第51話 嵐の王
それは、まさしく人が思い描くような恐竜にとても似ていた。
違いがあるとすれば前脚は長く、翼竜のように翼膜が肩から伸びている。触れただけで何物をも切断してしまいそうなそれは、間違いなく空を飛ぶ為のものではない。
大きな顎。
長い尻尾。
珊瑚のような青白い角。
全身は黒曜石のような滑らかで美しい鱗に覆われ、しかし光を反射せずに呑み込んでいる。全くの漆黒かというとそうではなく、体内に稲妻を宿したかのように絶えず明滅していた。
砂塵の王——『アリドレクス』。
嵐の王——『イグザレクス』。
ミイラのようだったアリドレクスと違い、イグザレクスは全身が瑞々しく、まさに生きている。しかし本当に違うのは見た目も然ることながら、その知性。
瞳に輝くその青き火は、蘇ったという言葉が相応しい。
【——我から逃げ延びた、娘か】
「————!?」
〝しし、しゃべった……っ〟
〝おおお、落ち着け、中レベルの配信には、し、しゃべるモンスターも、いい、いただろ〟
〝ち、中レベルなら、そりゃいるけどっ〟
〝ここ四層、まだギリで低階層っ〟
〝有識者ニキが駆り出されてて情報少ない、これ普通なの!?〟
……普通ではない。
人語を介するモンスターは、深い階層だからといって当たり前のようにいる存在ではなく、ましてや低階層で人語を発するモンスターなど彼だけとなる。
それが強さに直結するわけではない。だが知性があるということはそれだけ狡猾であり、それだけ長く、根深く、ダンジョンと繋がっている証明ともいえた。
「……ウチを、覚えているんですか」
【当然だとも】
一言発する度に、彼の大きな顎から蒸気のようなものが漏れた。
【中々に愉快な戦であった。つい興が乗り、思わず嚙み殺してしまったかと思いきや、幻影だったとは……ククク】
地獄の釜で煮たような、腹の底に響く低い声で彼は笑う。
【褒めてやろう、娘。我を楽しませてくれた礼を言う】
「……」
恐怖。
対峙しただけで格上だと分かる圧倒的な存在感に、色蓮は呑まれている。
彼はその爬虫類を思わせる瞳を細め、大きな口を歪ませた。
【どうした、娘。臆することなど何もない。我は感謝しているのだ】
彼が身じろぐだけで、パチパチと静電気のような音が神殿に響く。
【言葉だけでは足りぬか。であるならば、望みを言え。我はこの地と親しきものなれば】
「…………」
〝お?〟
〝おぉ〟
〝認められた?〟
〝これは戦わなくてもいいのでは〟
〝回避しよう、戦いを回避すればそれは勝ち〟
〝道を譲ってください、それだけでいい、それなら叶う〟
……回避すればそれは勝ち、か。
彼女は恐怖を押し殺すように顔を伏せ、次に上げた時には——目が据わっていた。
「……望みは、なんでもいいんですか」
【当然だとも。宝具か、力か。好きなものを言うが良い】
「そうですか、では————《星環陣》」
————瞬間。
色蓮がスキルを発した瞬間に、星屑たちが弾けたように爆発した。
それはイグザレクスに向けられたものでは決して無い。ただ色蓮の周囲を守るように展開させた、ただそれだけで——この地に淀み、濁った彼の蒸気を掻き消した。
起こった事象、結果を、彼女は冷たい瞳で眺める。
「ウチを嵌めようと画策した、貴方の汚い魂胆を説明してください」
【————】
イグザレクスは目を見開き、震え、そして、
【——クク、ククク、クハハハハハハ! 見事!】
哄笑する。
【よくぞ我の罠を見破った。よくぞ我が一部を消し去った! そうよ、あれこそは貴様を囲み、纏わりつかせ、死へと誘う我が生よ!】
「…………」
【その上で、先ほどの問いに答えよう——何が悪い? 獲物を騙し、罠に嵌め、一切の隙を見せぬことの何が悪い。汚いなどとは敗者の戯言。所詮は弱者の遠吠えよ!】
——雷光。
彼の身体を纏わりつくように、稲光が迸る。
【我は砂塵の王にして嵐の王、天地開闢より産まれ、この地を統べるまことの支配者、イグザレクスなり! 小娘ごときに推し量れる我ではないわ!】
突風が吹き荒れ、雷雲を伴った嵐が起こる。
電撃そのものである炸裂音の連続に、色蓮は怯んだように眉を寄せ、しかし不敵に笑った。
「何も悪くありません。弱肉強食の世界で生きてきた貴方に、ウチ程度が何か言うつもりもありません。ただ、ウチは確認を取りたかっただけなんですよ」
——星環陣。
星屑たちを展開し、彼女を守るように宙を舞わせる。
