのか。いや、何故戦闘態勢をとらないのか。様々な疑問が沸き上がるが、それは後ろの勇者一行のメンバーも同じだろう。
しかし、この状況に勇者は心当たりがありそうだという先入観が、勇者に何事かを助言する行為を脳から排除してしまっている。
我は勇者に警告の声を発しようと口を開くその刹那、豚の魔物が掲げる紙の上の方に書かれた大きな文字が目に入る。
『辞令』
なんだ? どういう意味だ?
心に生まれた疑問が、我が声を発する動作を遅らせてしまった。
「貴様ヲ! 左遷室送リニ任命スル!」
我より先んじて豚の魔物がそう大声を出し、手に持つ紙が光を放つ。
やはり、何らかの魔法を封じたものだったか。
次の瞬間。
「え?」
という声を残し、勇者の体はその場から消えてしまった。




