6 その血の力
『五人、六人、七人……九人かしら。あなたたち、私を殺そうとしているのよね?』
アリシアの目の前に立つ赤毛の男は、何処か見たことのある面差しをしていた。彼はこちらを、強い憎悪をもって睨み付けている。
『命乞いをしても無駄だ。お前はここで死ぬ、諦めろ』
『その言葉を聞くことが出来て、安心したわ』
アリシアは笑い、胸の間に挟んで隠していた華奢な短剣を取り出した。
『はっ! ナイフ同然の武器を使って、この人数と戦うつもりか?』
『惜しいわね。私の目的は――……』
賊の剣が振り下ろされ、アリシアの目前に迫る。
しかしアリシアは、その凶刃に切り裂かれる前に、手にした短剣を自らの左胸へと突き刺した。
『な……っ!?』
焼け付くような熱と痛みの中で、アリシアは笑う。
幼い頃、五歳のアリシアを前にして、母は教えてくれたのだ。
『未来を見るための、その条件は、あなたが命の危機にあること』
アリシアの髪をゆっくりと撫でて、やさしい声が言った。
『その上で、あなた自身が自らの命を絶つこと……』
心臓からの血が刃を通し、短剣を握り締めている手に伝う。
溢れ出る赤色が、純白だった婚礼衣装を染めていった。まるで、そこに真っ赤な花が咲いたかのように。
『神秘の力が発動すれば、あなたは死の中で未来を見る。それから命を落とした瞬間の、ほんの少し前に戻ってくるの』
母の言葉を思い出しながら、自らの血の中に不思議な力が巡るのを感じた。
(ようやく本気で殺しに来てくれてありがとう。ティーナ)
アリシアは、呼吸が出来ないその苦しみの中でも、くちびるで必死に笑みを作る。
(――――あなたのくれた殺意によって、私は『真実』を知ることが出来るわ)
その瞬間、光に包まれた光景が脳裏に浮かび上がる。
***
『お姉さまを、ちゃんと殺せてよかった……』
血まみれの婚礼衣装を見下ろしたティーナが、くすくすと嬉しそうに笑うのが見えた。
『これで私、安心して幸せになれるのね』
目を閉じたアリシアの頭の中に、ひとつの光景が浮かび上がっている。ここは出立したはずの故国の王城で、ティーナの自室のようだった。
『アリシアお姉さまが生きていたら、いつ余計なことを言われるか分からないもの。慈善活動をしていたのが本当はアリシアお姉さまだと知る平民も、早く黙らせないと』
アリシアを慕っているように振る舞っていたティーナは、一度もアリシアを自室に招いたことはない。
アリシアが初めて見るティーナの部屋には、もう一着の婚礼衣装を着たトルソーが置かれていた。
『そして私こそが、フェリクス殿下の妻。美貌と権力を持ち、お強い剣士でもある大国の王太子さまが夫だなんて、素敵だわ……!』
ティーナはドレスに頬を擦り寄せ、天使のように無邪気な表情で呟いた。
『フェリクスさまが、残酷で冷たい氷の心を持つ? ……それがどうしたというのかしら。そんなものは、私の持つ太陽のような温かさで包み込んで、溶かして差し上げればいいのだもの』
(…………)
アリシアは揺蕩う意識の中、その光景を白々しい気持ちで眺めた。
(――見たいのは、こんな分かりきった光景では無いの)
アリシアの死んだ未来で、ティーナがどう動くかは分かり切っている。
すると視界が再び移り変わり、もう少し先の未来が目の前に広がった。
『おかあさん、お腹空いたよ……』
王都から外れた小さな街で、痩せ細った子供が泣いている。
女性たちは途方に暮れ、枯れ果てた畑の前で項垂れていた。
『アリシアさまが事故で亡くなった後、ティーナさまがレウリア国に嫁いでから、誰も私たちに手を差し伸べてくださらない。男手はすべて、戦争に取られて』
(――レウリア国との同盟が成立してからも、叔父さまはやはり、国内の民を救う政策など始めない。レウリア国が諌めてくれるはずもない。これも十分、分かりきっていたこと……)
幼い頃、いつか叔父が国民に目を向けてくれるかもしれないということを、ほんのわずかな希望として抱いたこともあった。
けれども、早くに諦めて正解だったのだ。
(その事実を改めて目の当たりにしただけ。ここで落胆している暇などないわ)
脳裏に広がる光景が変わり、アリシアはぐっと目を瞑る。
自分が一体どうなっているのか、客観的に判断できる状態ではなかった。
心臓から広がる痛みの中で、押し寄せる未来に向き合うしかない。
『――助けてくれ!!』
そこに響いたのは、叔父の声だ。
その周囲を、剣を手にした男たちが取り囲んでいる。
アリシアの父が叔父に殺された際、剣を向ける側だったはずの叔父が、そこでは父と同じ状況に陥っているのだ。
『誰に剣を向けているか分かっているのか!? ふざけるな、まずはお前たちの王に会わせろ!!』
『…………』
『私と各国の王たちは、十五年前に盟約を結んでいるのだぞ!! 今になってそれを裏切るのか!? 私が王になってから、どれだけお前たちの国に搾り取られたと思っている!!』
『何を、馬鹿なことを』
叔父に剣を向けたひとりの剣士は、西の大国の軍服を纏っていた。
『我が父王は仰っていた。「お前がクーデターを起こした際、先王ではなくお前に手を貸してやった」と。これまでお前が我が父に献上して来たのは、過去の恩に報いるためのものだろう?』