第19話 お久しぶりです、マリーザさん。
憎悪とは何色だろうか。少なくとも暗闇のような場所の中にあって、それは辺りを照らすほどのエネルギーを備えた色だろう。
しかし眩い光ではない。燃えるような熱を持っているが、炎のような暖かい色ではない。
明るいのに暗い、青白く光るそれは、辺りのものを照らして可視化するというよりも、浸食して自身の色に染めていく過程で結果として暗闇から可視化できるようになるような。そんな不気味な色合いなのだろう。
それがどんな色なのか想像もつかないという者は、我の心の中を覗いてみるといいい。
暗く不鮮明な青い光は、不鮮明だからと目を凝らして近づくとその温度で目も体も焼いてしまうだろう。
己が体を燃やし、焦がしながらも燃え続けるそれは、その力の源を維持するために誰かを巻き込もうと虎視眈々と狙っているのだ。
我は、そんな確かな憎悪に今、支配されている。
何も考えられなくなるくらいに頭は熱く、どくどくと流れる血流がまるで大きな太鼓を力いっぱい叩いたかのように鼓膜と体を震わせる。
許せない。絶対に許す事などできようはずもない。
あんな平和な顔をして、あんな恵まれた環境で生きた目をして。
世界と共に辛い時代も生き、友を失い、それでも己を磨いて生きてきた我々ドラゴンを、まるで路傍の石ころを蹴るかの如くその誇りと命を簡単に奪う存在。
そんなものがこの世にあっていい訳が無い。
お互いに必死の苦労をして、お互いに生きるために全力になって、全てをぶつけ合って敗れるならばそれでもいい。
実際に戦った我には断言できる。あいつの力は借り物だ。ただ誰かに授かっただけのものだ。
それを使って簡単に奴にとっての悪を駆逐していく。そんな事が許されてなるものか。
何をもって正義と悪とするかなどどうでもよいのだ。こちらにとってどんな悪人であっても、それがその存在にとって正義ならばそれでいい。
ただ、あんな者に倒された存在は浮かばれない。この身が倒れ、あんな者の道になってしまうなど決して容認できない。
それほどまでに、あの勇者の目は何かを背負う覚悟も何も感じない。正義を貫くとは、翻って誰かの悪になる事だなどと考えた事もないような、例えるなら絶対的な善と悪が確かに存在するという妄信に根差している幼稚さが垣間見えるのだ。
ああ、そうか。我は怒ってもいるのかもしれない。この世の中の理不尽さを凝縮させたような男を前にして。積み重ねてきた何かなど何の価値もなく、何かの拍子に得た力さえあればなんでも出来る、そんな絶対的な事実に憤っているのかもしれない。
我の怒りがどんどんと膨らむ中、マリーザの店には様々な人間が入ってきた。
勇者に媚びへつらう傭兵崩れの男たち、野次馬のような町民たち、そして冒険者協会の職員数名。
冒険者協会の職員は、マリーザに言った。
「お久しぶりです、マリーザさん。今回は少し異例ですが、冒険者協会から依頼をお願いします。内容はレッドドラゴンの討伐。そしてここにいる勇者クロウさんが受注を申し出ています」
ピュエリとじゃれ合っていたマリーザは、頭を掻きながら冒険者協会から手渡される書類を受け取る。
「つってもこれ、拒否権無いんだろ? まあいいさ、そっちのいいようにやってくれ」
「ありがとうございます」
笑顔で頭を下げる職員。その肩に勇者クロウは手をポンと置き、マリーザに向かってにこやかに言った。
「こちらとしてもありがとうございます。あと、レッドドラゴン以外にもし困った事があったらいってください。ついでに片付けちゃいますから」
この言葉に、周りのパーティーメンバー達からため息が漏れる。
「クロウは放っておくと、すぐにどこかの女の子助けちゃってメンバー増えそうだから、目が離せないんだよね」
これにクロウはやや不満げに反応を返す。
「いや、そんなつもりは……でも、困ってるなら助けなきゃだろ?」
この言葉に、周りのため息はさらに大きくなった。
そこに、今一度店の扉が開き、一人の人物が入ってくる。
彼女は入ってくるなり普段人のいないマリーザの店がにぎわっている事に驚いた顔をし、次いできょろきょろと誰かを探すように顔を巡らせた。
「お嬢さん、誰かを探しているのかな」
