45 誓い
膝に乗せたアリシアを、後ろから抱き込んだままのフェリクスは、どうでもよさそうにこう答えた。
「――ちがう」
降り注ぐ雨の音が、その声音をいっそう柔らかなものにする。
「ただ俺が、不快な声を聞きたくないだけだ。父と関わる上での何もかもが、煩わしい」
(……国王陛下も、フェリクスとは必要以上に話したくないご様子だったわ。国王と次期王位継承者がこれほど露骨に不仲である理由、それは……)
先ほど耳にした言葉を思い出して、アリシアはフェリクスに尋ねた。
「お母さまが『惨殺された』ことが、あなたとお父さまの亀裂に繋がったの?」
「は。……そういった質問は、普通もっと躊躇するものだろうに」
「あら。下手に気を遣われることがどれだけ困るか、私だってよく知っているつもりよ」
敢えてけろりと言い切ったのは、身に染みているからだ。
周りから見て、どれほど悲壮な出来事であろうとも、起きてしまった本人には変えようのない事実でしかない。
それでも、フェリクスが口にした言葉に対しては、驚きを面に出してしまう。
「――俺の母は、父を暗殺するために送り込まれた」
「!」
事実を紡ぐフェリクスの声音は、感情が滲まずに淡々としている。
「母の故国が命じたことは、王位継承権を持つ男児を産んだのち、夫を殺せというものだったらしい」
「……それって、つまり……」
目論見通りの事態が起きれば、この国は幼い王太子が継ぐことになる。玉座の後ろに控えるその生母は、絶大な権力を持っただろう。
さらにその背後につく国は、この大国レウリアへと干渉する力を持つはずだ。フェリクスの母の国が企てたのは、そんな未来だったのだろう。
「そうとも知らない愚かな父は、母をどうやら深く愛した」
先ほどの男性も言っていた。
国王は、王妃を寵愛していたのだと。
「俺が生まれてからも一向に、母は父を殺すことはなかった。父が似合わない花を贈れば、母はぎこちなくそれを受け取る。……そして、父や俺にだけ分かるように笑った」
「そう、だったの……」
彼女を深く愛する国王ゲラルトにとって、その微笑みはどれほど嬉しいことだっただろうか。
アリシアはその光景を想像した後で、とても悲しい気持ちになった。
「――やがてあなたのお母さまの故国は、業を煮やした?」
「…………」
静かな声で語られたのは、その続きだ。
「国境付近に出向いたとき、賊に扮した敵が俺を狙った」
(……きっと、人質にするためね)
フェリクスの母を脅して暗殺を促す道具にも、この国へ戦争を仕掛ける際の道具にも使える。
考えたくもない非道な手段だが、間違いなく有効な方法だ。
「母は俺の前に飛び出して、命を落とした。血溜まりの中、か細い声で、俺へと事実を語りながら」
かすかに自嘲じみた音が、フェリクスの声音に混ざる。
「父が駆け付けたとき、事切れた母の周囲に転がっていたのは、俺が殺した賊の亡骸だ」
「……フェリクス」
アリシアは、自らの腹部に回されたフェリクスの手にそうっと触れる。
「幼かった、あなたは」
小さな男の子の姿を想像して、アリシアは優しくその手を包み込んだ。
「――お母さまの負っていた暗殺の使命を、誰にも話さなかったのね」
「…………」
きっと、父親にすらも。
そのことに気が付くと、左胸の奥が締め付けられるような心地がした。
「お母さまの故国からの賊だと分かれば、怒り狂った国王陛下によって、戦争に発展してもおかしくなかったでしょう。けれど」
国王ゲラルトが現場から推測できた状況は、『何者かがフェリクスと母君を連れ去ろうとした』というものになるはずだ。
「賊はあなたが殺してしまったので、その決定的な証拠や証言は何処にも無い。どれだけ陛下がお母さまの国を疑ったとしても、正当な理由での戦争は起こせない……」
フェリクスはそのとき、一体何歳だったのだろう。
たとえいくつであろうとも、間違いなく幼い身の上でありながら、そこまで考えて賊を全員殺したのだろうか。
(お母さまの故国とこの国が、戦争を起こさないように。……夫の暗殺を思い留まり続けたお母さまの、願いでもあった……?)
そのときだった。
「!」
後ろから抱き締めてくれているフェリクスの額が、アリシアのうなじに押し当てられる。
「……フェリクス」
「…………」
フェリクスは何も言わない。けれどもそれはまるで、大きな猫に甘えられているかのような心地だった。
「もうひとつだけ、教えてくれる?」
「……なんだ」
「あなたは以前、滅ぼすべき国があると言っていたわ。それは、私の国では無いわよね?」
「あんな国に、興味があるはずもないだろう」
分かりきっていた問い掛けではあるものの、一応は安堵する。
「それなら、あなたのお母さまの国?」
「…………」
「やっぱり答えてくれないわよね。でも、私の国でないことが確実なら、それでいいわ」
納得の末、アリシアは体勢を変えることにした。
「……おい」
「……じっとして」
囁き声でフェリクスを窘めて、彼の膝へと横抱きに座る。
こうして見上げるかんばせに、やはり感情は滲んでもいない。けれども灰色の瞳には、ランタンの光が揺れていて、美しかった。
「あなたはその国を滅ぼすときに、たくさん殺すつもりでいるの?」
するとフェリクスが目を細め、長い睫毛の影が双眸に落ちる。
「そんな愚行は犯さない。そのまま自国に加えるつもりの国の、人員という名の資源を、無闇に消耗することはない」
「よかった。罪のない人たちに酷いことをしないって、約束してくれるなら……」
右手の指でフェリクスの頬に触れた。そうしてアリシアは、婚姻のときよりもずっと強い想いを込めて、ひとつの約束を述べる。
「……あなたと一緒に、私もその国を滅ぼしてあげる」
「!」
そんな誓いをフェリクスに捧げて、アリシアは柔らかく微笑んだ。
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