第35話 君は、自由になっていいんだ!
(アア、煩ワシイ! コイツ以外ハ大シタ事ナイノニ! コイツサエナントカスレバ、私ノ仕事ガキット評価サレルノニ!)
タナカは胸中で焦りを言葉にした。意味のない事だった。意味のない事は嫌いだ。何も生み出さず、何も進めない行為など邪魔でしかない。
どうして他人は自分の邪魔ばかりするのだろうか。そんな想いで頭が一杯になる。
「君は、自由になっていいんだ!」
目の前のクロウという男の言葉が、まるで二日酔いの日に聞く高音の叫び声のように、キンキンと頭の中で反響して痛みを広げていく。
本当に不快だ。この男は。
タナカはその不快な気持ちを存分に込めて拳を繰り出すが、簡単にいなされてしまう。
なんなのだ。この意味のないやり取りは。
合理的に考えれば退却すべきだった。クロウの能力はこちらを上回っており、その取り巻き達の能力もこちらの手勢のそれを上回っている。勝算は無いに等しい。
それでも、この身が滅ぼされる事になったとしても退くわけにはいかなかった。無能の烙印を押されるわけにはいかないのだ。
こうして一番厄介な相手を引き付けている間に、クロウの取り巻き達を疲弊させ、弱い者の一人か二人倒す事ができれば、それが成果となる。
自分の命と釣り合う成果と言えるかどうかは甚だ疑問ではあるが、しょうがない。いくら自分が頑張っても、無能で怠惰な部下達に足を引っ張られているのだ、どうしようもない。
本当に腹がたつ思いだった。無能な部下は、ただ無能なわけではないのだ。事によっては潜在的な能力だけを見れば自分を上回る者もいると思っている。
だが、絶望的にやる気がないのだ。やる気がない癖に、意味のない事ばかりでこちらを煩わせてくるのだ。
やれ「○○さんは生活音がうるさいので、席を変えて欲しい」、やれ「○○さんは協調性がないし、言われた事をメモとらないから注意して欲しい」、やれ「恋人ができたので休みを大目に欲しい」、やれ「友達が救急車で運ばれたから、今日は休ませて欲しい」、やれ、やれ、やれ。
ふざけるな! そのくせ業務が忙しくなるから、少し協力して欲しいと言うと明らかに嫌な顔をするのだ。そして、お決まりのセリフはこうだ。
「ワークではなく、ライフを大切にしたいので」
意味がわからない。仕事は人生の一部だ。孤島で一人きりで過ごすのでなければ、社会の一部となってお互いに努力し合うのは人生で重要な部分のはずだ。
自分が健やかに生きるために、誰かの役に立つ。誰かの役に立つ事で、自分の居場所を認識する。社会への奉仕を通じて、己のアイデンティティを確立していくのだ。
そうできなければ、社会的な承認欲求が満たされず、歪んでいくのではないか。
タナカは、心の苛立ちの刃を拳に乗せてクロウに絶え間なく攻撃を繰り出しながら、思考は過去の自分へと向かっていった。
思えば、愛される事に飢えた人生だった。
親は自分の事を愛してくれなかった。小学生の頃、テストで悪い点数を取るたびに溜息を吐かれたのを、鮮明に覚えている。
頑張っていい点数をとっても然程興味を示さず、口では「頑張ったね」と言うけれど、目は物でも見るような冷たい目をしていた。
まだ幼かったタナカは、それでも自分が親の事を大切に思っているのと同じように、親も本当は自分を愛してくれているんだと信じていた。
けれど、時々わからなくなる事もあった。あまりにも自分に興味をもって貰えない。拗ねて泣いて見ても、転んでケガをしても、親からは「面倒くさい」以外の感情を感じないのだ。
愛されている筈だと信じる気持ちと、愛されていないんじゃないかと疑う気持ち。それは、小さな子供の胸に抱えるには、重く、歪すぎるものだった。
その答えを知ったのは、小学5年生の夏だったと思う。
真夜中、うだるような暑さで目が覚めたタナカは、水を飲もうと起き上がった。
二階建ての一軒家に住んでいたタナカの寝室は二階だった。リビングやキッチンは一階にあり、水を飲むとすればキッチンの冷蔵庫にミネラルウォーターが置いてある筈だった。
母は「二階にも小さな冷蔵庫が欲しい」と父にねだっていたが、結局必要ないだろうという事になり、今のところ二階で水分補給はできない。両親を起こしてはいけないと思って扉の開閉や足音に気を付けて、そっと一階まで下りた。
