51 檻
シオドアが心底おかしそうに笑う光景は、アリシアから見れば異様だった。
しかし周囲の騎士たちは、アリシアにますます強い怒りを注いでくる。
「隊長が、シェルハラード国を滅ぼすだと!?」
「どこまで侮辱する気だ……!」
しかし彼らのそんな言葉は、シオドアの視線によって遮られる。
「――邪魔だよ」
「……っ」
シオドアは、ぞくりとするほど冷たい目で部下を睨んだ。
「お前たちは退がっていろ」
「し、失礼いたしました……!」
アリシアはシオドアを注意深く観察しながら、改めて剣を握り込む。
雨の中、松明と雷光だけで描かれる視界の中で、シオドアの瞳が妙にはっきりと浮かび上がっていた。
「……どうして、お父さまとお母さまの守りたかったシェルハラード国を壊すの」
胸の内側から燃え上がる感情は、却ってアリシアの集中を研ぎ澄ませる。
「子供だったあなたが誓ったのは、騎士としてあの国を守ることでしょう……!」
「私の誓いは、先王ご夫妻の御心のままに仕えること」
僅かに首を傾げ、シオドアは笑う。
「おふたりが何より大事になさっていたのは、国民とあなたさまです。ですから、国ひとつ、滅んだところで……!」
「!」
次の瞬間、シオドアがアリシアに向かって一直線に踏み出して、真上から剣を振り翳した。
「それが一体、なんだというのです!!」
「……っ!」
眼前で激しく交わった互いの剣が、金属音と火花を散らす。
「あなたのご両親は、国という器など重視なさいませんよ……! どんな場所で生きようと、そこに幸せを見出すことは出来る。きっと、そうお考えになるはずです!」
「壊された国の中にいる人たちに、どれほどの苦難が立ちはだかると思うの!」
アリシアはシオドアの剣をなんとか受け流し、後ろに飛んで体勢を直しながら、彼に叫んだ。
「シェルハラード国が崩壊すれば、他国がそれを貪るだけだわ!」
重心を下げ、濡れた地面を強く蹴る。雨粒の散る中、再びシオドアの間合いに踏み込んで、彼の腕を狙おうとした。
けれども左側から、アリシアの脚を狙った一撃が空を切る。咄嗟に剣を翻し、盾のように体側面へと翳して、辛くもそれを防いだ。
「国が無くなれば、奪われて終わるの! 領土も文化も技術も、国民も……!! 国が消滅するのではなく、新たな国に成り替わるだけよ……!」
シオドアは本当に、アリシアの両脚などを切り落とすつもりだ。それこそが、両親の願いを叶えるために、アリシアを『安全な場所』へと留める手段なのだろう。
(フェリクスの言った通り。シオドアを味方に出来ないのであれば、取るべき手段はひとつしかない……)
分かっているからこそアリシアは、ここで退くことなど出来ない。
「国を壊しては、国民を守れないわ!」
すかさず身を引いて突きを繰り出すが、それはシオドアの剣によって押し留められた。
「シオドア、あなただって分かっているはずでしょう!?」
「――それでも」
シオドアと間近に視線が合う。
「いまのあの国で生きるよりは、幸福ですよ」
「……っ!」
笑みを浮かべた彼の双眸は空虚で、それこそが感情を雄弁に語っていた。
アリシアと交差したその剣を、シオドアが真横に薙ぎ切る。男女の力の差がある中、アリシアの重心はそれだけで崩れ、体勢を崩してしまった。
(腕……!)
シオドアに掴まれそうになった瞬間に、すかさず立て直しそれを躱す。アリシアのその動きを目の当たりにして、騎士たちが声を上げた。
「アリシアさまのあの動き……本当に、王女のものなのか!? 速度も瞬発力も動きの正確さも、並大抵ではない……!」
「下手な騎士よりもよほど強いぞ!! シオドア隊長とあそこまで渡り合うとは……」
華やかな夜会で踊る代わりに、手を傷だらけにして剣術を学び続けたのだ。騎士たちの声が耳に入らないほど、アリシアはシオドアに集中していた。
「おやさしい、アリシアさま」
それでも、やはり剣だけを一心に鍛錬し続けたシオドアには、どうしたって最後の一手で及ばない。
「国政とは、誰かに裏切られ、誰かを犠牲にしながら行なってゆくもの」
「っ、く……」
「あなたに、あの国を治めることは出来ません」
「決め付けられる筋合いは、無いわ……!」
アリシアがシオドアの喉に繰り出した突きが、ほんの僅かな動きで回避される。更にはその体勢を逆手に取って、太腿を切り落とされそうな気配を感じた。
「――――!」
「いいえ」
剣を頭上に振り上げ、辛うじてその一撃を防ぐ。
「あなたの甘さは、明らかですよ」
「何を……」
肩口に振り下ろされそうだったシオドアの剣を、真横に構えた剣で押し留めながら、アリシアは顔を顰めた。
「私はどのような手でも使います。あなたと違って」
「――隊長!」
そのとき、山を抜けてきたらしき騎士のひとりが、アリシアたちの居る開けた場所に飛び出して叫んだ。
「伝令です。作戦はつつがなく、ご命令通り!!」
「命令……」
聞きたくもない報告を予感し、アリシアはぐっとくちびるを結ぶ。
「この近辺にある村を、包囲完了いたしました!」
「っ、は、はははははは!!」
「……シオドア……!」
高らかに笑ってみせるシオドアを、アリシアはまっすぐに睨み付けた。
「これで分かったでしょう! あなたには冷酷さが足りない。国を治めるに足る非道さも、覚悟も……!!」
「…………」
「あなたがこれ以上抗うのであれば、村に火を放ちます。これが脅しではないという証明に、ひとりずつ子供を殺して行っても構いませんよ」
そう言って、シオドアは突然にやさしい微笑みを浮かべるのだ。
「さあ、良い子のアリシアさま」
その声音は、幼かったあの日と変わらないままだ。
「どうか、忠実な臣下の進言をお聞き入れください」
「――――……」
その双眸には、松明の炎が映り込んで揺らいでいる。
『死に戻り花嫁は欲しい物のために、残虐王太子に溺愛されて悪役夫妻になります!
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イラストは藤村ゆかこ先生です!!
藤村先生の美しすぎるアリシアとフェリクス、お楽しみに!!