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第3話 何のための一歩なのか

 暗い。真っ黒な世界。暑さも寒さも感じない、それどころか、風が体に当たる感覚も何もない。

 生きていれば当然感じるはずの重力も感じないように思う。まるで水圧のない水中に浮かんでいるような、不思議な感覚。

 我は死んだのだろうか。

 いや、死んだのだろうな。しかし、それでいいのだ。

 少し心残りなのは、死の間際に出会った少女だ。

 彼女は永い時間を生きた我と違って、まだまだ生き足りないだろう。

 幸運な事が起きて、彼女が無事生を謳歌できる事を祈るばかりだ。確率は低いというか、願望の類になるだろうが、それでも願う。

 勿論、我は根本的に憎しみを原動力とするカオスドラゴンだ。我を死に追いやった人間が憎いし、復讐したいという気持ちはあった。

 けれど、あの少女と出会う事で、不思議とそれらがどうでも良くなった。

 どうしてかはわからぬ。ただ、自分と似た雰囲気をあの少女を通じて、自分を客観的に見たような感覚になったのかもしれない。

 それで興覚めした。

 生きる事にも飽きた。もうよいのだ。全てが、もうどうでも良い。

 ここは心地良いな、まるで世界と自分が混ざるような、不思議な感覚だ。

 今は真っ黒で何も見えないが、どの様な景色なのだろうか。

 そう思って目に力を入れると、真っ黒な視界に一本の線が入る。

 それは、横一文字に視界の端から端にわたってまるで切れ込みの様に入っている。

 その切れ込みは、どんどん上に押しあがるように開いていく。真っ黒が、まるで帳のように上がっていく。

 そしてとうとう黒の帳が上がりきった頃、視界はぼやけた世界を映し出す。

 恐らく単に焦点が合ってないのだろう、ぼやけた視界の先では色とりどりの世界が広がっている様に見えた。

 意識して強く瞬きをすると、その世界は全貌を顕わにする。

 それは、どこまでも続く花畑だった。白い花、黄色い花、赤い花、実に様々な花が所せましと咲き誇っており、そしてその光景が地平線の先までどこまでも続いている。

 我はどうやら、見知らぬ花畑で倒れているらしい。

 空は月明かりに照らされた夕刻といった感じだろうか。空は少し暗いと感じるのに、花がはっきりと見える程に明るくもある。ぼんやりと眺めているとただ綺麗だと感じるだけかもしれないが、しっかりと把握しようとすると異常な場所だった。

 周囲を見渡したいところだが、体を動かそうにも指一本に至るまでピクリとも動かせない。

 とはいえドラゴンの視野は広く、330度の視野角があるので後方以外は殆ど見えてはいる。しかし、焦点を合わせて見る事ができるのはせいぜい正面の120度程度だ。実際に首を動かして観察すれば、現在地についてのヒントが何か得られるかもしれない。

