41 騎士の望み
「シオドアのことを、責めないで」
「アリシア妃殿下……」
「それに叔父さまのことも、私は決して恨んでいないの」
アリシアはわざとフェリクスに対し、悲しい声音で懇願した。
(まずは偽りを。私に叔父さまへの敵意がないという嘘を、シオドアに対して見せ付けなくては)
シオドアが敵であろうと味方であろうと、渡す情報は少ない方がいい。叔父への叛意など、今の段階で見せる必要は無いのだ。
「私は誰のことも憎まないわ。だからフェリクスがそんな風に、私のために怒ってくれる必要もないの」
「…………」
(なんて。口にしているだけで、辟易してくるわね)
自嘲めいた気持ちになって、アリシアは微笑んだ。
(こんな綺麗ごとだけで、大切な人たちを守れるはずもないのに)
「……アリシア妃殿下」
シオドアが俯き、礼の形を取った。
「フェリクス殿下のお言葉はご尤もです。すべては私の不甲斐なさによるものであり、弁明のしようもございません」
「シオドア」
フェリクスの首から腕を解いたアリシアは、彼の膝から降りようとする。
けれどもそれを、大きな手でぐっと引き寄せて留められた。
「!」
内心で驚きつつも表には出さない。アリシアは、フェリクスの膝の上からシオドアを見下ろす。
シオドアは深く跪いた姿勢で、静かに切り出した。
「このような発言が我が陛下のお耳に入れば、私は死罪をも免れないでしょう。そのことを承知の上で、申し上げます」
シオドアの顔を見ることは出来ない。
それでも彼はアリシアに頭を下げ、はっきりと宣告した。
「私の忠誠心は今もなお、アリシア妃殿下のお父君……亡き先王陛下の元にあると」
「――――……」
シオドアの言う通り、叔父の耳に入れば処刑となってもおかしくない言葉だ。
フェリクスがくっと喉を鳴らし、皮肉めいた笑みで言う。
「であればなおのこと奇妙な話だ。いまの貴殿が仕えているのは、かつての主君を殺した男だが?」
「いかにも、裏切りと謗られても当然です。しかし先王陛下が何よりも追い求めていらっしゃったのは、無辜の民が幸福である国」
アリシアだって忘れていない。
母と共に民のもとを自ら回り、真摯に耳を傾けた父の姿を誇りに思っているからこそ、アリシア自身もそうしてきた。
「先王陛下が倒れた後、王弟であらせられた現在の国王陛下が玉座に就かれました。しかし、玉座争いによって生じた混乱は大きく、それによって最も苦しめられたのは弱き民です」
フェリクスは目を伏せ、黙ってシオドアの話を聞いている。
というよりも、好きに喋らせてやっているといった方が正しい無関心な表情で、沈黙を貫いていた。
「先王陛下が亡くなられた際、私は己の無力を痛感しました。せめてもの償いは、先王陛下の望んだ通り、国民が幸せに過ごせる国を目指すこと……」
シオドアがゆっくりと顔を上げる。
「新たなる国王陛下を憎み、叛き続けるのではなく。たとえ私情を殺して仕えてでも、民を守らねばなりません」
「シオドア……」
「――それこそを最も優先すべきだと、自分に言い聞かせたのです」
叔父の騎士となってから、シオドアの献身は凄まじいものだった。
シオドアが同盟国のために戦ってきた功績は、アリシアの祖国が発言力を増した一因でもある。
(シオドアが戦ってくれたことで、守られた国民も大勢いるわ)
「周辺諸国や同盟国……誰が先王陛下にとっての敵か、残された国民にとっての敵なのか、それを見極める必要もありました。一介の騎士には踏み込めず、こちらはまだ道半ばではありますが」
どの国が父を裏切ったのか、それはアリシアが知っている。未来視でそれを見たからだと言えば、シオドアはどれくらい信じてくれるだろうか。
そう考えていると、シオドアの瞳がアリシアを見据える。
「私の唯一の心残りは、アリシア妃殿下のことでした」
あまりにも真っ直ぐなまなざしに、アリシアは少しだけ驚いた。
「妃冠の儀が行われると伺った際、私が参列者として名乗りを上げたのは、アリシア妃殿下にお会い出来る数少ない機会であると踏んだからです」
「シオドアが、自分から行きたいと言ってくれたの?」
「もちろん」
シオドアは少し寂しそうに、それでも柔らかく微笑む。
「……幼少の砌、私はあなたの兄代わりであったと、僭越ながらも自負しておりますよ」
「……!」
アリシアだって、本当の兄のように思っていた。
すぐにそう告げたかったことを、シオドアは察してくれただろうか。
「現王陛下からの信頼を賜り、私が揺るぎない力を持てば、アリシア妃殿下をお救いすることも出来ると信じておりました。……しかし、あまりにも時間が掛かりすぎたこと、お詫びのしようもなく」
「それは、仕方がないことよ」
叔父たちはアリシアが力を付けないよう、徹底して味方を排除していたのだ。
シオドアがアリシアを気に掛けるほどに、アリシアに手を差し伸べることは難しくなっていっただろう。
「そんな危険を冒すよりも、シオドアが私を顧みずに地位を獲得した方が、結果としてお父さまの望んだ国の在り方に近付ける。シオドアの考えに、私も賛成だわ」
「……アリシア妃殿下に、そのようなお言葉をいただく資格はございません。私はそのような身でありながら、フェリクス殿下に一言申し上げるつもりでおりました」
不思議に思って首を傾げる。僅かに眉根を寄せたフェリクスに対し、シオドアは告げた。
「どうかアリシア妃殿下を、幸せにしていただきたいと」
恐らくはフェリクスの怒りにも触れる覚悟で、凛とした声が響く。
「アリシア妃殿下が、これまでの人生で得るはずだったすべての幸福を。――フェリクス殿下の手で叶えていただきたいと、不敬を承知でお願いに参ったのです」
(…………シオドア)
「このレウリア国の王太子妃として。ご夫君に愛され、健やかな御子をお産みになり、未来永劫その笑顔を絶やすことがない……そのような未来を、アリシアさまにお約束いただきたく」
(…………)
青く晴れ渡った空のような双眸には、一切の曇りも偽りもない。
そのことが、確かに感じられた。
(これまでの会話は、叔父さまの耳に入れば処刑も免れないものだわ)
そんな危険がある中で、シオドアが嘘をつく理由は無いはずだ。
(それでも話してくれたということは。シオドアは叔父さまではなくて、私の味方で居てくれる……そう、信じていたかったけれど)
アリシアは緩やかな瞬きのあと、さびしさと共に目を細めた。
(さよならね。シオドア)
悲しい気持ちを押し殺し、アリシアは小さな微笑みを浮かべる。
(あなたの本当の目的に、私は察しがついてしまった)