第5話 一番楽な道は選んでくれない
その日、色蓮は本当に土だけいじって帰っていった。
家庭菜園は初めてらしく、トマトの支柱を整えさせたら奇怪なオブジェを作ってきた。むかついたので雑草抜きをやらせたらやたら丁寧に抜いていたので、悪いやつではないだろう。
これならもう少し丁寧に接しても良かったかもしれない。
まぁ、もう終わったことだ。
「こんにちはー一愛先輩。遊びに来ましたよー」
次の日も来た。
「ウチ料理とかできないんスよ。材料はウチ持ちなんで、料理教えてもらっていいですか?」
「いやお前学校」
「ウチ、怪我人。少しくらい平気っスよ」
「……」
材料はもう買ってきたのかスーパーの袋を持っていたので、食材を無駄にするわけにもいかず渋々家の中に通した。
その日は肉じゃがを作って食って終わった。
かなり下手だったので俺が残りを食って、唯愛にはまた別で作った。
「こんにちはー一愛先輩。今日はハンバーグを作ってみようと――あ、唯ちゃん!」
「え、え! なんで色蓮ちゃんが家に!?」
「一愛先輩に料理を教えてもらいに来たんだぁ」
「兄ちゃんやるぅ!」
「……」
次の日……土曜日もまた来たので、学校が午前のみの唯愛ともニアミスしてしまった。
その日はハンバーグを作り、唯愛と一緒にゲームをして終わった。
大乱闘なゲームで俺にも唯愛にもズタボロにされて、涙目になっていた。
「こんにちはー一愛先輩。今日はカレーを作ったらリベンジっスよ!」
次の日も。
「こんにちはー一愛先輩。今日はカレーの残りを食べてリベンジ!」
次の次の日も。
「こんにちはー一愛先輩。今日は、」
次の次の次の日も。
毎日毎日飽きることなく、色蓮は俺の家に入り浸った。
「…………わかった。話を聞こう」
「はぇ?」
大乱闘なゲームで俺にボコボコにされ飽きたのか、今では動物的な森で村を充実させるのに執心している。
唯愛の付き合いで始めた俺より進んでいるのが何となく腹立つ。
「お前は俺に話を聞いてほしいんだろ。聞いてやるから言ってみろ」
「……あ、あー、えっと、まぁ、確かにそんな思いもありましたけど……」
色蓮は何かを思い出すように視線を泳がせると、猫のように丸まっていたソファにきちんと座り直した。
何がそんな思いもありました、だ。バレバレだろ。
しかも俺が聞くまで忘れていたな。間違いない。
この家の主である俺より寛いでいるし、最近は夕食まで食べていく。皿洗いの手順や収納場所まで把握してるし、もう勝手知ったる何とやらだ。
これを計算でやっているとしたら恐ろしいが……見ろ、この思いがけない所から指摘を受けたようなアホ面。
馬鹿みたいだろ? 多分馬鹿だ。
「……えーと、そのですね。うーん、何と言ったらいいか。ウチも先輩と関わっていくうちに考えを変えたというか……先輩はもうこのままが良いんじゃないかと思い直したというか」
「とりあえず言ってみろ」
「いや、でも……」
「いいから。最初に言おうとしたことを言ってみろ」
我ながら似つかわしくない、少しだけ優しい声色が出た。
それに背を押されたのか、色蓮が勇気を踏み出すように口を開きかけ……止まる。
色蓮が言葉を探す、その沈黙のすき間を埋めるように、彼女のスマホがけたたましい音で鳴り出した。
「――緊張連絡?」
探索者にだけ通知される緊急連絡。異常事態の発令だ。
探索者統制庁は探索者登録を行ったものに異常事態を通知し、受け取った探索者は力あるものの義務としてこれを鎮圧、または鎮圧に尽力しなければならない。
通知を受け取る対象は異常事態発生源の半径五キロ圏内にいる者……色蓮のスマホに鳴ったということは、近所か。
「なんで先輩には通知が……いえ、なんでもありません」
色蓮は何か言いたそうにすることもなく、すぐに言葉を呑み込んだ。
世界一位。俺個人が治外法権。
それが許されるのを、色蓮は全く理不尽に思っていなかった。
「すみません、ちょっと用事ができました」
「レベル10が行ってもなにもできないと思うぞ。俺個人の経験から言うが、すぐに他の探索者が駆けつける」
「分かってます。ですので、念の為ウチからも救援要請をして、それから現場を確認するつもりです」
「そうか。じゃあ行くか」
「…………え?」
色蓮が心底きょとんとした顔をする。
「どうした。まさか俺が動かないとでも思ったか」
「い、いえ……え? 動くんスか?」
失礼だなおい。
「俺は別に隠居を気取ってるわけでも、影で動くのが好きな厨二でもない。身近に危険が迫っていれば対処くらいはする。身バレしたくないのは家族がいるからだ」
「いや、それくらいは察してますけど。身バレしますよ?」
「問題ない。お前がいるだろ」
「……うわ」
ちょっとマジな顔で引いている色蓮に、思わず苦笑が漏れる。