 いや、知ってどうするのだ。我はどうせもう。

 我がそう思って目を閉じようとした時、声が聞こえた。


「復讐を考えないのですね」


 刹那、我の全細胞が震える感覚がする。相手の姿は見えない、とすると真後ろ、もしくは頭上に居るのか、いや、そんな事よりも、なんだこの異常な存在感と圧力は。

 世界最強種と言われた我でさえ、恐怖するほどの存在。

 その姿を確認しようともがくが、相変わらず体は動かない。


「カオスドラゴンは憎悪によって生きる。つまり種族的に強い執着心を持ちやすい筈です。それが強さの秘密でもあるんですけどね」


 女の声だ。ただし、どこから聞こえているかわからない。

 なんとも不思議な声である。しかし、この声の主はどういうわけか我に話しかけている。さて、どうしたものか。

 口を動かす事の出来ない我は、心の声で答えてみる事にした。

 それが相手に聞こえるかどうかは、わからぬが。


『だとすれば、我は弱いのかもしれんな』


 言って、胸中で自嘲気味に笑う。生きている時分であれば、自分が弱いなどと絶対に認める事ができなかった。

 だが、圧倒的な敗北をし自分に似た存在を見つめる事で、自分自身を感情を抜きの俯瞰した視点で見る事ができた。

 それは、冷めた視線で自分を見たとも言えるかもしれない。


「なるほど、あなたの心は何故か人間に近い気がしますね」


『我の声が聞こえるのか?』


「ええ、聞こえますよ、大音量です」


『……そうか』


 冗談なのだろう、女の笑う気配がする。

 だが、我は会話を楽しむ気分ではなかった。


『もういいだろう。静かにしてくれないか。我はもう眠りたい』


「まあまあ、もう少し話しましょう? あなたはとても面白い存在なのですよ。そうそう、あなたの興味がありそうなお話しもありますし」


『なら、手早く済ませてくれないか』


「そうですか、それがあなたの望みなのですね。では手短に、あの少女は死にましたよ」


『……そうか』


 あの少女、それが誰なのかなど聞かなくてもわかる。

 だが、結果など知りたくなかった。その結果を知らなければ、我は少女がどうか幸福になれるようにと願って逝けたというのに。


「元々救助なんて見込めない状況でしたから、生存できる可能性など低かったのです。生き残る可能性があるとすれば、水場を見つけて水分を補給したあと、人が居る場所を探して行動する事で、もしかしたらという可能性もあったんですけどね」


『……』


「彼女は、あなたの傍をずっと離れませんでした。ずっとあなたに話しかけていましたよ。独りじゃないよ、寂しくないよとあなたにずっと言っていたみたいです。きっと自分に言い聞かせていたんでしょうね。冷たい死体となったあなたに寄り添って、語り続け、そして死にました」


『もうやめてくれ!!』


 もう聞きたくない。沢山だ! 

 目を閉じれば、物言わぬ我に語り掛ける少女の姿が浮かぶ。

 この女はどうしてこんなことを聞かせるのだ。どうしてこんな仕打ちをするのだ。

 そう思うと、心の奥底で何かが燃えている感覚がした。


『貴様の狙いはなんだ。回答次第ではただではおかんぞ』


「やっぱりあなた、変ですね。でも、ちゃんとカオスドラゴンの本能はある。いいでしょう、合格です」


『なに?』


「喜びなさい、古き者。あなたはこれからドラゴンの因子を持つ人間という新しい存在の一歩を歩み始めるのです」


『なにをする気だ、我は静かに眠りたいのだ』


「少女の体に宿る命として、あなたの根源を組み替えます」


『なに? おい! 聞いているのか! やめろ!』


「スレイブ(分解し)」


 視界が真っ白に染まる。

 我は、とにかく叫んだ。


『やめろ! 我はそんな事望んでいない!!』


「コアグラ(統合する)」


 その言葉を最後に、我の意識と視界はブラックアウトした。


○○○


 暗い。真っ黒な世界。

 目に力を入れると、真っ黒な視界に一本の線が入る。

 それは、横一文字に視界の端から端にわたってまるで切れ込みの様に入っている。

 その切れ込みは、どんどん上に押しあがるように開いていく。真っ黒が、まるで帳のように上がっていく。

 目を開いた先には、森と、我の体があった。


「……なっ!」


 驚きのあまり飛びのくと、黒く大きなドラゴン、つまり我の体の全体像が見える。

 では、我は一体何者なのか。

 自分の手を見やる、そこには、人間の小さな手が見えた。


「まさか、まさか、まさか!」


 我は気が狂ったように「まさか」という言葉を何度も繰り返しながら、体中を確認するように触る。

 ああ、これは、もう否定しようがない。

 我は、あの不幸な少女になったのだ。何と言う事か。死を望んだ我が、生を渇望した少女の体で生き返るなど、なんという皮肉なのか。

 目から液体が流れる、それが何なのかはわからない。ただ、心に広がるもやもやとした何かが溢れて目から流れているような、そんな気がする。

 我は、膝を折って崩れ落ちた。


「こんな生を受けて、どうしろというのか」


 少女の分まで生きる? いや、滑稽だ。誰が喜ぶのだ。

 誰かの分まで何かをするというのは、ただの慰みでしかない。結果的に出来なかった者には何も与えられないのだから。

 だから我がどう頑張っても、少女は何も得るものなどないのだ。そんな生に、なんの意味があるのか。


「……死のう」


 我は、そう口にして、元居たように、カオスドラゴンたる本来の体に寄り添うように体を預け、目を閉じた。


『生……きて』


「誰だ!」


 あの花畑の女かと思ったが、声が違う。

 我は慌てて立ち上がり、周囲をきょろきょろと見回す。

 この借り物の体を傷つけるわけにはいかない。正しく死を迎えるまで、傷一つ付けてなるものか!


