58 祝福と誓い(第1部・完)
【エピローグ】
レウリア国王太子妃、アリシアのための妃冠の儀は、万事つつがなく取り行われた。
王城前の広間には、大勢の国民が詰め掛けている。
王太子妃が初めて民衆の前に姿を現す機会とあって、そこには下世話な好奇心を持った野次馬や、同盟国の王女を歓迎しない者も集まっていた。
彼らはみんな、王城内の神殿で儀式を終えたはずの妃を待ち侘びている。
そして王太子フェリクスに伴われ、いよいよアリシアがバルコニーに現れたとき、人々は一様に息を呑んだ。
姿を見せた王太子妃アリシアが、とても美しかったからだ。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳と、柔らかなくちびる。可憐な雰囲気の顔立ちだが、その表情は凛として聡明そうだ。
艶やかな髪は朝焼けの色で、繊細な編み込みを施している。
彼女がまとった純白のドレスの裾と共に、バルコニーを吹き抜ける風に揺れて、陽に透けるレースが神々しい光を放っていた。
そして彼女の額には、銀色のティアラが輝いている。
彼女の髪色と同じ朝焼け色の宝石が、妃冠の中央に据えられた意匠だ。
それと同じ石が等間隔に線を描き、横に並び、端に行くにつれて少しずつ小さくなってゆく。それに合わせて散らされているのは、透明度と輝きの強いダイヤモンドだった。
そして彼女の持つ短剣は、白と金色を基調にした造りの、細身で美しい短剣だ。
「このティアラと短剣は、『運命を変える朝焼けの空』を象徴した意匠となっている」
アリシアの隣に立った王太子フェリクスが、民へと向けてそう告げた。
その上でフェリクスは、歴代の王族が口にしたことのない、変わった口上を述べるのだ。
「それを我が妃アリシアに贈る。――自害のためではなく、自らの道を切り開くための武器として」
「…………!」
アリシアが目を丸くしたその様子は、ほとんどの国民には見付からなかった。
けれどもバルコニーの真下に近い位置、アリシアをすぐ傍で見ることの出来た一部の人間には、嬉しそうに微笑む彼女の表情がよく分かったらしい。
その中には、とある村から見物に訪れた人々も交ざっていたようだ。
「……そうだったのね。アリシアちゃん」
興奮が治らない様子の村人や、何度も目を擦ってバルコニーを見上げる村人もいた。
けれども彼らに共通するのは、王太子妃の幸福を願っているということだ。
「……なんて綺麗な、王太子妃さまなのかしら……」
広場に集まった民衆からは、拍手と歓声が沸き続ける。
***
「――こんな光景が見られるだなんて、思ってもみなかったわ」
妃冠の儀を終えたアリシアは、国民に姿を披露するためのバルコニーで、いつまでも手を振りながらそう呟いた。
「見て、フェリクス! あんなに遠くの人たちも、私たちに手を振ってくれているみたい!」
「知らん。どうでもいい」
「何言ってるの、あなたも手を振り返さないと! ほら、広場に入れなかった人たちの分も!」
「…………」
アリシアはフェリクスの手首を取って、彼の代わりにぶんぶんと振った。女性たちのものらしき声が響くが、フェリクスにすぐさま手を払いのけられる。
「すごいわ……! あなたが手を振った先、歓声というよりほとんど悲鳴だったわね!」
「おい、勘弁しろ。このあと広場の人間を三度入れ替えるんだぞ、その都度これをやるつもりか?」
「だって嬉しいもの! 罵声や嘲笑を覚悟していたのに、みんな笑ってくれているのよ? こんな……」
広場に集まった人々を眺めて、アリシアは幸せな気持ちになった。
ひとりひとりの顔をよく見たいのに、それが非現実的なほどの大人数が集まって、アリシアたちを祝福しているのだ。
「こんな光景、故国では見られないかもしれないもの」
「…………」
アリシアは微笑み、バルコニーの手すりをきゅっと握った。
