第9話 味は聞かないで
ゴブリン集落はゴブリンヘッドを頭とした、ゴブリン200〜300匹ほどの集団で構成されている。
以上。
俺が簡潔にそうまとめたのにも関わらず、不親切だとコメント欄が色蓮に入れ知恵をし出した。
〝ゴブリン一匹に見つかっただけで仲間呼ばれるから気を付けて〟
〝ゴブリンアーチャーが中隊規模でいるよ、オススメは見張り台から潰すこと〟
〝火を放つのも有効だけど、万が一の可能性で女性が集落に捕らわれてることもあるから推奨されてない。でも色蓮ちゃんの命には代えられないからもしもの時は思い切ること〟
〝ゴブリンヘッドはレベル14だとまず間違いなく近距離で勝てないから、絶対に距離を取って。最悪ダッシュで逃げても恥じゃない〟
などなど。
どいつもこいつも過保護だった。
そうして視聴者の助言を頭に入れた色蓮が、まず最初に取った行動は……。
ゴブリンのふん尿を体に擦りつける、だった。
〝ぎゃあああああ!!〟
〝ゔぉえ……〟
〝吐き気してきた〟
〝今飯時なんですけど……〟
〝違う意味で茶の間に見せられない絵面で草〟
〝臭 〟
〝色蓮ちゃん臭い〟
〝これは美少女でも無理〟
「うるさいっスよほんとに! ウチだって臭くて気持ち悪くてねちょってて最悪なんスから! うわ……無理……くっさ……マジで吐きそう……ぅ」
色蓮が手で口元を抑える。その手はふん尿を体に塗りたくった手だ。
吐いた。
しばらく、画面とコメント欄が阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
…………。
「では、そろそろゴブリン集落に挑みます」
〝声に元気なくて草〟
〝なぜ笑うんだい? 彼女は真剣だよ〟
〝これ女として死んだやろ〟
〝むしろ惚れたわ〟
〝俺レベル200。結婚しよう〟
〝↑帰れロリコン〟
〝ガチで凄い、マジで〟
〝覚悟がん決まり過ぎ〟
〝ガチ攻略舐めてました〟
「……はい、どうも」
色蓮が死んだ目で答えて、ゆっくりとゴブリン集落まで歩を進める。
木の枝や丸太を適当に組んだ粗末な柵が見えてきた。ところどころ穴が空いていたりロープで補強されたりしている。
「……」
色蓮が音を立てないよう気をつけながらしゃがみ込み、そのまま腹ばいになって匍匐前進をした。
丁度草むらの陰になっている。臭い消しのおかげもあってかまだバレていない。
そうしてたどり着いた先は――見張り台。
例のごとく雑な造りで、高さは約三メートルほど。
上には一匹のゴブリンアーチャー。
だが、居眠りをこいていた。
「……んふ」
色蓮が笑いを堪え切れずに小さく噴き出した。
居眠りというどこか人間味溢れる行動にか、それとも都合の良い状況に思わず笑ってしまったのか。
どちらにせよ、この機を逃すほど色蓮は愚かではなかった。
「――」
見張り台まで一息で跳ぶと、流れるようにゴブリンアーチャーを刺し殺した。
弓に適正があるとはいっても、別に弓以外使ってはいけないということはない。
そのまま死体を足で蹴りどけてスペースを作ると、しゃがみ込んで素早く周囲を見回した。
……まだ大丈夫だ。
他の見張り台にいるゴブリンアーチャーは、真面目に外を警戒しているおかげで色蓮に気付いていない。
見張り台の数はここも含めて三カ所。
潰すなら、今が好機だ。
「……ッ!」
色蓮は弓に矢をつがえ、一射。
間髪入れずに二射目を放つ。
狙い違わず、他の見張り台のゴブリンアーチャーに命中した。
最初の接敵からここまで一分と経っていない。
隠密行動においては、時間こそが敵だとよくわかっている。
〝すっご〟
〝リアルアサクリかな?〟
〝めっちゃ見応えあるわ〟
〝低レベルなのに中〜高レベル探索者の配信より面白いのすごいわ〟
〝そら大人(高レベル)が浅瀬(低階層)で遊んでるとこみて面白いと思うやつおらんやろ〟
〝戦略もなにもない無双はたまに見るからええんや〟
色蓮が「しー」と口元に指を添える。