「……ほら、こうやって増えるんだ」
勇者が声をかけた存在、それは仕事から帰ってきたマアナだった。
勇者は笑顔で手を差し伸べて言う。
「どうしたんだい? お母さんを探しているのかな?」
「? あなた、誰?」
「ああ、僕はクロウ。勇者だよ。でも、今は君の力になりたいんだ。誰を探しているのか教えてくれるかな」
マアナは思慮深い者特有の特性がある。つまり人見知りだった。
だから、少し怯えたように後退り、無言で助けを求めるように視線をキョロキョロと動かした。
その様子に、フローレンスという司祭の女が地に両膝をつき笑顔を向ける。
「大丈夫ですよ。お母さんはどこですか?」
しかし、それに答えたのはマアナではない。助けるようにマリーザが口を開いた。
「その子はウチで預かってるんだ。両親がいないみたいでね」
その説明に、勇者がはじかれたように反応する。
「そんな! ドラゴンにやられたのか!?」
「いや、なんだ、私もよくはわかってないんだけどね。でもそういうんじゃないって聞いてるよ。な、マアナ嬢ちゃん」
「うん」
短く肯定したマアナに、勇者は何かを感じたのか。決意で拳を固めて言う。
「わかった。じゃあ、この子を僕が保護する」
「え? いやちょっと待ってくれよ、その子は……」
「かわいそうじゃないですか! 大丈夫、僕がちゃんと守りますので」
マリーザの反論を遮って言う勇者。なおもマリーザは食い下がろうとするが、ピュエリが止める。
「マリーザ姉さん。クロウは言い出したら聞かない。もう無駄だよ」
「そうですね。頑固ですから」
なにやら笑顔で頷き合うピュエリとフローレンス。マリーザは我の方向にちらりと目を向けて、焦る様子で食い下がろうとするが、何故か冒険者協会の職員は「まあまあ、勇者様の好意ですので、ありがたく受け取っておきましょう」などと言っている。
まずい。このままだと奪われる。
運命とやらは我から全てを、何もかも根こそぎ奪おうというのか。
いや、許してなるものか。憎悪の炎が喉元までやってきて、今すぐここをブレスで焼き払えと言っている。
だが、ここで憎悪に駆られてそうしたとしても、我は勇者と戦って勝てるだろうか。
そこまで考えて、我はふと苦笑する。
憎悪を向ける相手に、勝ち負けなどを考えるとはな。
本来勝ちや負けなどというのは、その後の事を考えて決するものだ。
ただ憎悪をぶつけて、そこで命尽きても良いと考える事を是とするカオスドラゴンらしくない。
どちらかというと、信念よりも生きる事に軸足を置く人間の考え方ではなかろうか。
我は、人間に染まってきているのだろうか。だとしたら、何故。
ふと、困っておろおろしているマアナの顔が目に入った。
これはしようがあるまい。この手段は使いたくなかったが、ここはドラゴンの誇りを一旦脇に置こう。
準備の為にいくつかの水晶を口から出す。
急ぐ必要がある。その間にも、マアナの方では話が進みつつあった。
勇者のお優しい声とやらが、その場に響く。
「さあ、大丈夫。君にもうこれ以上悲しい思いはさせない。僕が絶対に守るよ」
そう言ってまたも手を伸ばす勇者。
手の先には、困った顔をしたマアナ。
「あの、えっと」
その様子に、勇者のパーティーメンバーも口々に言う。
「大丈夫、私たちを信じて」
「うん! 君もきっと幸せになれるよ」
「我が魔法の礎にィ! ああ、ごめん冗談だってば視線が痛いよフローラ!」
「さあ、私たちと一緒にいきましょう」
周りの人間達も笑顔で見守る中、透き通るような美声がその場を突き刺す。
「待ってもらおうか!」
瞬間、場はどよめきと誰何の声で騒然となる。
だが、関係ないとばかりに声の主はつかつかとマアナと勇者の間に割って入り。
パアン、と音を立てて勇者の手を払った。
「勝手な事はやめてもらおう。我の了承もなくこの子を連れていくというなら、それは誘拐だ」
そう言ったのは一人の男だった。清潔感ある黒髪、金色の目は人間の瞳孔と違って猫のように縦長になっており、肉食獣独特の冷たさと高貴さを現している。
そしてその高貴さを体現するかのようにかつての文明での巨匠たちが技術と美的センスの粋を集めて作った衣服を纏う男。
そう、人間の姿に変異した、我だ。




