40 真っ向から
アリシアが未来視を行う条件は、『誰かに殺されかけている状況で、自害すること』である。
一方で、フェリクスに対しては嘘をつき、『誰かに殺されかけている状況で血を流すこと』だと話していた。
(それでも、『誰かに殺されかける必要がある』という前提は正直に伝えたわ。ただ血を流すだけで未来が見えると嘘をつけば、未来視が何度も容易く行えるものだと思われてしまうから)
なにしろアリシアは、あと二回しか未来視を行うことが出来ないのだ。
(回数制限があることをフェリクスに隠すためには、未来を見たというふりをしつつ、実際は持ち得る知識だけで先読みをする必要があるんだもの)
これがそう上手く行くとは限らない以上、能力の出し惜しみをする理由は多い方が良いだろう。
(けれど今回のシオドアに関しては、実際に未来視を行って、シオドアが誰の味方かをはっきりさせておくべきかもしれない……)
こうしてシオドアを前にして、アリシアは、ここで未来視の力を使うという『諦め』がついた。
(それでもシオドアが私を殺す気かどうかを確かめるために、シオドアに殺されるのを待つ訳にはいかないわ。フェリクスが私を殺してくれるなら、その直前に私が自害することで、未来が見られる)
ただし故国を取り戻した暁には、フェリクスのために未来を見る約束が残っていた。
アリシアの未来視は残り二回だ。
二回を使い切ってしまえば、アリシアから神秘の力は消える。
(それがバレたら、フェリクスにとっての私は用済み。殺されるまではいかないとしても、離縁して捨てられることだって……)
しかし、命があるだけ喜ばしいと言えるだろう。
「叶えてくれる? フェリクス」
「…………」
再びアリシアが甘えれば、フェリクスは淡々としたまなざしを向けてくる。
(どうしてそれをシオドアに会う前にねだって、未来視をしなかったのかという顔ね。やっぱりフェリクスはわざわざ言わなかっただけで、私が力を行わないことに疑念を向けていた)
それも当然だ。アリシアだってこの異能に回数制限さえなければ、シオドアに会う前から未来視を使っていただろう。
未来視を出し惜しんだことへの説明として、小さく呟く。
「……心の奥底では、未来視を使うまでもなく、シオドアが味方だと信じたかったの」
フェリクスの首筋に額を押し付け、嘘ではない感情を彼に告げた。
「けれど。……もう、私の騎士はいないんだって、よく分かったから……」
「――――……」
フェリクスが、静かに溜め息をつく。
そうして膝に乗ったままであるアリシアの髪を、まるで撫でるかのように触れた。
「貴国は我が妻となったアリシアに、これまで無体を強いてきたようだな」
(フェリクス……?)
言葉の行方はアリシアではなく、戸惑っているシオドアに向けたものだ。
思わぬ発言に驚くが、フェリクスはアリシアを離さない。
「昔馴染みである貴殿の顔を見て、アリシアがこんなにも泣いている」
(な、泣いてないけれど!?)
そう反論したかったのに、フェリクスはどんどん話を進めてしまう。アリシアの耳元に口付けるかのような近しさで、皮肉っぽく囁いた。
「辛かった日々を思い出したのだろう。……可哀想に」
(本当に私が泣いたとしても、そんなこと絶対言わないくせに……)
シオドアからすれば、本当にアリシアが泣いてしまい、それで夫に甘えているようにも見えたかも知れない。
「貴殿はアリシアを助けてやれる距離に居ながら、実際には何もしてこなかった」
「フェリクス。玉座の主が父から叔父に替わったとき、シオドアはまだ十三歳だったわ」
シオドアの代わりに答えながら、アリシアはその意図に気付き始めていた。
「そうであってもだ。今や騎士シオドア殿は、我がレウリア国にもその名声が届くほどの人物。少年の時分に力が無くとも、アリシアを気に掛けられる場面はいくらでもあっただろう」
(一体何をするつもりなの? ……もしかして)
フェリクスは冷めた目を眇め、シオドアを見据えた。
「だが、貴殿はそうはしなかった」
「……それは」
(私からあの時のことを尋ねると、叔父さまへの恨みがあることや、シオドアを責めるようなニュアンスが出てしまう)
アリシアが叔父に敵意を持っていることを、いまはまだシオドアに悟られたくない。
シオドアが叔父の忠実な騎士となっていた場合、間違いなく大きな障害となる。彼がティーナの命令にも従うのであれば、邪魔なアリシアを殺そうと動くはずだ。
(けれどシオドアがこれまでどんな思いで過ごして来たかを知ることは、どちらの味方かを探る点において重要だわ。私の敵意を透けさせずに確かめる、自然な方法は……)
アリシアは、フェリクスの横顔をそっと窺った。
(……私ではなく、フェリクスが問いただすこと……)
フェリクスの手が、アリシアの髪をくしゃりと握り込むようにする。
傍に寄せられ、アリシアの耳殻にフェリクスの吐息が触れるほどの近さで、その低い声が囁いた。
「――旧知の者の見極め程度も、俺が殺してやらなければ出来ないのか?」
「……っ」
鼓膜を揺るがす甘いくすぐったさが、アリシアの背筋を駆け上る。フェリクスのくちびるは、アリシアの耳にほとんど触れていて、まるで口付けられているかのようだった。
「俺の妃は、未来視を使わなければこんなものか。……だとしたら、お前の今日の寝床は長椅子だな」
(未来視ではなく真っ向から、駆け引きを続けろと言っているの?)
アリシアのことを抱き寄せたまま、フェリクスがシオドアを睨んだ気配がする。
「シェルハラードの騎士よ。弁明があるのであれば、語っていただこうか」
「――――……」
(本当に、やさしくないやり方。それでも殺されたり自害する方法と違って、痛くない)
アリシアは、シオドアに気付かれないように深呼吸をした。
(フェリクスが、私が血を流さず済むように励ましてくれた訳は無いけれど。……不甲斐ない妻を叱ってくれた、そのお礼は言わなくちゃ)
そして、再びシオドアに向き合う覚悟をする。