「どこにいる! 出てこい!」


『私の分まで……生きて……』


「!? お前! まさか!」


 その声には聞き覚えがあった。

 この体の主、あの不幸な少女の声である。

 しかし問題は、これは鼓膜から聞こえた声ではない。自分の内側から聞こえたように感じる。つまり。

 我は、この少女の意識を、今まさに食らって取り込もうとしているのだ。

 その証左といえるかわからないが、少女の声は弱々しく不安定だった。


「待っていろ、今助けてやる!」


『私……もう……ダメ……だから……』


「諦めるな! 心を強く持て!」


 なんてことをしてくれたんだ! 少女は恐らく、まだ死んでいなかった! 辛うじて生きていたのだ!

 そしてどういう手法かはわからないが、死の一歩手前で我の意識をこの少女に植え付けたのだ。

 つまり、この少女は我に『食われて死ぬ』のである。

 だれがそんな事を望んだのだ! どうしてそんな残酷な事をするんだ!

 あの女! あの女か! 我は貴様を絶対に許さない! 絶対に殺してやる!


『いい……よ……私は……もう……』


「ふざけるな! お前が良くても我が許さぬ!」


『やっぱり……優しい……ね』


 まずい、意識を放棄しようとしている。

 駄目だ、絶対に認めぬ! あの花畑の女の狙いはわからぬが、何としてでもこの少女を生かしてみせる。


「思い出せ! 貴様は遠くに行ってみたいのではなかったのか!」


『……行きたかった……なぁ』


「我が連れていく!」


『あなた……が?』


「約束する、どこへだって連れていく! だから諦めるな! 望め! 願え! 生に執着しろ!」


『……そうできたら……楽しい……ね』


「そうだろう! 南には灼熱の大地があり、地獄の様だが透き通るような空をしていて綺麗だ! 北には氷の大地がある! そこでは空に虹のカーテンがかかる事があってな、とても幻想的だぞ!」


『……』


「あとは……あとは……そう! 夜の来ない場所もある、とても不思議な現象で興味深いと思わぬか!?」


『もういいよ……ありがとう……』


「貴様……! 何故諦める! 我が何とかすると言っているだろう! 耐えて見せろ!」


 まずい。人間は、いや、おおよそこの世界に存在する全ての生物は我々と比べて脆弱だ。

 今も少女と会話しながら打開策を模索しているが、もうあまり余裕がない。

 我はとにかく自分と少女の状態を解析する事に全力を尽くしていた。

 我々ドラゴンの脳は少し特別だ。生物は電気信号と神経伝達物質で脳内を機能させる、この仕組みは体を電気ではなく魔力で動かす魔族や魔物であっても同じだ。

 だが、我々ドラゴンは、それら脳の動きを全て魔力で行っている。だから脳の処理速度において優れていると言えるのだ。

 その優位性は、体内の臓器の動きや魔力の動きを認識できるなど、他にはない認知の広さにもつながっている。

 その認知の力で自己解析を続けた結果、花畑の女が言っていた『根源』という存在と思しきものを確認した。

 それはこの体の中に二つ存在し、一つはもう殆ど消えそうになっている。

 恐らくこの消えそうな存在が、少女の意識、根源という事だろう。


「どうすれば……どうすればよい……」


 すでに少女は語り掛けても返事がない。もう時間がないのだ。

 しかし焦ってはならぬ。冷静さを失えば、脳内で交感神経が優位となり思慮よりも運動する分野が活発となってしまって効率が悪くなる。

 我は今回の事象を客観的に見て、自分の記憶に近いものがないか考えた。

 根源、という言葉は昔滅んだ文明で研究された死霊術に近いものを感じる。

 いや、この少女の体に我の意識を移すという行為そのものが、死霊術に近い感じがする。

 ただ、あの花畑の女が最後に唱えた言葉だ。

 スレイブ、コアグラ。分析、解体して統合せよ。これは錬金術ではないだろうか。

 まさか、錬金術と死霊術は非常に親和性の高い魔法なのか。

 いや、違う、根幹をたどれば同じということなのではないだろうか。

 我は、思考に深く潜り、錬金術と死霊術を中心に、様々な魔法式を取り入れ、組み替えて一つの式を組み立てる。


(あとは実証実験のみ! 待っていろ少女よ!)