我ながらこの言い分はどうかと思うが、事実なので言い繕っても仕方ない。
……それに、色蓮を一人で行かせるのも気が引ける。
向こう見ずな馬鹿なら放っておくが、自分の力量を理解した上で、それでも危険を承知で動く奴を見殺しにするのは、寝覚めが悪すぎる。
今回俺が動く理由は、それだけだ。
「案内しろ。あと、救援要請は出すなよ」
「――よろしくお願いします!」
自分にとって何の得にもならないはずなのに、色蓮はなぜか、心から嬉しそうな笑顔を見せていた。
◇
異常事態はすぐに鎮圧した。
魔道具の暴走。暴走したのは双方向転移門――純魔道具だった。
無茶な使い方をすれば人も道具も壊れる。そういう時は消すのが一番だ。
「どうした、浮かない顔して」
俺の三歩後ろほどを歩く色蓮が、解決したというのになぜか思い詰めたような顔をして俺を見ていた。
「いえ……今の、なんだったんですか? 私が知っている魔道具とは、なんだか全然……」
「“純魔道具”だ。世間が普段使ってる、安全な玩具とは違う」
「純? 魔道具とどう違うんスか?」
いかにも不思議そうに首を傾げる色蓮に、俺は簡潔に説明した。
「簡単に言えば、人が設計図を引いて作った『製品』か、ダンジョンが気まぐれに産み落とした『生物』かの違いだ」
「生物……」
「ああ。製品には取扱説明書がある。だが、生物にそんなものはない。機嫌を損ねれば、主にも牙を剥く。今回みたいにな」
俺の言葉に、色蓮はごくりと喉を鳴らした。
法整備もされていなかった黎明期の遺物だ、などと、これ以上説明するのは野暮だろう。
「やっぱり、先輩が一番……」
「なんだ」
「……いえ、その、」
「ああ、そうか」
そういえば、まだ話の途中だったか。
「落ち着ける所に移動する」
色蓮の返事を待たない内に、俺は無言で転移を行った。
「……え、どこっスかここ」
「ノルウェーのガイランゲルフィヨルドだ。ああ、丁度白夜の季節だったか」
深く切れ込んだ紺碧のフィヨルド。その両岸にそびえる断崖は、夏近くでも頂に雪を残している。
景色が好みでたまに来るんだが……俺は平気でも、色蓮には少し肌寒いか?
「あー、お気遣いなく。体温調節系の魔道具があるので」
「そうか」
なら何も心配しなくていい。
俺は丁度いい高さの石に、ベンチ代わりで腰掛けた。
「続きだ。言ってみろ」
「……えっと、話さなければ帰さない、とか?」
「は? どうしても話したくないなら別にいい。意味がわからん」
「つまり、他意はなく単純に“落ち着ける場所”として選んだのが北欧だ、と。…………はぁぁ」
色蓮がとんでもなく大きな溜息を吐いた。
「世界観が違いすぎる。こんなの話したところで……いや、非常識が三十回くらい周回してるからあるいは……?」
「おい聞こえてるぞ」
何を言いたいのか分からないが、呆れられているのはわかる。
……しばらく、風の音だけが静かに通り抜けていた。
色蓮は膝の上で指をもてあそび、視線をどこにも定めないまま、ぽつりと呟く。
「――先輩」
呼びかけだけで、また黙る。
俺が催促するでもなく待っていると、色蓮がゆっくり顔を上げた。
「先輩に、お願いがあります」
一拍。
どこか震えるような小さな声で、色蓮は言った。
「――王になってほしいんです」
「断る」
「ほらやっぱりぃ!!」
反射的に否定したが、やはりよく考えても断るしかない。
色蓮はふてくされたようにその場に座ると、愛嬌のある目で下から俺を睨むように見てきた。
「先輩は、今の世界情勢をご存知で?」
「主語がでかいな。そこまでいくと分からないとしか言えない」
「嘘ばっかり。世界なんて、ダンジョンに比べたらはるかに小さいのでしょう?」
「……」
「世界は今、探索者が支配しています」
探索者は強力な、本当に強力過ぎる武の背景を盾に、それぞれの自国を思うがままに動かしている。
探索者とは本来、ダンジョンに挑み栄光や富を追い求める者たちだった。
だが今やその定義は形骸化し、彼らは国家すら超え武力そのものとなっている。
「日本はなぜか、奇跡的なバランスで秩序が保たれています。こんなのは世界的に見ても本当に稀なんスよ。唯一と言ってもいいくらいです」
「いいことだろ」
「とってもいいことです。でも、それがいつまで続くか分かりません」
「……」
「おまけに――……ダンジョン崩壊」
一瞬だけ言い淀んで、息をついた。
「第一次、ダンジョン崩壊がありました。第一次があるということは、第二次、第三次があるとは思いませんか」
「……」
「なんて、こんなの言うまでもなく先輩はわかってると思いますけど。ことはダンジョンの話しですから」
俺はそれに答えることができない。
それを察したわけではないだろうが、色蓮が話を進めた。
