第2話 その少女はなぜ捨てられたのか
吾輩は竜である。名前などない。
あの奇妙な人間との戦いの後、我は辛うじて生きている。
いや、むしろもう死んでいる筈なのだが、魔力で無理やり心臓を動かしている。
この魔力が尽きた時、我は死を迎えるだろう。
満天の星空を見上げて、我は思う。死とはなんだろうか。今はまだ我は思考する事が出来る。けれど、これを生きていると言っていいのだろうか。
頼みの魔力は回復しない、それどころか減っていっている。
魔力の回復には食料が必要だが、今の我には何者かを倒して捕食するだけの力がないのだ。
自分の手を見つめる。とても小さな手だ。
延命措置として、変成術の魔法を使って体を小さくした我は、今は猫ほどの大きさであった。
こうして体を小さくすることによって心臓を小さくし、動かす魔力を抑えているのである。
こうまでして生き延びて、我は何をしようというのか。
勿論、こんな状態に追いやった人間が憎い、我がカオスドラゴンの種族本能として、憎しみが闘争本能を掻き立てるが、もうどうでもいいという気持ちもあった。
生きる事に未練はない。我は、そう思えるほどに長く生きたのだ。
どこを死に場所にするか、そんな後ろ向きな考えをしている時だった、少し離れた場所からガサガサと足音がする。
(この足音、二足歩行が2人? このような森の奥に、どうして)
嫌な予感がした。先の人間が追ってを放ったのではないだろうかと思ったのだ。
だから、茂みに隠れて様子を見る。
すると、それは農夫の父子のようだった。
どこにでもいるような農夫の父に手を引かれた少女、何故か、我はその少女から目が離せなくなる。
年の頃なら10歳に満たないくらいだろうか。その少女は何もかもを諦めたような顔をして、下を向いている。
はっとした。そうか、今の我の心境と似ているから気になるのか。すると、彼女も死に場所を?
そんな事を思いながら注視していると、親子は我の居る茂みの手前で止まり、親が口を開いた。
「ここでお別れだ。元気でな」
「……」
少女は何も言わなかった。ただ俯いて、何かに耐えている様だ。
親は、言い訳するように早口に言う。
「しょうがないだろ、ここ何年か凶作が続いちまって、お前の食いもん用意してたら、みんな死んじまうんだ。いい子だから、わかってくれるよな?」
「……」
なるほど。言葉はわからないが、状況と声音でなんとなく理解した。この親は我が子を捨てに来たのだろう。家族を養う食料がないから、労働力にならない子供を捨てるのだ。
だから、絶対に家に帰れないこのような人の寄り付かない森に連れてきたというところか。
まったく、我が身可愛さに子を捨てるとは、人間とはつまらぬ生き物よ。
親であるならば、その身を犠牲にしてでも子を守るという発想にはならないのだろうか。
いや、我々ドラゴンのような上位の存在の価値観を、人間ごときに説くつもりは毛頭ないが。
我は少しの不快感と共に、親子の様子を見守った。
ついに一言もしゃべらなかった少女の下を、親は去っていく。
その姿が見えなくなった時、少女は、初めて声を発した。
「……こわいよ」
そう言って地面にへたり込み、今まで耐えていたのだろう、大粒の涙を目からこぼしながら静かに呟いているのが聞こえる。
「やだよ……こわいよぅ」
……生き物の生涯とは、残酷なものである。誰しも生きたいと願い、しかして最後には必ず死んでいく。
これに例外などない。早い遅いの差はあれど、生き物は必ず死を迎えるのだ。
「こんな……ところで……一人で……こわいよぅ……嫌だよぅ」
どうしてだろうか。少女が何を言っているのかが何となく理解できる気がする。
何かが繋がりかけているような、不思議な感覚だった。
しかし、そうだな。一人は、寂しいな。
同情、だろうか。我は悠久とも思える時間を暗闇で過ごした自分と、少女を重ねてしまった。
だから、なのだろう。我は、驚かせないように静かに彼女に近寄る。
「!?」
それでも彼女は驚いたのだろう。いや、普通はそうであろう。猫ほどの大きさとはいえ、どう考えても肉食の生き物、ドラゴンの姿をした生き物が近づくのだ。さぞ恐怖だろう。
我は失策だったかと首を垂れる。
「……あなたも、一人なの?」
少女はそう言った。ああ、そうだとも。何千年も何万年も一人で生き、そして一人で死んでいくのだとも。
「ボロボロ……あなたもこれから死んじゃうの?」
心配そうに言う少女に、我は肯定も否定もせず、ただ少女の近くに寄った。
すると少女は我を抱き、言う。
「じゃあ、一緒だね。寂しくないね」
言って、少女は笑う。
ああ、なんという事だ。この我が人間ごときに、人間ごときと一緒に死ぬことを悪くないと思っている。
そう思わしめたこの少女は、どんな人生を送ってきたのだろうか。
願わくば、次の生ではこの少女が幸せになって欲しいと願う。
穏やかな時間、こうして我の命も終わっていくのか。そう思いながら心臓の動きがだんだんとゆっくりになっていった。
だが。
「ガウウウウウウウ」
「!?」
突然の唸り声、驚いたように振り返る少女。
しまった、オオカミに囲まれている! 我としたことが、気配に気づかなかった!
だが、どうせ死ぬのだ。食われて死ぬのも、力尽きて死ぬのも大差はない。
いや、本当は静かに死にたかったというのが本音だが。
刹那、少女が我の前に立ちふさがり、手近にあった石をまるで剣のように構えて叫ぶ。
「こっちきたら痛いよ!」
我は、目を見開いた。
少女の足は震えていた。握りしめた石は、とても武器と呼べるようなものではない。
それに、少女の痩せた体で、何ができるいうのか。
それでも、彼女は立ち上がったのだ。
何故? 何のために?
そうだ。我のためだ。彼女は我を守ろうとしているのだ。
滑稽な話だ。この世界最強の種族たるこのカオスドラゴンの我が、力なき少女に守られるとは。
けれど、だからこそ。
「あっち! あっちいけ! あなたは逃げて!」
そうか。我の命は、この為にあったのかもしれない。
「グオアアアアアアアアア!!」
「!?」
我は雄たけびを上げて、変成術を発動させる。
体を、元の大きさにもどすのだ。
ドクン、ドクン、と心臓が無理に脈打つのを感じる。今まで小さくすることでなんとか動かしていた心臓を、全身全霊で維持しなくてはならない。
「キャン! キャン!」
大きくなった我の姿を見て、動物の本能だろう、オオカミたちは悲鳴のような鳴き声を上げて去っていく。
魔物ですらない動物風情が、我と立ち向かうことなどできようはずがないのだ。
「ガウウウウウウウ……」
我の傷口からは、どくどくと血が流れ、口からもびしゃびしゃと血が体外に押し流されている。
命が、この体から去ろうとしている。
でも、これでいい。我は少女の平穏な死を守る事ができたのだ。我は、満足だ。
そう思いながら倒れた我の口元の辺りに、温もりを感じて目を開けると、そこには少女がいた。
「あなた、本当はおっきいんだね」
ああ、そうとも。この体は自慢なんだ。
「爪も強そう」
そうだ。この爪で沢山の敵を屠ってきた。
「翼もおっきい。飛べるのかな」
飛べるとも。どこへだって。我に行けない場所はなかったとも。
「いいなあ。私も、どこか遠くに、行ってみたかったなぁ」
……行けるとも。君は、自由なんだ。
その少女の言葉を最後に、我は、意識を失った。