7 私の敵と旦那さま
『我が国の王も同様だ。あのお方が一体なんのために、お前の兄が出してきた救援要請を断り、お前を王にしてやったと思っているのだ?』
そう言った騎士の胸元には、東の大陸にある帝国の勲章が輝いている。
『我が国も、もはやいまのこの国に価値を感じてなどいない』
『神秘の血を引く王女とやらも、死なせてしまっているのだろう? あれを差し出せばまだ、温情を掛けてやったかもしれないものを』
そして剣士たちは、みんなその剣先を叔父へと向けていた。
(――これでようやく分かったわ。お父さまが叔父さまにクーデターを起こされた際、秘密裏に叔父さまに手を貸して、軍事革命を成功させる助けになった国々が)
これこそが、アリシアの知りたかった未来の光景だ。
(国力が低下すると分かりきっていても、叔父さまが不自然なまでに他国を尊重して、自国民を蔑ろにしてきた理由)
剣士たちが纏っている軍服、腕章、その装飾。アリシアはそのすべての情報を、強く脳裏に焼き付ける。
(……この先の未来で、いよいよ国が滅んでしまうほど弱体化した暁には、こうして叔父さまの骨まで食い物にするつもりで出てくると信じていたわ)
ここにいる彼らの王こそが、アリシアの父が敗北した要因だ。
(民を救うことが王女の責任なら。自らの国の誇りを守ることもまた、王女が成すべきことのひとつ)
父との同盟を組んでおきながら、救援の要請をすべて踏み躙り、裏切って叔父に力を貸した。
(これで、私の国にとっての敵が誰なのか、はっきりした)
これこそが未来を見た目的だ。父の代以前から続く友好国のうち、どの国が父を陥れたのか、ようやく明白になったのである。
叔父はいよいよ震えながら、床を這いつくばって逃げようとした。
『レウリア国……!! 国王と王太子フェリクスはどうしたのだ!? 王太子妃の故国が危機に陥っているというのに、何をしている!! ティーナ、父を助けに……』
『知らなかったのか? お前の娘はあの国で、監禁状態にあると言ってもいい。夫であるフェリクス殿下の怒りを買って追いやられ、泣き喚いても一切見向きもされていないそうだぞ』
『ひ……っ』
剣士のひとりが歩み出て、叔父に向かって剣を振り下ろす。
(――清らかでやさしく、誰も傷付けない聖女のような王女では、この脆い国を守ることなんて出来はしない)
その瞬間に散った真っ赤な血が、アリシアの視界をすべて染めた。
(必要ならば血を流してでも、私は国民を守らなければ――……)
***
そして今、森を抜けて王都に辿り着いたアリシアの目の前には、ひとりの青年が立っている。
「はじめまして。裏切り者の旦那さま」
「――へえ?」
母の教えてくれた通り、アリシアはその未来を目にしたあと、自らの心臓を貫いたことによる死の直前に『戻って』きた。
驚いたことに、致命傷となったはずの傷は塞がっている。流れ出た血はそのままで、婚礼衣装は血に染まりきっていたが、アリシアはそれでも生きていたのだ。
賊から剣を奪って昏倒させたあとは、急いで森を抜けて王都を目指し、血まみれのドレスは森で拾った布を巻き付けて隠した。
王城につき、持っていた書状と髪色でアリシア本人である証明をしたあとも、もちろん騎士や城の人々は訝る。けれどもそれを強引に通し、婚儀が行われる聖堂の前に案内されたあとは、ドレスを隠していた布は捨ててしまった。
血まみれの姿で花嫁として入場したのは、半ば自棄だったと言えるかもしれない。
けれど、招待客たちが青褪めて逃げ出すその中で、彼だけは顔色ひとつ変えないのだ。
レウリア国の王太子フェリクスは、噂で想像していた以上に美しい男だった。
漆黒というよりも灰に近い黒髪と、同じく色彩のない薄灰色の瞳。
はっきりとした二重の双眸は切れ長で、涼しげな目元にひとつだけある黒子が印象的だった。睫毛は長く、頬に影を落とすほどで、鼻筋は通っている。
冷たい印象を与えるのは、顔の造りが整い過ぎている所為だけではない。
(私が武器を持っていないか、確かめもしない。いつでも御せると確信しているのね)
彼が纏っていて滲み出るような殺気と、人を嘲るような薄い笑みが、この男は美しくとも危険なのだと本能を警戒させるのだ。
フェリクスはアリシアの手首を掴むと、ぐっと彼の方に引き寄せてきた。もう片方の手に顎を掴まれ、口付けでもするかのように上を向かされる。
それでも、頬についた血を親指で拭ってくれる触れ方が、どこかやさしいことに気が付いた。
「アリシア・メイ・ウィンチェスター。……貴殿が俺の花嫁だな」
「今日からは『アリシア・メイ・ローデンヴァルト』です。フェリクス殿下」
これから誰の妻になるのかを主張するべく、自らの姓をフェリクスと同じものに置き換えて名乗った。
アリシアは自国を発つ前に、秘密裏にフェリクスに手紙を送っていたのだ。
(私が命を狙われていることや、国境を越えたあと、事故に見せ掛けて殺されるかもしれないこと。事前に伝わっていたはずなのに。助けを寄越す気配すらなかったわね)
アリシアとしては、未来を無事に確認できたあとは、出来ることなら迎えが来て欲しかった。
(この男が叔父さまを裏切る未来の出来事は、まだ起こっていないけれど。……私にとっては、花嫁が殺されると訴えても助けてくれないことだって、立派な裏切りだわ)
心の中でべーっと舌を出したい気持ちになるものの、淑女としてはそうもいかない。
その代わりに、フェリクスの手に緩やかに指を絡めながら、彼に向けて問い掛けた。
「……あなた、私の反撃に手を貸してくださらない?」
「…………」
ここで興味深そうに目を眇めて笑うのだから、フェリクスはよほどの変人に違いない。