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第1話 新宿ダンジョン


一愛(いちか)、貴方のことが心配よ。学校で虐められてない?」

「俺は大丈夫だよ。俺のことなんか心配しなくていい」


 病床に伏す余命一ヶ月と宣告された母に、俺は笑顔になりきれていない不細工な顔を見せた。

 事実、俺は虐められている。けれどそんなことが理由で笑顔を見せられなかったわけではない。

 自分の死が近いのに息子の心配ばかりする母さんに、そんな心配をさせてしまう自分自身に、ただただ情けなさを覚えていた。


「そう。なら、いいの」


 安心、とは違うが、強がるくらいなら大丈夫だと母は受け取ってくれた。

 母はがん患者だった。少し前までは家に居たし、自分で歩けていた。

 けど腹水の症状が一月から二週間、一週間ペースになった所で食欲が無くなり、どんどんと痩せ細っていった。

 そこからは、あっという間だった。

 あっという間に、ベッドから動けなくなってしまった。

 

 俺はまだ、何も返せていないのに。



『速報です。新宿駅地下で突如発生した“空間の歪み”について、政府は本日午後、それが『ダンジョン』と呼ばれる未確認領域であると正式に認定しました』


 テレビから流れるニュースキャスターの落ち着いた声が、奇妙な映像とともに病室に響く。

画面には地下鉄構内の壁が歪み、闇のような裂け目が開いた瞬間の映像が繰り返し流されていた。


『映像をご覧ください。監視カメラがとらえたのは、通勤客が行き交う新宿駅構内に突如として出現した“異常空間”の瞬間です』


 画面には地下鉄の連絡通路の一角、コンクリート壁の表面がまるで水面のように波打ち、ゆがみ、ねじれ、裂けていく様子が映っていた。


 まるで現実がバグを起こしたかのように、鉄のパイプや案内標識が引き込まれるようにねじれ、壁の向こうに黒い空間――奥行きのある“何か”が出現する。


『現在、現場は警察と自衛隊によって封鎖され、一般人の立ち入りは全面的に禁止されています。発生場所は新宿駅構内、丸ノ内線と副都心線の接続通路付近。通称『新宿ダンジョン』と呼ばれつつあり――』