「それどころか、この国でもこれが最後になる可能性もあるわ。私は殺されるかもしれないし、大罪人の汚名を被るかもしれない……王太子妃としては、失格ね」
そんな妃の存在は、フェリクスにとっても迷惑極まりないだろう。
それが分かっていても、アリシアはこの道を歩み続ける。
「ごめんなさい。フェリクス」
「…………」
けれどもフェリクスに返されたのは、思ってもみない言葉だった。
「……さっきから聞いていれば。まるで俺ばかりがお前に利用され、害を被るかのような物言いだな」
「……? だって、事実だわ」
アリシアは瞬きをふたつ重ねて、フェリクスを見上げる。けれども隣に立つフェリクスは、不機嫌そうな顔でこちらを見ていた。
「そんな状況になるのは御免だ。俺は今後存分にお前を利用して、お前を巻き込む。それだけのことはしてやったからな」
「そ、それに異論は無いけれど……! 私とあなたの立場の違いでは、私が貰うものの方が大きいはずでしょう?」
フェリクスという後ろ盾がなければ、アリシアは叔父への反旗すら翻せない。一方でフェリクスは間違いなく、なんでもひとりで出来るはずだった。
アリシアにとってのフェリクスが『無くてはならない』ものであるならば、フェリクスにとってのアリシアは、『使いようによっては利点になる』程度のものだろう。
けれどもそんな明白な事実を、フェリクスはこうして否定した。
「――俺とお前は、共犯なのだろう?」
「…………!」
その言葉に、アリシアは思わず息を呑む。
「それならば、決してどちらか一方向のものではない。お前が俺の共犯となるのならば、俺も同様にお前の共犯者だ」
「……フェリクス」
彼はアリシアの瞳を見詰め、低い声でこんな風に囁いた。
「誓いのキスでも、立ててやろうか?」
「え? …………あ、ちょっと、待……っ!」
そうして次の瞬間、互いのくちびるが触れ合った事実に、アリシアはぎゅうっと目を瞑ることになるのだ。
(まさか、こんな人前で……!!)
そんなことを考えている間も、広場からは割れんばかりの歓声が上がっている。フェリクスはくちびるを一度離し、それからまたすぐに口付けた。
何度も重ねられてゆくキスに、否が応でも思考が溶けてゆく。くちびるを食むようにやさしく触れられ、ちゅっと小さな音が鳴って、混乱しながらもぼんやりとしてきた。
(……この人もしかして本当は、キスが好きなの……!?)
そうしてようやく離れたとき、フェリクスと間近に目が合った。
「んん……っ」
浅く息をつくアリシアのくちびるを、フェリクスが親指で拭ってくれる。そのときの淡い微笑みが、どこか満足そうにも見えてしまい、アリシアは悔しくなるのだった。
「っ、フェリクス!」
「!」
そうして今度はアリシアから、フェリクスのくちびるにキスを重ねる。
バルコニーでの口付けは、集まった人々を大いに沸かせた。こうして王太子が妃を溺愛しているという噂は、国中に瞬く間に広まったのである。
やがてフェリクスとアリシアが、各国にとって脅威とされる夫妻になることを、ここにいる人々は知らない。
いまはまだ、王太子妃としてのティアラや短剣でさえも、美しき飾りにしか過ぎないのだった。
***
シェルハラード国の王城で、ひとりの男が窓の外を見ていた。
彼が目にする方角の先、遥か東のかなたには、この度シェルハラード国が同盟を結んだばかりの国がある。男はそちらを眺めながら、とある女性の名前を呼んだ。
「――アリシア王女。いいや、いまはレウリア国王太子妃アリシアか」
机上に広げられたのは、男がここ数日で得た情報だ。それらを照らし合わせてゆくにつれ、興味深い動きが見えてくるのである。
「かつて、私が陛下に進言したことによって処刑を免れた、あの幼い王女が……」
男は窓に背を向けると、王の元へと歩き始めたのだった。
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