39 兄代わりの騎士
十三年前、五歳だったアリシアの傍にいたシオドアは、十三歳にしてすでに騎士の才覚を認められた少年だった。
金色の癖毛に鮮やかな青の瞳を持つ彼は、貴族家に生まれた少女たちの目を引いたものだ。
『アリシアさま』
身長が伸びつつある中でも、その表情にあどけなさを残した彼は、アリシアに目線を合わせながら微笑み掛けてくれた。
『森のお花畑が満開でしたよ、アリシアさま。今日も、王妃殿下へのお花を摘みに行かれますか?』
『うん! おかあさま、お熱がでてたから、げんきになるお花をあげたいの』
『分かりました。朝の雨でぬかるんでいますから、僕と手を繋いで参りましょう』
父親を早くに亡くしていたシオドアにとっては、アリシアの両親が、彼の親代わりだったのかもしれない。
アリシアの父は、遠征や狩りなどにもよくシオドアを連れて歩いた。
シオドアはその度に、アリシアと一緒にいる時とは違うきらきらとした笑顔を浮かべ、真っ直ぐな尊敬のまなざしを注いでいたものだ。
『ねえねえシオドア! アリシア、お花でゆびわがつくれるようになったの。きいろか、あおいろのお花をみつけたら、シオドアにあげるね!』
『僕にですか? ふふ、嬉しいな。それなら僕はアリシアさまに、花で首飾りを編みましょうか』
『やったあ! じゃあ、アリシアとシオドアでこうかんね!』
シオドアが熱心にアリシアの面倒を見る様子は、周囲の大人たちにとても微笑ましく映っていたのだろう。侍女たちがみんな頬を緩め、見守ってくれていた光景が浮かぶ。
『陛下はいずれシオドアさまを、アリシア殿下の騎士にされるおつもりなのでしょうね』
『アリシア殿下は、ご夫妻があんなに可愛がっていらっしゃるひとり娘ですもの。いずれ国一番の騎士になるシオドアさまが護衛につくのは、いたって当然ですわ』
そんな噂話が聞こえてくると、シオドアは少し照れくさそうに、それでいて誇らしそうにアリシアへと微笑みかけた。
『国王陛下にお任せいただける役目とあらば。アリシアさまが、いつかどなたかの花嫁となられるその日まで、僕がアリシアさまをお守りいたします』
けれどもそれはすべて、あのクーデターの日に失われたのだ。
怒号と悲鳴の中、剣同士のぶつかり合う音が響く。アリシアを片腕に抱き、もう片方の手でシオドアの手を掴んで逃げる父は、母を先を走らせながら出口とは異なる方を目指していた。
見知った騎士の亡骸に、シオドアが躓く。父がそれを助け、シオドアを引き続き導こうとした。
『おとうさま……!』
父の背に剣先が迫り来る光景を、アリシアは今でも思い出せる。
けれどもその瞬間の光景は、靄が掛かっているかのようだ。
『あなた!!』
『お前たちは早く逃げろ!!』
『っ、ですが……!!』
必死の形相で叫んだ父に、母がくちびるを噛み締めた。
泣きじゃくるアリシアと、父に追い縋ろうとしたシオドアの手をそれぞれに掴み、母は病弱な体で懸命に逃げてくれた。
けれどもやがては捕らえられ、アリシアと母だけが別室に軟禁された。
引き剥がされたシオドアが、それからどのような時間を過ごして来たのかを、アリシアは噂でしか把握していない。
(十三年の年月で私が変わったように、シオドアだって変わっていて当然だわ)
アリシアの妃冠の儀のために訪れ、跪いて婚姻の祝福を述べるシオドアは、あの頃より背も伸びて体格も良くなった。
そつのない微笑みを浮かべてこちらを見上げる様子は、騎士というよりもお伽話の王子さまのようだ。
(とても爽やかで完璧な微笑みに見えるのに、油断できない気配を強く感じる。……それは私の思い過ごし? それとも……)
敵か味方か分からない人物だなんて、シオドアに対して思いたくなどなかった。
けれどもアリシアは、見極めなければならない。隣に座るフェリクスの灰色をした双眸が、静かにアリシアを一瞥する。
(分かっているわ)
フェリクスから、無言で促されるまでもない。
アリシアは優雅に微笑んで、再会したシオドアに告げた。
「ありがとう、シオドア。兄も同然だったあなたに結婚を祝われるなんて、なんだか照れ臭いけれど……再会出来て、それが何よりも嬉しいわ」
するとシオドアは、少しだけ苦笑を交えながら目を細めた。
「……あの日のことを、後悔しなかったことはありません。いつか再びあなたのお目に掛かれる日まで、亡くなられた先王陛下に恥じることがないように、欠かずに鍛錬を続けて参りました」
「シオドア……」
「そしてあなたのお姿を拝見し、私は確信しております。――アリシア妃殿下も同様にこの十三年間を、戦って来られたのだと」
まるで本当の兄のようなまなざしで、シオドアが紡ぐ。
「あんなにお小さかったあなたが、おひとりで今日までよく、頑張られましたね」
「……!」
その声音とやさしい微笑みは、かつてのシオドアを思い出させた。
(いつかシオドアが私の騎士になってくれると、あの日が来るまでは信じていたわ。変わってしまったように思えたけれど、いまのシオドアは昔のまま……)
アリシアは小さく息を吐いたあと、気付かれないように椅子の肘掛けを握り込む。
(そのはず、なのに)
シオドアの双眸から、視線を外すことが出来ない。
(……どうして、胸騒ぎがするの……?)
柔和な微笑みでここにいる、得体の知れないこの男は、本当にあの頃のシオドアと同じ人なのだろうか。
けれどもシオドアを変わっていないと感じるのも、警戒しようとしてしまうのも、どちらもアリシアの感情でしかないのだ。
それを判断の材料にすることは、絶対にあってはならなかった。
(対応を間違えてはいけない、絶対にここで見極めないと。そのための、確実な材料は……)
無言で椅子から立ち上がる。けれどもそれは、シオドアの元に駆け寄って手を取るためではない。
アリシアは、フェリクスの膝に横向きになってぽすんと座り、そのまま彼の首にぎゅうっと抱き付いた。
「……フェリクス」
「…………」
何も言わないフェリクスが冷静であるのに対して、シオドアが戸惑っているのが分かる。
「アリシア妃殿下……?」
「……おい」
アリシアはシオドアの見ている前で、フェリクスの耳元に、まるで甘えるかのようにくちびるを寄せた。
「お願いがあるの」
フェリクスにしか聞こえない、ほんの小さな声で囁く。
(本当はこうしてシオドアと再会する前に、フェリクスにねだっておく必要があったのにね)
アリシアが残り二回だけ使える、特別な能力行使の条件を満たすために。
「――私のことを、殺してくれる?」
「…………」




