第27話 馬鹿が馬鹿やった結果
異常領域対策本部発表
ダンジョン崩壊時における探索者安全行動ガイドライン(第一版)
発令日:20〇X年6月29日
【前文】
近年、ダンジョン内外において、モンスターの大量発生や空間の局所的歪みといった、予測不能な「崩壊現象」が確認されている。これらは従来のダンジョン攻略の常識から逸脱した、未曾有の脅威である。
本ガイドラインは、これら崩壊現象に際し、探索者諸氏の生命と、ひいては国民の安全を確保するために制定された、緊急時の行動規範である。
登録探索者各位は、本ガイドラインの各条項を熟読し、その遵守を徹底されたい。諸氏の冷静な判断と行動が、我々の未来を守る礎となる。
第一条【パーティ編成の原則】
・崩壊現象への対応は、原則として3名以上のパーティ(チーム)で行うこと。単独での行動は状況の急変に対応できず、生存率を著しく低下させるため、これを固く禁ずる。
第二条【接触時行動規範】
・崩壊現象(空間の亀裂、モンスターの集団出現等)を認知した場合、即時交戦を避け、まず以下の行動を優先すること。
・防衛線の構築: 現象発生地点から安全な距離を確保し、モンスターの拡散を防ぐ防衛線を構築する。
・民間人の避難誘導: 周辺に民間人がいる場合、その生命の安全確保を最優先事項とし、速やかな避難誘導を行う。
・本部への報告: 状況、位置情報、モンスターの種類と規模を、指定された通信手段にて、速やかに異常領域対策本部へ報告する。
第三条【交戦レベル規定】
・敵性対象との交戦は、原則として自パーティの平均レベルを大幅に上回らない個体に限定する。本部の許可なく、格上の敵性対象へ意図的に接触、及び戦闘を開始する行為は、無謀な自殺行為とみなし、厳に慎むこと。
第四条【情報共有の義務】
・任務中に得られた、崩壊現象に関するいかなる情報(新たなモンスターの種類、現象の予兆、地形の変化等)も、些細なものであっても報告義務を負う。情報の隠匿は、他の探索者を危険に晒す、重大な利敵行為とみなす。
第五条【行動優先順位】
崩壊現象発生時における、探索者の行動優先順位を以下に定める。
・民間人の人命救助
・他探索者の救助
・自身の生命維持
・敵性対象の駆除
・ドロップアイテムの回収
……以下省略
【結び】
本ガイドラインは、諸氏を縛るためのものではなく、守るためのものである。しかし、遵守されない場合、それは本人だけでなく、市民の命を危険に晒す行為であると心に刻まれたい。今後の状況の変化に応じ、本ガイドラインは予告なく改訂される可能性がある。
【国民の皆様へ】崩壊現象遭遇時の行動指針(最終版)
本ガイドラインは、ダンジョン崩壊現象に万が一遭遇した場合に、皆様の生命の安全を確保するための行動指針です。ご自身と、あなたの大切な人を守るために、必ずご一読ください。
一、避難行動の基本
即時退避: 屋外で「空間の亀裂」や「モンスター」を目撃した場合、あるいは「ダンジョンハザード警報」を聞いた場合は、まずは近隣の堅牢な建物へ避難し、身の安全を確保してください。
指定避難所への移動: 安全が確認できれば、国および自治体が指定する“「ダンジョン災害時指定緊急避難場所」”へ速やかに移動してください。
事前の確認: 平時より、自治体のハザードマップ等で最寄りの指定避難場所を必ずご確認ください。
二、避難時の注意点
興味本位で危険地帯に近づく、撮影するなどの行為は絶対におやめください。
地下施設への避難は、亀裂の発生源となる危険性があるため、原則として推奨しません。指定避難所への移動が困難な場合は、無理をせず、現在いる建物の中で最も安全な場所に留まり、救助をお待ちください。
三、探索者の活動について
戦闘中の探索者に話しかける、助けを求める等の行為は、彼らの活動を妨げ、かえって危険を増大させる可能性があります。探索者からの指示がある場合を除き、絶対に近づかないでください。
四、情報の確認と通報
SNS等の不確かな情報に惑わされず、政府および異常領域対策本部が発表する公式情報に従い、冷静に行動してください。崩壊現象を目撃した際は、対策本部設置の“緊急通報ダイヤル(#XXXX)”へ通報のご協力をお願いいたします。
五、平時からの備えについて
非常用持ち出し袋: 飲料水、非常食、常備薬、携帯ラジオなどをまとめた「非常用持ち出し袋」を、日頃から準備してください。
人工魔道具の活用: それに加え、近年普及しております人工魔道具の中には、皆様の安全確保に非常に有効なものが数多く存在します。どのような製品が有効かについては、当対策本部の公式ホームページにて“『市民向け推奨魔道具リスト』”を公開しておりますので、ご参照ください。
…………以下省略
心構え:『備えあれば憂いなし』と申します。過度に恐れる必要はありませんが、万が一への備えが、あなたと家族の命を救います。
以上
異常領域対策本部
「なっが」
薄暗いワンルームの部屋。
PCモニターの光だけを浴びた男、坂上は、SNSのタイムラインに流れてきたお役所謹製の画像ファイルを指で弾いて閉じようとして、やめた。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、逆にコメントを付けてやりたくなったからだ。
『――また始まったよ、政府の恐怖煽り。崩壊現象? 未曾有の脅威? 笑わせる。どうせ探索者の価値を吊り上げて、予算を回すためのプロパガンダだろ』
エンターキーを叩き、投稿。すぐにいくつかの「いいね」が付く。
だろうな、と坂上は口元を歪めた。
世の中には、彼のように「真実」に気づいている人間が、まだ少数だが確実に存在するのだ。
『第三条、交戦レベル規定』?