 俺はテレビの電源を切った。

 こんな物騒な話題で、限られた面会時間を消費されたくない。

 だが母さんはリモコンを置いた俺に、浮かべるのも辛いであろう笑顔を向ける。


「ふふ、凄いのね、夢みたい」

「夢?」

「そうでしょう。毎日報道されてるじゃない。昔、貴方がやってたなんとかクエストみたいだって」

「ああ、うん。そうみたいだね」


 数日前に先の現象が起きてから、世間はアレ一色になった。

 最初に入った調査員たちの数人は、帰ってこなかった。

 数日後、救助を兼ねて投入された自衛隊偵察班が、ヘルメットカメラの映像と血まみれの装備だけを残して行方不明となった。


 映像は一部復元されている。


 その後、防衛省は“対現代兵器耐性を持つ生物”の存在を正式に公表。

 現場は「異常生物出現区」として封鎖された。


 ネットでは、匿名掲示板や配信でこの映像が一部流出し、「あれはゴブリンじゃないか」「ファンタジー世界か?」と話題に。


 そしてこの現象を総称し、政府は仮称として「ダンジョン」という言葉を使うようになった。


 命名は仮称のつもりだったのだろうが、メディアとネットがその語感のインパクトに食いつき、瞬く間に“新宿ダンジョン”という呼び名が広まった。


 ……ダンジョン。


 ゲームや空想の中にしかなかったはずのその言葉が、現実のニュース番組のテロップに躍る。

 その表現は、あまりにも的確だった。


「――二ツ橋さん。お時間です」

「……はい、今出ます」


 面会時間が過ぎたことを知らせる看護師が、遠慮がちに締め切ったカーテンを開ける。

 俺は今日もまた、母の手を握ることしかできなかった。


「また来るよ、母さん」

「ええ。また、ね」


 ……またね。

 また、必ず来るよ。



 リビングに一ヶ月分の生活費と、妹に対する書き置きを残し――その日の深夜、俺は新宿ダンジョンに潜っていた。


 ネット掲示板を通じて知りえた「旧副都心線の廃止通路から繋がってる」「封鎖前に使われていた連絡線」という不確かで断片的な情報を頼りにして。


 国が封鎖している立ち入り禁止区域に、計画的に侵入する。


 言うまでもなく、これは立派な犯罪行為だ。


 法律に詳しくない俺には具体的な罪状までは分からないが、警察と自衛隊が出張ってる未曾有の大事件に首を突っ込むことがどれだけの重大犯罪なのかは分かっているつもりだ。


 下手をすれば死刑……とまではいかないだろうが、懲役刑は免れない気がする。

 

 それでも、俺はダンジョンに潜ることを選んだ。

 俺はオタクだから、こういうのに詳しいんだ。

 必ずあるはずだ。絶対にあるはずだ。

 どんな病だろうが治してくれる、万能の薬が。


 母が病床につくまで後悔することもせず、失いそうになって初めて大切なものに気付いた俺にできることは、これだけだから。

 

 命を掛けることしか、できないのだから。





 そうして俺は、万能の薬――エリクサーを手に入れた。


 俺がダンジョンに潜ってから何日経ったのか、俺は数えて無い。ただ何度か気を失ったことは覚えている。

 それは、国がダンジョンの周囲を完全包囲しても問題無いと判断する程度の時間はあったのだろう。


 新宿ダンジョンの外に出ると、何人かの警察、ないし自衛隊員と思わしき男が驚いた表情を隠しもせず、そして警戒するように俺を包囲した。


 全てが時間の無駄だった。


 幸いにして、ダンジョンの中で手に入れた力はダンジョンの外でも有効だった。だから俺は無駄と思われる時間を全て省いた。

 立ち塞がる障害を無いものとして扱い、俺は急いだ。

 母のいる病院へと。


「母さん、またきたよ」


 面会の連絡はいれなかった。真夜中で面会時間をとうに過ぎていたのもあったが、それでなくとも一分一秒でも惜しかったから。


 病室に着くまでに途中で誰ともすれ違わなかったのは、運が良かったのか、それとも俺が既に人として何かを失っていたからなのかは分からない。


 ただそうだとしても、この喜びの前にはどうでも良かった。


「……母さん。薬、持ってきたんだ」


 その声は、自分で思ったよりも掠れていた。


 瓶の蓋を外し、母の唇に近づける。

 ほんの数滴でも落とせば回復する。それだけの品質であることは分かっていた。


 けれど……手を止めた。


 母の胸は動いていなかった。

 瞼は閉じたままで、唇はわずかに乾いていた。

 指先を当てる。冷たい。

 とても、とても冷たかった。


 俺は瓶を握ったまま、立ち尽くした。


 間に合わなかった。

 間に合わなかったのだ。

 俺は何も、できなかったのだ。


 やがて膝が崩れ、床に座り込む。

 けれど、涙は出なかった。


 ただ、静かだった。




【TIPS】ダンジョン


 突如として現実世界に出現した、謎の異空間の総称。出現と同時に周辺の空間を歪ませ、物理的に隔絶された領域を形成する。内部の構造や生態系は、出現した場所や環境によって大きく異なると推測されているが、その法則性は未だ解明されていない。

 日本で最初に確認されたのが「新宿ダンジョン」である。JR新宿駅の地下コンコース、丸ノ内線と副都心線の連絡通路付近に出現したそれは、現在確認されている中でも最大級の規模を誇る。

 ダンジョンからは現代科学の粋を超えた物資や、莫大なエネルギーを秘めた「魔石」などが産出されるため、今や国家レベルでの資源採掘の対象となっている。


 ……ちなみに、新宿ダンジョン出現後、政府が最初に行ったのは遠隔操作の調査ドローンを内部に送り込むことだった。

 しかし、最新鋭のドローンはゲートを通過した瞬間に全ての制御を失い、落下した。


 

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