 我はまず自分の死体に手を当てて魔法の変成術を使って傷を一時的に修復した。

 変成術は物質や生物を変化させる術だ。たとえるなら、一時的に自分の姿や持ち物の姿を変えたりすることができる。

 ただ、魔力を持つ相手には基本的に通用しないので、路傍の石ころを一時的に武器に変化させたり、自分の腕を岩のように固くしたりという使い方をする事が多い。

 ちなみにこの魔法は、基本的に一定期間しか効果がない。

 そして修復した我の肉体の心臓を、無属性の力術によって強制的に動かす。

 イメージとしては、透明な手で心臓を握ったり離したりしているイメージだ。

 すると、死体ではあるが、血が巡っているのが確認できた。

 そこで、我が組み上げた新しい魔法式を展開する。

 空中のあちらこちらに文字が浮かび上がり、そこに魔力を注いでいく。

 時代や場所によっては数式、魔法陣、様々な呼び方をするそれは、きっと人間では理解できないだろうと思えるほどに緻密なものだ。

 今からどんな事象をどう現象するのか。それらを記号に置き換えたものが魔法式だ。わかるものが我の式を見ればその芸術性に目を剥く事だろう。

 そして、十分に魔力を充足させ、我は口を開いた。


「発動しろ! 転生!」



 暗い。真っ黒な世界。

 目に力を入れると、真っ黒な視界に一本の線が入る。

 それは、横一文字に視界の端から端にわたってまるで切れ込みの様に入っている。

 その切れ込みは、どんどん上に押しあがるように開いていく。真っ黒が、まるで帳のように上がっていく。


「成功か!?」


 我は声に出し、状況を確認する。

 手を見る。そこには見慣れた全てを引き裂く爪を備えた腕が見えた。

 成功だ! 我は成功した!

 それは、死霊術の『憑依』と錬金術を組み合わせた魔法である。

 憑依はもともと、死体に乗り移って操るという術なのだが、我はそこに錬金術を使って我の存在が肉体に定着するように変容させたのだ。


「ぐ、なんだこの苦痛は……痛い!」


 体中に激痛が走る。

 死体に無理やり我の意識を定着させたのだ、何か無理が生じているのかもしれない。

 無理が生じているという証左に、計算だと術が成功すると心臓が動き出す予定だったが、未だに動く気配はなく、力術で強制的に動かしている。

 肉体については、変成術を部分的に解くと、細胞が修復に向かっているのを感じる。

 疑似的だが、心臓さえ動かしていればちゃんと生命として活動は可能ではなかろうか。

 しかし、この成功は一時的なもので、時間が経てば我はやはり死んでしまうのかもしれない。

 だが、それでも。


「見たか花畑の女! 貴様の魔法に届いたぞ! 我は貴様の思い通りにはならぬ!」


 言って我は変成術を練り直し、自分の体を猫ほどの大きさにした。

 その方が心臓の動きを維持するのが容易だからだ。また、傷も一部変成を解き、自然治癒を促す。

 先ほどよりも激しい痛みが体中を駆け巡るが、それでも、いつかは治癒しなくてはならない。

 そして、我は倒れている少女の傍らに移動し、顔をのぞき込む。

 少女は、薄く目をあけ、口を開いた。


「わた……し……」


 少女と何かが繋がっている感覚がする。試してみるか。


『おはよう。言っただろう。貴様はどこへだって行ける。さあ、早く起きろ』


 もしかするとあの花畑の女が、我を死に追いやった人間の言っていた神なのかもしれない。

 だが、それがどうしたというのだ。

 我は誰にも従わぬ。相手が神だろうが知った事か。

 我の踏み出す一歩は、用意された道に踏み出すのではない。自分で選び、つかみ取った道に進むのだ。

 その最初の一歩は。

 この寝ぼけた少女が起きるのを待って、共に踏み出すとしよう。

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