しかしそこで、リビングに明かりがついている事が分かる。それだけではない、両親が言い合いをしているのだ。
時折自分の名前が二人の口から飛び出しているようだったから、もしかすると進路の事や将来の事で喧嘩をしているのかもしれない。
喧嘩をしてほしくないという気持ちが沸き上がるが、それと同時に、自分の事を気にかけてくれているんだ、という事実が嬉しくて、ドキドキしていたのを覚えている。
そして両親の声が聞こえるくらいまで、そろそろと近寄った。
「だから! しょうがないだろ! じゃあなんで産んだんだよ!」
「あなたと結婚したかったからじゃん!」
「だからって軽率過ぎるだろ! もう俺は耐えられないぞ! なんだよ運動会とか参観日とか、お前が全部やっとけよ!」
「私だって面倒臭いつってんじゃん! ああ! もう! あいつ誘拐されてくれないかな……!」
「勝手に産んどいてひどい事言うな、責任持って育てろよ!」
「あなたの子供でもあるんだよ!?」
「は? 誰が産めつったよ、ふざけんな!」
「子供なんて産まなければよかった……」
「後悔しても遅い。……はあ、言ってもしょうがないな。どうにかして誰かに押し付けるとか、そういう方法を一緒に探そう。感情的になってごめん」
「そうだね。私も感情的になっちゃった。ごめんね」
「「あの子が、勝手に死んでくれればいいのに」」
衝撃だった。息ができなかった。
正解がわかったのだ。親は、自分に何の価値も見出していない。寧ろいらないと思っているのだ。
タナカは目覚めたときよりもカラカラになってざらざらとする舌に無理やり唾を出すように念じながら、自分の部屋にひっそりと戻った。
ショックだった、けど、答えが分かったのだ。
自分がどういう存在か。そして、これからどうするべきか。
その夜は喉が渇いて水分が足りていないのに、不思議と目からは涙が止まらなかった。
体も、寒い訳ではないのにがたがたと震えてとまらなかった。
けれど、顔だけは笑っていた。
そうだ。自分は価値のある人間になるのだ。
誰もが「あなたが居てくれてよかった」と思ってくれるような、そんな価値を手に入れる。
そうすれば、両親だってきっと。
タナカにとって、両親は特別だった。どう思われていたとしても、両親が好きな気持ちは変わらないのだ。
だって。世界でたった二人だけの家族なのだから。
それから、タナカは死に物狂いで努力した。
元々あまり頭が良いタイプでもないし、運動もできる方ではない。けれど、そこは時間と気力でカバーした。
とはいえ、運動と頭脳の両方を追い求める事ができるほど、自分の能力が優れているとは思えない。だから、頭脳を伸ばす事にした。
ひたすらに、文字通り一分一秒を惜しんで勉強に明け暮れた。睡眠時間など、死なない程度にとればいい。
ストレスで食事が中々喉を通らず、味などわからなかったし、二日に一回は吐いた。
がりがりに細くなり、目は常に充血している自分を教師は心配して、色々と声をかけてくれたが、親は何も言ってこなかった。
それはそうだ。まだ自分には価値がないのだから。
社会に貢献し、価値ある存在だと誰もが認めるくらいにならないといけないのだ。
それから努力を続けたタナカは一流の大学で経済学を学び、主席で卒業し、大手企業に就職。それからとんとん拍子で出世をしたのだ。
タナカは生物学的に女性だった事もあり、嘗められる事もあったが全て実力でねじ伏せたし、「どうせ会社が女の幹部を増やしたいから出世できただけだ」などという意味のない言葉を聞く事があったが、自分がそいつの上司になったら、そういう意味のない事を言う奴は解雇してやると思って耐えた。
この頃にはタナカは、誰が何と言おうともう会社には必要不可欠な人間になっていた。
そしてタナカが優秀だと言われる所以の一つに、彼女が求めるのは片方の利益だけではない。全体的な利益の事を常に考えるその考え方にあった。
あるいは自社が一時的に損をしてでも社会に対して貢献し、会社の社会的地位を押し上げる事でブランドイメージを上げる。
タナカのおかげで数々の美談が生まれ、未曽有の好感度が生まれる。地上波やネットでCMを打つという話になった際も、なぜか管轄外だったタナカに仕事が回ってきた。そして広告代理店からタナカに意見が求められ、回答したのは以下だった。