それだけで他の探索者の批判コメントが収まるから面白い。
別に音が出るわけではないからどうでもいいのに、サービス精神が旺盛なやつだ。
色蓮は見張り台の上から、集落の全景をざっと見下ろした。
大小様々な小屋、獣の骨で組まれた竈、焚き火の煙が上がる空き地。
中央広場では、飯炊きに勤しむゴブリンが十数匹。
そのそばで、泥まみれの壺に何かを投げ込みながら下品に笑う連中もいた。
そしてその間を、のそのそと数十匹単位でゴブリンが移動している。
〝生活やん〟
〝これ潰すの……?〟
〝ひぇ、大量殺人鬼……〟
〝色蓮ちゃんは実行犯。覇星様が指示役な〟
〝なら(覇星様の方が罪重いし)ええか〟
適当言っているコメント欄を無視し、色蓮が見張り台から素早く降りて、すぐに草むらの陰に身を隠す。
巡回中のゴブリンが地面を踏みしめる足音を響かせながら、色蓮のすぐ横を通り過ぎる――気づかれていない。
「……」
息を潜めたまま、小石を一つ拾い上げる。
目立たぬように草むらの奥へ投げ込むと、数匹のゴブリンがそちらに気を取られて動き出す。
隙を突いて、色蓮はさらに奥の物陰へと素早く身を滑り込ませた。
釣られて近づいてきた三匹のゴブリン。その背後から、色蓮は一気に距離を詰める。
短い悲鳴すら許さず、次々と喉元を断ち切った。
倒れたゴブリンたちの体から、かすかな音しか漏れない。
死体を物陰の奥におしやり、肩で呼吸を整えた。
「……っ」
全身が湿気と汗でべたつくのか、色蓮が防具を脱ぎたそうに中のシャツを引っ張る。慣れでは誤魔化せない臭気が鼻につくのか、顔を顰めた。
それでも隠密行動のためだと自分に言い聞かせるように、色蓮は小さく息を吐き、手を止める。
〝さっきの少し危なかった〟
〝音で釣るには数多すぎやろ〟
〝もっと慎重にいって〟
〝一昼夜かけても見てるよ〟
〝大丈夫、色蓮ちゃんなら勝てる!〟
色蓮は一つ頷いて、深呼吸をした。
その後も、色蓮は順調にゴブリン達を間引いていった。
巡回しているゴブリン達は無理に狙わず、仕留められる敵から仕留めていく方針に切り替えている。
草むらの影、物置小屋の裏、獣骨の竈の脇――ゴブリンが一人きりになった瞬間を逃さず、色蓮はためらいなく背後から喉を裂いた。
死体はすぐさま腕を引いて物陰に引きずり込み、余計な痕跡は土を被せて消す。
鍋をかき混ぜていたゴブリンが、気配もなく首を斬られて鍋の中に突っ伏す。
巡回ルートの端でぼんやり立っていた個体は、脳天に矢を抜かれて絶命した。
時折見張り台に上っては、集落全体の流れを観察する。
そして、またすぐに次の獲物を定めて静かに向かう。
気づけば、ゴブリンの数が目に見えて減っていた。
〝いいぞいいぞいいぞ!〟
〝勝ったな、風呂入ってくる〟
〝↑お前絶許〟
〝これ成功したら快挙やない?〟
〝レベル14でゴブリン集落陥落は間違いなく快挙〟
〝というか海外勢でもそんな無茶せんぞ……〟
〝後少し! 頑張れ!〟
色蓮も徐々に余裕が出てきたのか、呼吸も静かに整っている。
見張り台の影に身を潜め、手早く矢をつがえながら、残りのゴブリンの動きを探っていた。
気を落ち着かせるように、目を閉じる。
――それが、致命的だった。
見張り台の下。転がしておいたゴブリンアーチャーの死体。
その更に向こう側から、交代要員のゴブリンがハシゴを使って登ってきていた。
気付いた時にはもう遅い。
ゴブリンが素早く腰の角笛を掴むのと、色蓮が動いたのはほぼ同時だった。
――――。
甲高い角笛の音が、静寂を切り裂くように集落中に響き渡った。
「やらかした……」
角笛の音が響いたのは一瞬だけ。すぐに彼女はゴブリンを始末している。
だが、その一瞬だけで全てが台無しになる。
角笛の音に呼応してあちこちで連鎖的に笛が吹かれた。よく訓練された衛兵のように、ゴブリン達は即座に反応する。
物陰から、焚き火の周りから、小屋の中から続々と武器を手に取った群れが飛び出してきた。
〝ああああちくしょうめぇええ!!〟