いつもの大弓と矢籠は地に捨て置き、一言。
「それならウチも、あらゆる手段で貴方を倒していいのでしょう?」
——ラグナリア。
月の女神を、その身に顕現させた。
【——クハ、クハハハハハハ! 気に入ったぞ、娘!】
彼はその大きな顎を開き、牙を見せ、豪快に笑う。
【その魂もろともに、我が喰らい尽くしてくれようぞ!】
「やれるものならやってみろ、トカゲの出来損ない!」
彼の雄叫びと同時に、色蓮は矢を放った。
雷光貫く一閃。嵐を身に纏ったイグザレクスの翼膜に直撃し、爆裂する。
【——月の系譜か、小賢しい!】
イグザレクスの咆哮と共に、神殿内部に黒い雷雲が渦を巻いた。
それは瞬く間に大きく広がり、絶え間なく矢を放ち続ける色蓮をも呑み込む。
純粋な視界の制限。それと雷雲内における断続的な稲妻による攻撃。
その全てを見切れるわけもなく、色蓮は身を屈ませるようにして耐え凌ぎ、
「どっちが小賢しい!」
————爆発。
星屑たちを手動で解放し、巻き起こる爆風によって雷雲を強制的に霧散させる。
「《スター・ペネトレイト》!」
ラグアリア使用中でのアクティブスキルの併用。
それは闇の中で閃光にも似た輝きを放ち、一種の目くらましとしても機能する。その一撃はイグザレクスに大仰な回避を強要させて躱されたが、彼女は結果を見届けるまでもなくすでに動いていた。
——神殿の柱、壁、天井、何も無い空間。
色蓮は空中を縦横無尽に跳びまわり、あらゆる角度からイグザレクスを射抜いていく。
その姿はさながら閃光——いや、まるでピンボールだ。
〝おおおおおおおおおおおお!!〟
〝いけえええええええええええ!!〟
〝やれえええええええええ!!〟
〝かてええええええええええ!!〟
〝このまま! このまま! このまま!〟
最早意味を為していない、ただの応援となったコメント。
騒音に近いそれを塗り潰すかのように、イグザレクスが咆哮を上げた。
【図に乗るな——ッ!】
咆哮による強制的な怯み。
空中で一瞬だけ動きを止めた色蓮目掛け、イグザレクスが弾丸のように大顎を開けて突っ込んできた。
しかしそれが狙いだとばかりに——色蓮が笑う。
——《陽炎》。
二度同じ手に掛かった彼は瞳を見開き、そして神殿の支柱を勢い余って嚙み砕いた。
支柱が砕かれ、轟音響かせながら崩れかける天井。
紙一重で形を保っているそれに向けて、色蓮は全力で矢を放った。
「壊れろ!」
ドミノ倒しの最初の一本。それを崩した時のように、連鎖的に天井——いや、神殿そのものが崩壊する。
【————ッ】
最早耳を塞がずにはいられない地響きと共に落ちてくる瓦礫が、イグザレクスの全身を圧し潰した。
【——小娘がァッ!】
嵐を纏い、瓦礫を吹き飛ばしたイグザレクスの瞳には、もう色蓮は映っていなかった。
彼女は——空にいる。
「————《スター・ペネトレイト》ッ!」
直撃————
熱線帯びた一矢が紛うことなくイグザレクスに直撃し、彼の身体は蒸発したように崩れ去る。
……静寂。
……雨の音。
ただそれだけ。それだけであることを確かめ——色蓮は両腕を上げた。
「勝った————勝ったッ!」
〝おおおおおおおお!!〟
〝よっしゃあああああああ!!〟
〝勝ったあああああああ!〟
〝すげぇすげぇすげぇ!!〟
〝その為の両腕!!〟
「やった、やったやった! 見ましたか、見てくれましたか先輩っ! 勝ちました、勝って見せましたよ!」
喜び過ぎてテンションがおかしい色蓮。
俺はそれを喜べない。全く笑うことができない。
——後ろ——いや、転移を——
……その意思を押さえつけるのに、精一杯だった。
「どうしたんスか、先輩。見てるんでしょう? ほら、何か一言あってもいいんじゃないっスか、頑張ったなとか、よくやったとか、流石は未来のナンバーワンだ、とか————」
色蓮は最後までその言葉を言えなかった。
彼女の背後に集まった水蒸気が形を為し、巨大な一本の脚へと変貌する。そしてその脚に色蓮が気付いた瞬間には、もう全てが終わっていた。
——ごり、と。
肉が潰れ、ひしゃげ、抉れる音が彼女の脇腹から響いた。
「————」
体から噴水のように血を流し、地面へと無抵抗に落ちる色蓮。
その元凶は何事もなく蒸気に戻り、また一つの大きな塊となっては——顕現した。
……イグザレクス。
彼は地に落ちる色蓮を見下げ、大きな口を歪ませた。
【今度は幻影ではないようだな】




