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第4話 意外と押しに弱い


 今日の朝は鶏ガラスープの香りから始まった。


 鍋の前で腕を組んでいた俺は、火加減を見ながら静かに頷いた。

 昨夜のうちに仕込んでおいた鶏肉と野菜のダシがいい具合に出ている。あとは溶き卵を流し入れて火を止めるだけだ。


 スープを器に注ぎ終わると、カウンターの上に置いたスマホが震える。


 ――今日の天気は晴れ。紫外線指数は高め、洗濯は朝のうちに。


 音声通知を聞き流し、窓際の菜園に目をやる。小さなトマトの苗が朝日を受けて気持ちよさそうに揺れていた。もう少しで収穫できる。そう思うだけで少し気分が上向いた。


「兄ちゃんごはん〜」


 階段の上から妹――唯愛の声が届く。


「できてる。卵スープと昨日の炊き込みごはん。あと豆腐」

「は~い!」


 弾む足音とともに唯愛が降りてくる。寝癖を直す時間も惜しんだのか、髪がふにゃっと跳ねていた。

 朝ごはんを食べながらテレビを無感情に眺める。話題は専らある一人の探索者で持ち切りだった。


『探索者世界ランク一位――実在か!?』


 どうやら俺が昨日助けた女は配信活動をしていたらしい。それで俺の姿が映ったことで話題になったようだ。

 第1層レベルの探索者が配信を許可されるケースは稀だ。だから配信しているとは思わずリスク管理を怠っていた。

 油断していた、としか言いようがない。


「わー、兄ちゃんめっちゃ有名人だね。見て、ミニャログのトレンド一位だよ。しかも全世界で」

「食事中にスマホを見るのはやめなさい」


 唯愛に軽い小言をいいながら、俺は内心で溜息を吐いていた。


 ……面倒だな。圧を……いや、止めとくか。


 この情報社会という時代、下手に動けば藪を突いて蛇が出てくる。逆をいえば放置しておけば自然と騒ぎも収まるだろう。

 ダンジョンが出てきてからはより一層、世間は話題に事欠かないのだから。


「ね、ね、兄ちゃん。色蓮ちゃんかわいかったでしょ。あれ私の先輩なんだー。兄ちゃんの一つ下だよ」

「……は?」

「色蓮ちゃん高等部なんだよ。あの西園寺グループの社長令嬢だから、めっちゃ有名」

「それは知ってるけど」


 だが唯愛と同じ学校だとは思わなかった。確かに唯愛はお嬢様学校に通っているが、西園寺グループの社長令嬢が通うほどお高い所ではないんだが。


 というかそれが本当だとしたら先輩をちゃん呼びかよ。まずそこを教育すべきか、妹の人間関係に口を挟まない方がいいのか判断に迷うな。


「色蓮ちゃんめっちゃいい子だから、結構ファンも多いんだよ。一部の人は成り上がりとかなんとか言うけど、私はめっちゃ好き」

「そうか」

「だから兄ちゃん、色蓮ちゃんをあんまり怒らないであげてね」

「……怒る理由がない」


 俺が彼女を助けたのは本当にたまたまだ。

 たまたま暇で、たまたま知り合いから本気のSOSが入り、たまたま動く気になったから動いただけ。そこで配信に映ってしまったのは俺が間抜けだっただけで、彼女に非は1ミリもない。


 ……まぁこれが馬鹿が馬鹿やった結果のSOSだったら色々考えるが、イレギュラーじゃ仕方がない。


 俺の返事に安心したのか、唯愛がイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「私も高等部に上がったらダンジョンに潜る予定だし、そうしたら色蓮ちゃんと一緒に配信するのもいいかも。どう思う?」

「勉強はきちんとしろよ」

「大丈夫ですー、私頭いいもん」


 唯愛の拗ねた返事に、俺は苦笑を返すにとどまった。

 唯愛がダンジョンに憧れているのは知っている。

 それ自体は別にいい。ダンジョンは危険だから入るなとは言わないし、そんなのは俺が手伝えばいいだけだ。少しくらいレベルが上がった方が健康にもいい。暴漢対策にもなる。配信だってやりたければやればいい。


 それ以上を許すかどうかは、覚悟次第だ。



 朝食を終えて食器を片付ける。唯愛が制服に着替えて学校に出かける準備をしている間、俺は洗濯機を回しつつ小さなデスクに座って依頼メールを確認していた。


 ――俺は個人依頼レベルの『後片付け屋』として活動している。


 簡単に言えば、レベル持ちの人間が一般人の生活圏で発生する揉め事や、ダンジョン由来のトラブルに対処する仕事だ。警察や自衛隊には手を出しづらい“民間レベル帯”での被害対応。報酬はまちまちだが、俺は主に「自宅から近い」「妹との生活に支障が出ない範囲」を条件に依頼を選んでいる。


