55 覚悟
「な……」
目の前で起きた土砂崩れに、シオドアと部下たちが絶句する。飛び散る泥の飛沫、地震のような振動に、アリシアも僅かに目を眇めた。
(分かっていたけれど、凄まじい力……!)
隧道を押し潰しながら崩れた崖は、山の傾斜に従って西側へと崩れ落ちてゆく。土や石は何もかもを飲み込む濁流となって、いくつもの木々を薙ぎ倒していった。
この状況へ持ち込むために、いくつも手立ては用意していたつもりだ。しかし圧倒的な大自然の強さに、人間なんかが抗えるはずもない。
実際にこのタイミングで崩落が起きたことは、信じられないほどの幸運だったと言える。
『ザカリー』
アリシアは今日の日中に、こんなことを告げていた。
『ひとつ、あなたに命じたいことがあるの』
『……?』
ティーナの刺客だった元傭兵が、アリシアの言葉を随分と素直に聞いてくれたものだと思う。
『今夜、間違いなく強い雨が降るわ。あなたは隧道のある山に向かい、隧道だけではなく、西側に迂回する山道を通ろうとする通行人も止めて』
『……』
『それからもうひとつ、お願いしていいかしら?』
アリシアが取り出したものに、ザカリーはぎょっとした様子を見せた。
『隧道の周り――特に西側の傾斜付近にある大きな木を、念の為に切り倒しておいてほしいの。数本でいいわ、あなたが危なくない程度にね』
『待て。なんのために、そんなことをする?』
『地面にしっかり根を張る木々は、土砂崩れを堰き止めることがあるわ。なるべくその勢いを殺したくないの』
そしてアリシアはザカリーの枷を外し、彼を自由にさせたのだ。
(……ありがとう。ザカリー)
ザカリーがアリシアの命令に従って動いたかどうかは、辺りに転がる数本の倒木を見れば分かる。きっと西側の斜面を見れば、もう何本か倒れていたのだろう。
(この様子なら、迂回路に誰も侵入出来ないようにしてくれていたはず。巻き込まれた人はいない、けれど)
アリシアとシオドアにとっては、重大な状況が完成しているのだ。
「シオドア」
崩落した崖を前にして、アリシアは真っ直ぐに騎士へと告げた。
「――あなたの援軍が、村やこの場所に辿り着くための道は、失われたわ」
「……アリシアさま……」
シオドアがアリシアに向けたまなざしは、知らない少女を目の当たりにしたかのような驚愕を帯びている。
(あなたの中での私はきっと、いつまでも無力で小さな子供のままだった。けれど)
この隧道の崩落には、シオドアの援軍を封じること以上の意味があったのだ。
アリシアの中に、フェリクスの言葉が思い起こされる。
『その男を味方に引き入れろ。それが出来ないなら、国への帰路に就かせるな』
そしてフェリクスは、紛れもない正論をアリシアに命じた。
『――必ず捕らえ、この国の中で殺せ』
フェリクスに借り受けた剣を握り締め、アリシアはシオドアに対峙する。
(『今』の私を見なさい、シオドア。そして)
アリシアが一歩踏み出す動きに、シオドアが僅かに遅れた。
(――あなたが守ろうとした『小さなアリシア』が、もう何処にも居ないのだということを、思い知りなさい)
そのまま彼の懐に飛び込んだアリシアは、銀色の剣を振り翳す。
「く……っ!!」
剣同士のぶつかる音が、再び高らかに響いた。
「予知されていたと、仰るのですか。私の策も、隧道の崩落も、土砂が援軍を阻むことまで……!」
「これで分かった? 私はこの力を利用して、あの国の玉座を奪還する!」
「……!」
シオドアの剣に迷いが滲む。しかし、いまだその心は折れていない。
何よりもアリシアたちの斬り合いを、冷静に見据える視線があるのだ。
(フェリクス)
夫からのまなざしを感じつつも、アリシアは考える。
(これが、あなたの手に入れた私の価値。あなたの得た妃は、軍の形勢をも逆転し得る力を持つ…………)
そして、胸の中で半ば祈るように唱えた。
(――どうか、そう騙されて)
「…………」
未来視が残りたったの二回しか使えない事実を、フェリクスにも見抜かれる訳にはいかない。そのためにアリシアはこの先も、フェリクスを欺き続ける必要があるのだ。
「アリシアさま……」
アリシアの剣を受け止めたシオドアが、無理矢理に笑みを作って言う。
「あなたは確かに、お強くなられました。ですが、あなたと私では、潜ってきた場数が違います……!」
「…………っ」
シオドアの挑発は否定出来ない。事実アリシアの心臓は爆ぜそうな脈を打ち、何度も打ち合った手の痺れは、剣を握るのに支障をきたしつつあった。
「見たところあなたのご夫君は、これ以上あなたを助けるおつもりはないご様子。このままなら、確実に、私が勝ちます」
「シオドア……」
「……ほら!」
「!!」
下から跳ね上げるように剣を弾かれ、アリシアの剣筋が狂う。
その瞬間に笑ったシオドアが、頭上に剣を振り翳した。その刃が、アリシアの肩口にめがけて振り下ろされる。
(防げない……)
未来視などしなくても明白な予想に、アリシアは息を呑んだ。
(――腕が、落とされる)
「……ちっ」
フェリクスが動く気配がする。
アリシアはその瞬間、誰かに助けられるのを待たず、即座に次の行動を取った。
「な…………っ!?」
アリシアは身をずらし、シオドアの間合いに飛び込んだ。
刃の下に曝け出すのは、狙われた腕や肩口ではない。心臓が脈打つ左胸を、わざとシオドアの剣に差し出したのだ。
「――――……っ!!」
シオドアの剣が、びたりと止まった。シオドアが殺せないことを逆手に取ったアリシアは、自らの剣を握り直して告げる。
「冷酷さと覚悟が足りないのはどちらかしら、シオドア!」
「く……!」
その瞬間振り払ったアリシアの剣が、シオドアの剣を弾いて遠くに飛ばした。
「隊長!!」
シオドアに手出しを禁じられていた騎士たちが、一斉に剣を手にしようとする。
しかし彼らのその動きを、フェリクスが強い視線で制したのが分かった。アリシアは構わずシオドアを組み伏せると、その体に跨って首筋に刃を当てる。
そして、一切の迷いを含まずに告げた。
「――私はあの国の玉座を奪るわ。シオドア」
「……アリシア、さま……」