『第五条、アイテム回収は後回し』?
くだらない。全て探索者という存在を「人命救助の英雄」に仕立て上げ、利権を独占するためのルール作りだ。ダンジョンなんて結局は金。一攫千金の夢。それ以上でもそれ以下でもない。
そんな彼のタイムラインに、フォローしているアカウントからある投稿が流れてきた。
『【速報・未確認情報】西東京、第7倉庫街にて小規模な空間異常を観測。公式発表はまだ』
「――来たか」
坂上は立ち上がった。チャンスだ。
この「空間異常」とやらが、大したことのない、取るに足らない現象であることを自分の手で証明してやればいい。その動画を撮ってSNSにアップすれば、バズる。一気にインフルエンサーの仲間入りだ。「政府の嘘を暴いた男」として一躍時の人になれる。
彼は上着と、予備バッテリー満タンのスマートフォンだけを掴んで、部屋を飛び出した。
錆びれた倉庫街の一角。そこだけ陽炎のように空間が揺らめいていた。
坂上はスマホの録画ボタンを押し、慎重に、だが確かな足取りで近づいていく。
「はい、皆さん、ご覧ください。これが政府が言う『崩壊現象』の正体です。思ったより小さいですねぇ。大したことなさそうだ」
小声で実況しながら、さらに一歩。
亀裂から、のろのろとゴブリンが一匹、姿を現した。
坂上はモンスターが現れたことに一瞬動揺したが、その正体がゴブリン――それもたった一匹であることに安堵し、せせら笑った。
「おっと、モンスターのお出ましだ。どうやらモンスター自体は本当に湧くようですね。でも見てください、ただのゴブリン、それも一匹です。こんなのそこらの一般人でも倒せる雑魚ですよ。これを『未曾有の脅威』だなんて、片腹痛いですね」
三脚でスマホを固定し、自分も映り込むように画角を調整する。再生数はすでに三桁を超えていた。高揚感に口元が緩む。
その時だった。
彼の真横、何もないはずのアスファルトから、音もなく黒い影が滲み出し、鋭い爪を持った腕へと変わった。
「え――?」
悲鳴を上げる暇もなかった。
影から伸びた腕は、坂上の首を掴み、やすやすと持ち上げる。足が宙を浮き、気道が圧迫され、カヒュ、と情けない音が漏れた。
『――決して近づかず、興味本位での撮影や観察を行わないこと』
スマホ画面の隅に表示されたガイドラインの文面が、霞む視界の端に映る。
それが、彼の見た最後の光景だった。
ブツリ、と。
坂上の首が捻じ切れる音と、地面に叩きつけられたスマホの画面が割れる音が、静かな倉庫街に小さく響いた。
LIVE配信のアイコンは、点滅し続けている。
【Tips】小規模異常領域
「ダンジョン崩壊」の前兆現象として世界各地で観測され始めた小規模かつ、極めて不安定な空間異常。
新宿ダンジョンのような固定された大規模な「門」とは異なり、「小規模異常領域」は場所を選ばず、何の前触れもなく、ランダムに出現し、そして短時間で消滅する。
その性質は、まるで現実という名の器に、無数のひび割れが生じているかのようである。
亀裂から出現するモンスターの数は、その規模に応じて一体から数体程度と少ない。