 昨日の事件もその一環といえば一環といえる。


 だから俺の生活は、妹が出かけている間に掃除・洗濯・調理・依頼処理――夜はダンジョンに足を伸ばしての活動、と小さな範囲でまとまっている。

 あとは父から母へ、そして俺へと継がれた個人喫茶店があるが、そっちは一度も開業していないし、する予定も当分はない。


 ……そういう意味では、毎日が平穏そのものだ。


「兄ちゃん、今日も外出る?」

「午前中に一件。依頼者が近所だし、すぐに終わるよ」

「うん、わかった。あ、夜ごはんは麻婆豆腐ね! 昨日の残りの豆腐使えるでしょ」

「わかったよ。気をつけて行ってこい」


 唯愛はスニーカーをつま先でトンと履き、満面の笑みで玄関を飛び出していった。小さな背中が角を曲がって見えなくなるまで、俺は無意識に見送っていた。


 ダンジョン攻略には、もうあまり精を出しすぎない。


 俺がいるべき場所は、ダンジョンではなく家族の側だから。





 放課後のような空気の静かな午後。

 一仕事終えた俺が庭先で雑草を抜いていると、門の外から妙にハツラツとした声が聞こえた。


「ごめんくださーい! お届け物っスよー!」


 インターホンを使え、と若干呆れて声の主を見ると、そこに立っていたのは昨日の騒動の主役――西園寺色蓮がいた。


 制服姿の軽装。そして満面の笑み。


「おー、いるじゃないっスか。家庭菜園? いい趣味っスねー」

「……」


 西園寺色蓮は軽い動作で門扉を乗り越えると、ニコニコとした笑顔で俺に頭を下げてきた。


「初めまして、二ツ橋一愛(いちか)さん。先日は助けてくれてどうもあ、」

「帰ってくれ」

「せめてお礼くらい言わせてっス!」


 門扉を勝手に越えてきたくせに、まるで訪問販売のテンションで笑う彼女に、俺は深くため息をついた。


「どうして俺を知っている。なんで家がわかった」

「ウチ、西園寺グループの社長令嬢っス。一愛さんはトップシークレットぽかったっスけど、パパにお礼したいってお願いしたら教えてくれましたよ?」

「そうか。帰ってくれ」

「だからお礼くらい言わせてっス!」


 ……まぁいいか。弁えているみたいだし。


 少しでも俺を脅す――俺の正体をバラしたり、確実に調べているだろう俺の家族関係を仄めかすような真似をしていれば、ただで帰すわけにはいかなかった。

 それが無いというのなら、お礼くらいは受け取ってもいい。 


 ……それはそれとして、あの親バカには後で文句を言おう。


「言ったら帰るか?」

「もちろんっスよ!」


 本当に信用していいのか怪しいが、それ以上やりとりするのも面倒だ。


「じゃあ言ってくれ」

「うわ雑……! まあでも、うん……えっと、改めまして。助けてくれてありがとうございました。命の恩人スよ、ほんとに。まさか一層で死にかけるとはウチも思ってなくて……」

「……」

「しかもあれ、配信に全部乗ってたんスよね。おかげさまで再生数がとんでもないことになってて」


 まるで他人事みたいに語るが、そのせいでこっちは今そこそこ迷惑している。ネットでは解析班やら妄想班やらが勝手に俺の情報を掘り返そうと騒いでいるのだ。

 俺の痕跡は、実は結構残っている。レベル500以上が協力すれば、割とあっさり俺は特定されるだろう。

 少々特殊な伝手があるとはいえ、たった一日で俺の家まで特定した彼女がいい証拠だ。


 その点はまぁ、仕方ないと諦めている。


「……わかった。礼は受け取った。どういたしまして、だ。もういいだろ」

「あ、これ先日の配信の分配っス。一気にチャンネル登録者数が増えたりまだ増え続けたりで計算合わないと思いますし、スパチャどころか収益化すらしてないので全然少ないっスけど」

「……受け取ったぞ。これで完全に貸し借り無しだ。満足したなら大人しく、」

「しかし家庭菜園とはホントに良い趣味っスね〜。道具も全部現代製だし、一愛先輩は家庭にダンジョン要素を持ち込みたくないタイプっスか。ウチと同じっスね!」

「誰が先輩だ。というか――おい」

「あ、あ、すみません、ちゃんと帰ります。本当にありがとうございました!」


 西園寺色蓮はそう頭を下げて、今度こそこの場から消えた。

 念の為少し聴覚を鋭くしていると、車に乗るドアの開閉と走り去る音が聞こえてきた。


 ……よし、間違いなく帰ったな。



「こんにちはー一愛先輩! またきたっスよ!」

「……」


 こいつの面の皮は鉄でできてるのか?


「西園寺。あんまりふざけるようなら俺にも考えがあるぞ」

「色蓮です。一愛先輩には色蓮と呼んでもらいたいっス」

「……俺はお前が思っている通り家庭にダンジョン要素を持ち込みたくないんだ。悪いが帰ってくれないか」

「ええ、分かってますよ。なのでさっきは家に帰って、また友人として遊びに来ました」

「……」

「土、いじっていってもいいですか?」


 ニコニコとした無邪気な顔でそう聞いてくる色蓮を見て、俺はこの日一番の大きな溜息を吐いた。



【Tips】後片付けスイーパー


 ダンジョン出現後の社会が生み出した、非公式なトラブルシューターの総称。「スイーパー」という呼称は、警察や自衛隊が介入できない、あるいは介入したがらない「厄介事」を綺麗に掃除スイープすることから来ている。

 その依頼内容は多岐にわたるが、力を得て増長した低レベル探索者が起こした暴力沙汰の鎮圧などをメインとしている。

 警察では対処しきれない「レベル持ち」が絡む事件を、同じ「レベル持ち」が解決する。法と正義のグレーゾーンに存在する、必要悪とも言える存在だ。


 ……この職業が生まれたきっかけは、ある探索者の悲劇だったと言われている。

 黎明期、彼の親友であった探索者がダンジョンでの過酷な戦いの末に精神を病み、その力を悪用して街で連続強盗事件を起こした。警察は歯が立たず、自衛隊の出動は市民への被害が大きすぎる。

 追い詰められた彼は、たった一人でかつての親友を、誰にも知られずにその手で葬った。

 この事件を機に、政府は「探索者による、探索者のための裏の仕事」の必要性を、暗黙のうちに認めたという。

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