〝交代要員とかクソ仕様過ぎるんですけど!?〟
〝いや生きてるなら普通やろ〟
〝お前らがフラグ立てるから〟
〝誰だパーフェクト前に言うと打たれるアレみたいだなとかいったやつ〟
〝ダメポ〟
〝もう逃げて〟
「……いや、ここまできたらいけるとこまでっ!」
色蓮は矢を素早くつがえ、集まってくるゴブリンの群れに狙いを定める。
一射、二射、三射。
正確な狙いは確実に敵の数を減らしていくが、あまりにも数が多い。見える範囲では全く大勢に影響はなかった。
加えて、遠距離攻撃があるのはこちらだけではない。
ゴブリンアーチャーの一斉斉射が放たれる。
色蓮がすかさず見張り台の陰に身を隠すも、粗末すぎる造りでは全てを防げるはずもない。
丸太の隙間やボロく腐食した板を貫通し、色蓮の体を何本か掠った。
「ちょ、うわわ!」
色蓮が見張り台から転がり落ちた瞬間、背後で板がバラバラと砕け散った。
矢が集中し、続けざまにゴブリンの突撃が台ごと破壊したのだ。
視界の端で、怒号と共にゴブリンたちが押し寄せてくる。
「数え切れない……くっ!」
色蓮は矢筒をひっつかみ、地面に転がったまま一射、さらにもう一射。
膝立ちで振り返りつつ、駆け寄ってきたゴブリンの頭に矢を直接突き刺した。
連携も何もない烏合の衆――だが、純粋な数と怒号が圧を生む。
〝やばいやばいやばい!!〟
〝めっちゃ乱戦じゃん!!〟
〝いや逃げろって!〟
〝弓使いが単身で乱戦は無理でしょ!?〟
色蓮は近くの大きな壺を蹴倒し、中身をぶちまけて足元をぬかるませる。
滑ったゴブリンが二匹、転がってきた。
「邪魔!」
短剣で脳天を突き刺し、その死体を盾にしながら矢をつがえる。
応射、命中。
数え切れないほどの数で飛来してくる矢が、色蓮の頭上を掠めた。
……こうなってしまえば、色蓮に勝ちの目は殆どない。
密集したゴブリンたちの隙間から、集落の中央広場が見える。
――その中央、ゴブリンたちがざわめき、左右へ割れた。
「……え」
ゴブリンたちの叫びが一瞬だけ静まる。
奥から、ずん、と地響きを立てて現れる影。
全身を粗末な鎧で覆い、異様に肥大した体躯。
肩には人間の頭二つぶんはあろうかという巨大な鉄槌を担いでいる。
左右非対称な牙が突き出た醜悪な顔。それが色蓮を真っすぐ睨み据えていた。
そいつは、喉の奥から唸るような声を響かせた。
「グ……ゥ゛ゥ゛……ゴルルァァァァ!!」
〝ヘッドきた!?!?!?〟
〝無理無理無理無理〟
〝逃げろ!〟
〝絶対勝てないから逃げろ!!〟
「そんなの、やってみなくちゃわからな――!?」
ゴブリンヘッドが地響きを鳴らしながら突進してきた。その巨体から発せられる唸り声と、振り下ろされる鉄槌の重圧。
色蓮は間一髪で身を翻し、辛うじて直撃を避ける。地面が砕け、破片と泥が飛び散った。
「速っ……!」
すかさず距離を取り、矢をつがえてヘッドの顔面を狙う。
放たれた矢は、鈍く光る鉄槌で叩き落とされた。
返す刀でヘッドが腕を薙ぎ払うと、風圧だけで体がよろめく。
背後から群れのゴブリンたちが「ギャギャッ!」「グギィィ!」と吠えながら迫る。
色蓮は短剣で必死に防御するが、数が多すぎる。
気づけば包囲され、ヘッドとの間合いすら維持できなくなっていた。
「くそ……っ!」
ゴブリンヘッドが再び鉄槌を振り上げる。
横っ飛びでかわすが、鉄槌の縁が肩をかすめた。
「ッ――ぐっ……!」
片腕が痺れたのか動きが覚束ない。呼吸が浅くなった。
それでも矢を放つが、ヘッドの胸に当たる前にまたも鉄槌で弾かれる。
「……っ、全然効かない……!」
ヘッドがにたりと笑い、今度は足で地面を踏み砕く。
その衝撃でバランスを崩した色蓮に、群れのゴブリンが容赦なく襲いかかる。
腕を噛まれ、足を引っ張られ、地面に物量で縫い止められた。
〝やばいやばいやばい!!〟
〝みてらんないよこれぇ!!〟
〝このコメントは削除されました〟
〝覇星様はどうしたんだよ!?!?〟
