54 壊される
(いいえ、勇気づけられている場合ではないわ!)
地面に座り込んだアリシアは、すぐさまフェリクスに尋ねる。
「あなたがここに来てくれたということは、村は無事ね!?」
「当然だろう。面倒だが馬を走らせて、わざわざ俺が向かってやったんだ」
「村……?」
フェリクスと剣を交差させたシオドアは、問い掛けの意図に気が付いたようだ。恐らくは先ほど、村を盾にして脅迫されたアリシアが動揺してみせたのも、これで演技だと悟られただろう。
「……まさか」
「あそこに居た騎士どもは、お前の手駒か?」
フェリクスは目を眇め、シオドアにわざとらしくそう尋ねる。
「俺と戦争をやるつもりなら、まともな『精鋭』を連れて来い」
「それは、失礼……!!」
盾にした剣を押し上げたシオドアが、フェリクスの剣を捌く。
彼らの剣同士が擦れ、しゃんっと鈴のように鳴った。シオドアはその瞬間真横に振り切った剣で、フェリクスの体側面を裂こうとする。
「フェリクス!」
しかしフェリクスは怯まない。自らの剣先がシオドアに跳ね上げられた、その勢いすら利用して、瞬時に剣の向きを変えた。
フェリクスが取ったのは、防御の動きですらない。
「!!」
彼の操る剣尖は、シオドアの喉元を真っ直ぐに狙ったのだ。
「く……!」
反射的に翳されたシオドアの剣が、喉を突こうとした切先への盾となる。火花が散り、凄まじい音が辺りに響くが、フェリクスの顔色は変わらなかった。
(強い!)
小手先だけで剣を扱うのではない。フェリクスの繰り出す一撃は、そのどれもが重厚で的確なのだ。
だが、その剣技に見惚れている場合ではない。隧道のある崖から落ちてきた小石が手に当たると同時に、フェリクスから名前を呼ばれた。
「――――アリシア」
「!」
シオドアと数秒ほど打ち合った彼は、飽きたとでも言わんばかりに攻撃を辞める。剣を構えたシオドアを前に、悠然とした振る舞いで口にする。
「わざわざ見届けに来てやったのに、いつまで俺に押し付けている」
「……っ」
シオドアに手首を強く握られて、指に力が入らない。けれどもそんなことを言い訳にして、戦うことをやめる訳にはいかなかった。
「手ぬるい児戯に、付き合う暇はないぞ」
冷たいまなざしが、アリシアに向けられる。
「その程度で、俺の共犯を名乗る気か?」
「…………!」
フェリクスに思わぬ言葉を告げられて、アリシアは目を丸くした。
(……誓約は、フェリクスの中に残っているわ)
手の痺れなど悟られないように、ゆっくりと泥水の中から立ち上がる。
(私がこの場で対峙しなくてはならないのは、シオドアだけじゃない)
フェリクスに窮地を救われるだけの『妃殿下』では、欲しいものなど手に入らないのだ。
「当然、次の手だってあるのでしょう? シオドア」
「……ふ」
凄まじい光を放つ雷が、すぐ傍まで迫っているのが分かる。雷光の直後に轟く音は、まるで地響きのようだった。
「ふふ、ふ……!」
浅い呼吸をするシオドアが、肩を震わせながら笑っている。
「本当にご立派になられました、アリシアさま……! ご夫君と連携しての戦い方、仲睦まじくいらっしゃって何よりです!」
「……あなたに話していないことがあるわ。シオドア」
頃合いが迫っていることを悟り、アリシアは落とした剣を拾い上げた。
「お父さまやお母さまさえも、あなたに秘密にしていたことよ」
「は……?」
大きくなった雨音に掻き消されて、この距離なら騎士たちには聞こえない。アリシアはその声量を計りながら、シオドアに告げた。
「私には、未来が分かるの」
「……何を……」
動揺に揺れたシオドアの目が、はっとしたように見開かれる。『神秘の血』にまつわる伝承を、シオドアだって聞いたことがあるはずだ。
「数日前にこの場所で、何が起こるかの未来を見たわ。あなたは援軍を呼んでいて、それが間も無く到着する手筈になっている」
「……」
本当は決して『見た』のではない。シオドアがそういった戦略を好むのだと、故国にいた頃の情報収集で知っていた。
「そしてその援軍は、この山の西側を通過するわね?」
そんな光景も、決して未来視で見たものではなかった。
シオドアの援軍はどうあっても、この山の西にある道を選ぶしかないのだ。軍隊とは大人数が一斉に移動する性質上、細く脆い道をゆっくり進むことは出来ない。
行軍に時間を掛けることは、兵の体力や兵糧の問題にも繋がってくる。そしてアリシアは、隧道崩落に備えるための知識として、入念に情報を撒き育てた。
(『隧道がもうじき崩れる』という緊急性の高い情報は、なるべく聞いたままを正確に保たれながら、村人や旅人に広まってゆく)
それがレウリア国の情報を探るシオドアの耳にも入り、部下への指示にも影響しただろう。
「あなたが村を包囲して私を脅迫することも、本当は未来視で分かっていた。だからフェリクスにそれを伝えて、騎士を排除してもらったの」
「……」
(本当は違うわ。私の動きを封じるために効果的な脅迫方法を、私だからこそ分かっていただけ)
しかし、シオドアだって同様の考えに辿り着く確信があったからこそ、フェリクスに村の危機を伝えたのだ。
(フェリクスは、私がシオドアとの決着を長引かせたことを叱った。……フェリクスの目にはきっと、私が情ゆえに迷ってしまって、なかなか踏ん切りが付かなかったかのように見えたわね)
隧道の据えられた崖から落ちてくる石が、どんどん大きなものになってくる。
(だけど、ようやくこの時が来たわ。……シオドアと長々斬り結び、時間を稼ぐことが出来てよかった……)
アリシアの目には先ほどから、顕著な『兆候』が見えていた。
「シオドア」
そして聞こえる音が大きくなったそのとき、アリシアは微笑んでシオドアに告げる。
「あなたの作ろうとした未来は、私によって壊されるの」
「……まさか」
雷のそれとは明らかに違う、異質な轟音が辺りに響く。
「――――!!」
その瞬間、隧道の崖が崩落して、噴出した土砂が斜面へと流れ落ちた。