「第一次ダンジョン崩壊では、沢山人が死にました。第一次を教訓に第二次は被害を抑える……言うは易しの典型ですね。ウチは今のままで上手くいくとは思えません」
「……」
「なので、先輩には王になってほしいんです」
色蓮は利点を挙げてくる。
俺が王になれば、それだけで国内における探索者の暴走を抑制できる。
絶対的な探索者が上に立つことで、国内の一体感を高めることができる。
それはダンジョン崩壊時の絶望的な状況すら覆すほどの指標になり得る。
などなど。
俺の利点はと聞きたくなるが、そこに色蓮の性格が出ていた。
勿論、悪い意味ではない。
「だから……だから先輩には、上に立ってほしいんです」
ひたすらに“人”を想う色蓮の姿に、心が揺れないといえば嘘になる。
俺はなにもできないやつだ。どれだけ強くなろうが母親一人救えなかった。
だから妹だけは、家族だけは絶対に守ろうと、それだけを優先して生きてきた。
「お前は、どうしてそこまで考える」
どうでもいいだろう、赤の他人なんて。
西園寺グループの社長令嬢なら、金の力で自分だけは安全圏にいられるはずだ。いや、自分と親しい友人を入れてもお釣りがくる。
なぜ、赤の他人のことまで考える。
こいつがダンジョンに潜った動機も、きっとそこから来ている。
俺はそれが、どうしても知りたくなった。
「ウチのママは、第一次ダンジョン崩壊の時に、探索者によって殺されました」
淡々と、感情を感じさせない声で言った。
「だからというわけではありません。人は人なので、探索者が憎いとかもありえません。ただ、色々積み重なっただけなんスよ。色々積み重なって、もう手遅れになるのだけは嫌なんです」
「結果として先輩に頼ってますけど」と、色蓮が自嘲するように呟いた。
……手遅れになるのは嫌、か。
やっぱり……答えは変わらない。
「断る」
「……そうですか」
落胆の色を隠せない色蓮に、俺は続けて言った。
「だから、お前が上に立て」
「……え?」
「お前が上に立って、自分の望みを自分で叶えろ。その為の手伝いくらいはしてやる」
「え? え? な、なんで……」
「話くらいは聞いてやるって言ったろ。最初から全て断る気なら、そもそもこんな所まで付き合わない」
それくらいの働きはしても良い。
毎日毎日居座られるのもウザったいからな。
……だから決して、情がわいたとかではない。
「で、でも、ウチではそもそも実力が足りてませんよ」
「それも含めて手伝うって言ってるんだ。それとも、怖いか?」
「怖くありませんけど? 元々先輩と知り合わなければウチが王になるつもりでしたけど??」
あえて挑発するように口の端を上げると、色蓮が分かりやすく乗ってきた。いやこれ素か?
「なら問題ないな。話は終わりだ、帰るぞ」
「い、いやだから、ウチはレベル10ですよ!? そんなの、先輩が上に立った方が楽なんじゃ……」
それはそうだ。色蓮を全探索者の上に立たせる――最低でもレベル500まで手伝うのと、俺が上に立つのでは圧倒的に後者の方が楽だ。これは色蓮が楽なのではなく、当然俺の労力の話だ。そもそも俺は何もしないという選択肢だってある。
それでも俺は前者を選択した。
理由は……単純だ。
「俺がその気になったからだ」
「――――」
「もういいだろ。帰るぞ」
ようやく現実が呑み込めてきたのか、色蓮の顔が色づいていく。
「……ウチがやるしか、ないんスよね?」
「さぁな。お前の望みだろ」
色蓮が嬉しそうに目を細めて、ともすればいたずらっぽく俺を見つめる。
「先輩。もしかして面倒ごとを全部ウチに押し付ける気っスか?」
「最初に押し付けようとした癖によく言う。そんなことを言うなら俺だけで帰るぞ」
「あ、あ、冗談スよ、軽いジョーク! 後輩小悪魔キャラの特権じゃないっスか!」
どこが小悪魔だ。
色蓮は立ち上がり、俺に向かって手を差し出してきた。
「ありがとうございます、一愛先輩。そして改めて――よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
意外と長丁場になった一連の騒動は、これでようやく収まったと言えるだろう。
【Tips】ダンジョン崩壊
ダンジョンがその階層構造を維持できなくなり、内部に存在するモンスターや、時にはダンジョンそのものの一部が現実世界へと溢れ出す現象の総称。
発生のメカニズムは未だ解明されていないが、探索者による過度な環境破壊が引き金になる、という説が有力視されている。
一度発生すればその被害は甚大であり、都市一つが地図から消滅することすらあり得る、人類にとって最大級の脅威である。
日本で唯一観測された「第一次ダンジョン崩壊」では、ダンジョンの1層から3層までのモンスターが一帯に溢れ出し、自衛隊が出動する大災害となった。