〝誰でもいいから助けろって!!〟
「う……あ……!」
防戦一方の中、ヘッドの鉄槌が再び振り下ろされる。
死体で受け止めるが、衝撃までは吸収しきれていなかった。
ヘッドの醜悪な顔が愉悦に歪む。
生け捕りにする為、今度は色蓮の足を鉄槌で砕こうとする。
ヘッドの丸太のような腕を見上げる色蓮の顔を見て……俺は小さく息を吐いた。
「――《強制転移》」
色蓮が1階層の高台に転がる。
「――――はっ、はーっ、……はっ」
荒い息を何度も繰り返し、涙が滲んだ瞳でダンジョンの空を一心に見ている。
全身からは汗が滝のように流れるも、身体は硬直したように強張ったままだ。
死んだ。
あの時色蓮は、間違いなく死んでいた。
正確には生け捕りにされていただろうが、それは死んだも同然だ。
それを俺が助けたというだけで生き延びても、心はすぐには受け入れられない。色蓮の身体は幻の死に囚われたように指先一つ動かなかった。
「フルポーションだ、飲め」
俺が赤く染まる瓶を彼女の口元に持っていき、流し込む。喉が痙攣しているのか何度か噎せるも、最終的には飲みほすことができた。
ポーションすら受け付けないとなると荒療治が必要だったが、そこまで重症じゃなくて何よりだ。
「今日はここまでだ。配信も終わりにしろ」
「…………は、い」
視聴者に向けて終わりの挨拶を喋ろうとして、すぐに諦めた。
色蓮が無言で配信を切る。
コメント欄には最後まで色蓮を心配する声が残されていた。
しばらく、色蓮が放心した顔で空を眺めていた。
現実を受け入れる内に、徐々にその顔が歪んでいく。
羞恥と、怒り。
視聴者に無様を見せたから、などという理由ではなく、色蓮は自分自身を恥じ、怒っていた。
……色蓮はあの瞬間、負けを受け入れた。
ダンジョンでは、負け=死だ。
それを受け入れた時点で、もう探索者としては終わり。自分の限界はここだと錯覚してもおかしくない経験だ。
それが悔しくて、恥ずかしくて仕方ない。
……その経験は当然、俺にもある。
「俺は今に至るまで、何回も死ぬような目に遭ったし、何回も負け続けている。今も生きているのは、ただしぶといだけだ」
「…………」
「お前、1回負けた程度でなに泣いてんだ?」
「……慰め、下手すぎないスか」
「事実を言って何が悪い」
「泣いてませんけど!?」
色蓮が売り言葉に買い言葉で、俺に顔を向ける。
その目はばっちし赤く腫れていたが、まぁ指摘することもない。
「決めました! ウチはいつか必ず、先輩を越えて見せます! それをウチの最終目標とします!」
「ほぅ、なんで」
「先輩をぎゃふんと言わせたいので!」
なんというか、実に色蓮らしい回答だ。
いや、探索者らしい回答と言うべきか。
ただの付き合いだと思っていた色蓮との関係も、思ったより長く続きそうだ。
意外と面白くなりそうだと、そこまで悪い気はしなかった。
【Tips】ゴブリン
多くのダンジョンの浅い階層に生息する、小柄な人型のモンスター。
一個体の戦闘能力は低く、しばしば初心者の探索者の最初の獲物となるため、「最弱のモンスター」と侮られがちである。
しかし、その本質は、高い繁殖力と、狡猾な知性にある。
彼らは「集落」と呼ばれる巨大なコミュニティを形成し、罠を仕掛け、見張りを立て、角笛で連絡を取り合うなど、高度な集団戦術を用いる。
また、特に女性の人間に対して、異常なまでの執着と残虐性を示すことが知られている。
……黎明期、ある中堅レベルのパーティが、ゴブリン集落の討伐を生配信した記録が残っている。
彼らはゴブリンを侮り、正面から突撃した。結果、数の暴力と、巧妙に仕掛けられた落とし穴の罠に嵌り、パーティは一人、また一人と無力化されていった。
配信の最後に映っていたのは、パーティの女性ヒーラーが、笑い声を上げるゴブリンたちによって、集落の奥にある暗い洞窟へと引きずられていく映像だったという。
そのパーティのメンバーが、生きて発見されることはなかった。