「製品や会社の宣伝などしなくていい。それよりも、世界がぱっと明るくなるような物を作りましょう! そのためなら、多少の予算くらい上からぶんどってきちゃいます!」
この言葉に、広告代理店の人間は燃え上がった。特に、商業的な作品よりもアートな作品を好むクリエイターたちが燃え上がったのだ。
過度な宣伝を目的とせず、映像の裏にテーマとなるメッセージを注ぎ込む。それは正に彼らクリエイターがやりたかった表現だった。
タナカの信条の一つに、やりたくない事よりも、やりたい事を存分にやってもらうという考えがあった。そうする事でその人は社会に大きく貢献できるし、自分はその手伝いをする事ができる。
そう、徹頭徹尾、社会への貢献を行って、認めて貰うのだ。
そしていつかは両親にも認めてもらえる。きっと産んでよかったと言ってもらえる。
そう思っていた矢先。両親は死んでしまった。
交通事故らしい。二人の乗った車が、トラックに弾かれて即死だったとか。
葬式は簡素なものだった。あまり友人のいない両親だったし、それは致し方ない。
不思議な事に、タナカの会社の人間達がこぞって葬式の手伝いをしてくれた。
部下の中には、泣いてくれる者もいた。
けれど、自分は泣けなかった。
悲しいとは違う。辛いのも違う。胸にやってきたのは、喪失感だ。
目的を失ったやるせなさだ。
それはまるで、定年を迎えて何をすればよいかわからなくなった団塊の世代の先人たちのような、そんな気持ちになった。
遅かった。
間に合わなかった。
そんな気持ちがじわじわと心に沸き上がってくる。
両親に認められたくて、必要だと言われたくて、愛されたくて頑張ってきた。
でも、頑張る速度が遅かった。これからいくら頑張っても、もう両親がいないのだ。
泣いてくれている部下の一人を見やる。
彼は無能だ。でも、そんな無能でも出来る限り有効に使わなくてはならない。
何故なら、この国の法律では解雇を容易に行う事ができないからだ。
だから、なんとか頑張って、相手が彼女が病気だからという訳の分からない理由で休みを申請してきても、心の中ではふざけるなと思っていても顔には出さず、ニコニコしながら許可を出した。
今は会社の頑張り時だから、少しだけでいい、残業を協力してくれないかなと頼んだ時、「いや、ちょっと無理っすね」とヘラヘラと笑われた時だってそうだ。
あれだけこっちは譲歩しているのに、何故そちらは譲歩してくれないんだと心で怒り心頭しても、ただ困った顔をして「そっか、わがまま言っちゃってごめんね」と謝った。
どっちがわがままだ。お前らは人生と仕事が違うと思っているかもしれない。
けれど、私にとっては人生なんだ。全てなんだ。なんでそうやって私の足を引っ張って。
それから、一か月くらいは死んだように仕事をした気がする。
周りの皆がざわざわとしてきた頃合いだったろうか。
私は、会社の屋上から飛び降りた。
そんな回想を終えたタナカの耳に、勇者の声が聞こえる。
「仕事だなんて言うけど! 君はそんなものに縛られる必要なんかない! 自分の人生を生きるんだ!」
ふざけるな! 貴様に何が分かるんだ! 何もわかってない! 何もわかってない! 何一つ! お前みたいなのがいるから! だから私は!
「どけ、邪魔だ」
ゴス、という音が体の芯に響いた。
どこから出た何の音なのか、とキョトンとしていると、目の前に居る勇者も、まるで鏡のように同じような顔をしていた。
しかし、目線はこちらの胸元にある。
ゆっくり、ゆっくりと目を胸元にやると、剣が生えていた。
そして、耳元には聞いた事のない男の声が聞こえる。
「やはり、勇者を相手に互角という程強くはないな」
見えたのは、黒い髪の下に光る金色の目。
その目はどこかで見た事があった。
ああ、そうだ。両親の目だ。
どこまでもこちらに興味がなく、まるで物でもみるような、そんな冷たい目。
きっとこの男が自分を刺したのだろう。自分の体がずりずりとその男にしなだれる様に倒れていく中で、目をじっと見ていた。
ああ、この目が笑う所を見たかった。それだけが自分の人生の救いだった。
(……私は、役に立てたかな。十分に頑張る事ができたかな。ねえ、お父さん、お母さん)
そんなことを胸中で呟くが、男の目は相変わらず冷たい。微動だにしないその目を見ながら、タナカは、口を開く。
「人生ッテ、難シイ……ナア……」
そして、彼女は死んだ。




