53 悪夢から覚めて
「アリシアさま。あなたが諦めてさえ下されば、このような手段を使う必要もないのですよ?」
「――諦めないわ。私は必ず故国に帰り、あの叔父から玉座を奪還する」
「言ったでしょう、村に火を放つと。……あなたが関わってしまったばかりに、無辜の民が巻き添えになることを、良しとされるのですか?」
「…………」
それが脅しではないのだと、シオドアの双眸が語っている。
アリシアは、濡れて滑りそうになる柄を強く握り込みながら、半ば独り言のような声音で呟いた。
「ずっと、怖い夢を見ていたの」
「……?」
再び走った雷の光が、ぬかるんだ地面や倒木を照らし出す。地面を激しく叩く雨は、アリシアの肌も冷たく濡らした。
「幸せだった日々が壊れて、あの日の血まみれになった玉座が映り、何も出来ない私が泣き喚く夢。……何も出来なかった私への、罰のような悪夢」
「あなたの何処に、責められる理由があると仰るのです?」
シオドアの言葉に迷いは無い。恐らく彼は心から、アリシアにあの日の責任はないと考えている。
アリシアから見たシオドアが、まったく同じであるようにだ。
「……そんな人、夢の外には何処にもいないわ」
この国で初めて熱を出した夜、悪夢を見ているアリシアに、フェリクスはそう教えてくれた。
「私の所為だと責めるのは、世界でただひとり私だけ」
「……!」
父も母も、アリシアも、あの日のシオドアを責めてなどいない。
アリシアが言わんとしていることに、シオドアは察しがついたのだろう。
「……これ以上、無駄な議論を続けるおつもりで?」
「あなたもそのことに気が付かなくては、自罰心で目が曇るばかりだわ。本来やるべきことを見失い、迂遠な道を歩み続ける人生だなんて、悪夢と同じよ」
そしてその夢からは、自分の力で覚めるしかない。
「私を守るなんて綺麗事を理由にすることは、もう許さないわ」
「……」
アリシアは、フェリクスから借り受けたその剣を構え、真っ直ぐに告げる。
「いまの私が望むのは、守ってくれる盾ではなく、共に戦ってくれる剣なの」
「……っ」
その直後、シオドアの剣先が眼前に現れた。
(〜〜〜〜っ!!)
寸でのところで剣を翳し、それを押し留める。しかしシオドアはアリシアの手首を掴むと、強引に彼の方へと引いた。
「うあ……っ!」
「ここまでです。アリシアさま」
アリシアの手首の骨の窪みに、シオドアの親指が食い込んだ。強引に手を脱力させられて、濡れた地面に剣が落ちる。
「これからあなたを『安全な場所』にお連れして、そこで片脚を頂戴いたしましょう。この雨の中で処置を行なっては、命に関わるかもしれませんので」
「っ、馬鹿ね、シオドア……!」
アリシアは、首から下げた隠し刃を手に取った。切先を当てるのは、アリシア自身の首筋だ。
「私が大人しく、従うと思うの?」
「――伝令を出せ」
シオドアは地を這うように低い声で、周囲の部下に告げる。
「村に火を放てと。この雨でも、一軒ずつ燃やして回れば容易いだろう」
「た、隊長。しかし……!」
「これは、我らが祖国の民を守るための、崇高なる作戦の一環だ」
アリシアの手首を掴む力が、ますます強くなった。
(こんな馬鹿げたシオドアの命令に、従うべきか迷っている……。ここにいる騎士たちは、シオドアを心から尊敬しているんだわ)
このままでは、間違いなく伝令が下されるだろう。
「シオドア……!」
「早くしろ!」
「は、はい……!」
騎士たちの駆け出す音が、雷の音に掻き消される。
「――そして、アリシアさま」
シオドアは微笑み、アリシアの手首を強く引いた。
「その短剣をこちらに。でなければ」
「……っ」
シオドアの持つ剣が、振り翳される。
「剣を握れないお体にするしか、ありませんね……!」
「…………!」
そのときだった。
「――何をやっている?」
「!!」
冷静な声が、アリシアの耳に届く。
直後、美しくまっすぐな銀色の剣が、雷光を受ける輝きが見えた。
「遅い」
「あ……」
シオドアが咄嗟に翳した剣が、『彼』の一撃を辛うじて止める。
「…………っ!」
辺りが光に満ちると共に、凄まじい轟音を放ちながら、雷が空から降り注いだ。
(……落雷。まるで、この人が呼んだみたいな……)
「こんなところで悠長に、遊んでいる場合か?」
切れ長なその双眸と、色気を感じさせる目元のほくろが、かんばせの美しさを殊更に強調させている。
突如現れたその男は、対峙するシオドアの切実さに反して、何処までも涼しい顔をしていた。シオドアと剣を交えたその青年は、アリシアの方を一瞥することすらなく、事も無げにこう言い捨ててみせるのだ。
「さっさと殺せと言ったはずだ。――アリシア」
「……フェリクス……!!」
アリシアの美しき夫フェリクスは、ローブで姿を隠すことすらない堂々とした振る舞いで、その場所に立っていた。