第23話 どらごんさん! どらごんさん!
「どらごんさん! どらごんさん!」
目を覚ます我の視界一杯に、不安や心配を表情で表した少女の顔が広がった。
それは先程まで相対していた感情を感じない表情ではなく、心の中が思わず表情となって溢れ出したような、そんな表情だった。
我はそんなマアナの表情を呆っと見ながら呟くように言う。
「どうしたのだ、マアナ」
「どらごんさん、くるしそうだった」
どうやら我はうなされていたようだ。
まあ、それはそうか。夢なのかそうでないのかはわからないが、先程まで圧倒的な力を持つ存在と対話していた事をはっきり覚えている。
我は、視線を移して己の前足を見た。
人間でいうと手のひらという部分であろう、小さくなった体であってもその手は何者をも容易く切り裂くような爪が備わっており、鱗はどんな攻撃も受け付けない強固さを感じさせる。
幼い頃から付き合ってきたこの体。どんな無理にも文句ひとつ言わず付いてきてくれたこの体。
ふと、心臓が魔力制御をしなくても動いている事実に気が付く。
そこに意識を向けると、硬質な鎖が柔軟に巻かれており、心臓と共に収縮しているのを感じる。
あの対峙は夢ではない様だ。かといって、現実とも言い難い。
夢と現実の狭間、そのような場所に彼女は何故現れたのだろうか。
世の中には理由のない行動などいくらでもあるとは思うが、あの対話がそうだったとは思えない。
我の存在を使って何かをしようとしている、もしくは、何かをさせない為に必要な対話だったのではないだろうか。
だとすればこれは危険か。
我は己の心臓の辺りに手を置く。手綱を付けられてしまった思いだ。
いや、手綱など、いくらでも引きちぎってくれよう。己の信念を守るためならば、命など安いものだ。
考えがまとまった頃、マアナに視線を向けると、彼女は変わらず心配そうな顔をして恐る恐る我に手を伸ばしてきた。
マアナは我の背中辺りに手を置き、ゆっくりと撫でるように上下させる。
我は問う。
「なんだ? どういうつもりだ?」
マアナは我の目を見て、何かを思い出すように答えた。
「どらごんさん、体がいたいのかなっておもって」
なるほど。
手当という言葉の由来は、手を当てると痛みが和らぐ事があるという事実からきているのだとか。
所謂思い込み、脳への刷り込み、つまりプラシーボ効果というやつなのか、それとも外傷だとすれば患部は熱を持っているので、それよりは温度の低い手で冷やす事によって痛みを緩和する効果があったのか、それは我の知るところではない。
だから、それをマアナがやっているという事だろうか。
いや、何か違和感がある。何か別の痛みに対してのものではないだろうかという疑問がある。
しかし、別の痛みとは一体何なのだろうか。
我の考え込む顔に対して、マアナは先程までの不安そうな顔から、笑いかけるような、微笑むような。例えるならば先日マリーザが見せた母の顔のような表情を見せる。
なんだか気恥ずかしくなって、我は思わず口を開いた。
「我は別段痛む場所などない。そんな事より今日も仕事があるだろう。まずは下に降りて朝食をとろう」
「うん」
そしてマアナの身支度を待って、階下に降りるのであった。
○○○
「おはようマアナ、ドラちゃん。つってももう昼前だけどね」
マリーザの皮肉交じりの挨拶を適当に返し、マアナは席に着き、我はマアナの座ったテーブルの上に寝転ぶ。
人間の活動はどうやら朝型、もしくは昼型に特化した生活スタイルを主としているように思う。
ただ、我が昔関わりを持った文化の人間には朝型、昼型、夜型という異なる生活パターンを得意とする人間達が居た。
いや、得意とするという表現は少し異なるか。遺伝的に活発になる時間が異なるというところだろうか。
文明という強力な力を有す前の人類は、そうして朝、昼、晩と異なる活動時間を持つ者達が集まって暮らし、外敵から身を守ったそうだ。
しかし、文明という力を持った人間は外壁を作り、少ない人数で大きな音を鳴らせる警鐘を備えたのだ。
そうなってくると、全員の活動時間がバラバラになるよりも、活動時間を種族で纏めた方が便利となる。
さらに効率的なのは、日の高い内の方が明かりを用意する必要もないし、狩りの獲物も多い。必然的に朝型と昼型に、夜型の人間は合わせるようになったのだとか。
これらは以前の文明での話だが、マアナは朝がとても弱い事を考えると、マアナも遺伝的に夜型の人間なのかもしれない。
ともあれ、仕事の話を進めなくてはならないだろう。
ちょうど朝食を持ってきてくれたマリーザに、マアナは声をかける。
「しごと、ある?」
マリーザは「あいよ、確認するね」と言って一度カウンターまで引っ込み、数枚の紙を持ってやってきた。
「んー、うちの店は依頼が少なくてねえ。最近はマアナちゃんの為に協会からいくつか回してもらってたんだけどさあ」
彼女は頬に手を当てて考える素振りを見せながら続ける。
「あんたも大変だねえ、ドラちゃんの面倒も見なきゃいけないし」
「へいき」
マアナは鼻息荒く返事をしたが、マリーザは困った顔をする。
「うーん、つっても心配だよ。ドラちゃんの特性を活かして何かできないもんかねえ」
「おい」
さすがに三回目なので我は思わず声をあげてしまう。
我は半眼となってマリーザを見やりつつ、言葉を続けた。
「我の呼び名がおかしい気がするのだが」
マリーザは、まるで『ああ、そんなことか』と言わんばかりの顔をして言う。
「ああ、そんなことか」
顔と一致しすぎる言葉を吐いたマリーザに、我は辟易とした。
一つ言える事は、我の洞察は正しかったという事だろうか。
半眼を続ける我に対して、彼女は説明を始める。
「だって、ドラゴンなんて言い辛いじゃないか? だからいいだろ? ドラちゃん」
「……好きにしろ」
なんとも格好のつかないものである。
ドラゴンが言い辛いというのは、よもや単に長いから省略したいなどという事ではあるまい。
だとしたら、4文字から2文字に変わるだけでそんなに変わらんだろうと思うし、『ちゃん』という敬称までつけているので寧ろ長くなっているくらいである。
きっと人間社会でドラゴンは畏怖すべき存在であるから、大っぴらに呼べないという意味であろう。
少々不格好な呼び名ではあるが、こやつなりに気を遣った結果だというならそれを受け入れる度量が我にも必要だ。
そう思って言外に『しょうがないから受け入れる』という意味を込めた溜息を吐くと、それが伝わったのか笑顔のマリーザが口を開いた。
「だってさ、ドラゴンって名前長くて言い辛いじゃない? マアナもそうしなよ」
「わたしはどらごんさんでいい」
……前言撤回。呼び名については争う必要がありそうだ。
ともあれ、今は仕事の話をせねばなるまい。
そう思っていると、マリーザが何かを思いついた様で手を打って声を上げた。
「そうだドラちゃん! あんた人間になれるんだろ? マアナと一緒に依頼を受けなよ!」
我は心底嫌な顔をして見せたが、マアナは「それいい!」と眩しいまでの笑顔になっているし、マリーザは得意げに笑っている。
我は現実から逃げる思いで目を瞑り、今日何度目かになる溜息を吐いた。




