34 盤上の強者
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『フェリクスが国王陛下に遠ざけられているのなら、私だけ会いに行けばいいのだわ!』
『……お前な……』
つい先刻、フェリクスの執務室でそう結論付けたアリシアは、謁見の申し入れを届けに行く侍従のヴェルナーについて王の元へ向かった。
どうやらフェリクスの言っていた通り、国王は息子とその花嫁が会いに来るのを断ったらしい。
それを察したアリシアは、強硬手段に出ることにした。
あくまで礼儀正しく、それでも少し強引に、不敬罪になる寸前のところを見極めて『ご挨拶だけでも』と一礼したのだ。
(私がすでに王太子妃の立場でなかったら、牢に入れられていてもおかしくないわ。フェリクスは助けに来てくれないに決まっているし、投獄されなくてよかった……けれど)
この執務室には、火のついていない暖炉がある。
その傍のローテーブルについたアリシアは、真向かいの男性を見据えた。
(ゲラルト・ヴィム・ローデンヴァルト陛下。若い頃は大陸間にも武勇を轟かせた剣士であり、この大国レウリアの王)
沈黙して正面に座した国王ゲラルトは、まるで重量のある岩のように隙がない。戦場で王を守る騎士にとっては、どれほど心強いことだろうかと想像した。
(フェリクスは瞳の色以外、お父君に似ているのね)
涼しげな双眸のはっきりとした二重も、通った鼻筋も、フェリクスとゲラルトはそっくりだ。
ゲラルトの黒い髪には、多くの白髪が混じっている。しかし、整髪剤によって丁寧に後ろへ撫で付けられているためか、品が良く瀟洒に見えるのだった。
(陛下はただ無言でいらっしゃるだけなのに、すごい緊張感。陛下の従者さんも、壁際で気まずそうになさっているけれど……)
アリシアは淑女に相応しい微笑みを浮かべ、改めてゲラルトに切り出した。
「重ね重ねありがとうございます、陛下。日々ご多忙でいらっしゃる陛下のお時間を、このように賜われましたことを、心より嬉しく思い……」
「御託は良い」
淡々と告げられた声の重さも、やはりフェリクスとよく似ている。
「其の方がここに来たのは、あれの差し金か?」
「……」
この父親は、息子のことを名前で呼ばないのだ。
(まるで、物のような呼び方をなさるのだわ)
アリシアが思い出したのは、この国に嫁いできた最初の夜のことだ。
フェリクスは、アリシアが彼の名前を殿下でも旦那さまでもなく『フェリクス』と呼ぶと、それで良いと言うかのように瞑目した。
「……ご提案なのですが、国王陛下」
アリシアはにっこりと微笑んだまま、暖炉の上を指差す。
そこに飾られているのは、王侯貴族の嗜みとして遊ばれる遊戯盤と駒だ。地位のある男性の部屋に置かれていることは珍しくもない、そんな代物だった。
「よろしければ。あの遊戯盤で私と勝負など、いかがですか?」
「――なに?」
ゲラルトが顔を顰めると同時に、壁際の従者が青褪める。
「あ、アリシア妃殿下!? 陛下に向かってそのような、恐れ多いことを……!!」
「……ふん」
国王は、アリシアの思惑を探るかのように見据えたあと、やがて「いいだろう」と承諾したのだった。
***
決められたルールに則って駒を動かし、陣取りをしながら相手を追い詰めるこの遊戯は、神話と星座に基づいて作られている。
夜空の星座が描かれた盤は、四季と同じ四種類が存在しており、この執務室に飾られていたのは冬の夜の遊戯盤だ。
神々の姿を模した駒を並べると、戦争の終局を表す美しい配置になるのが冬の盤だが、アリシアは冬の配置が少々苦手だった。
だが、それを顔に出すことはしない。
「先ほどの、フェリクスの差し金かというご質問についてですが……」
勝負の開始から十分ほどが経ったころ、遊戯盤に並べた駒をひとつ手に取って、アリシアは話を元に戻した。
「そうではありません。フェリクスは私を止めましたが、私がどうしてもご挨拶したいと押し切ったのです」
実際のところフェリクスは、どうでもよさそうに『好きにしろ』と言っただけだった。
『お前が父の不興を買ったときは呼べ。見学くらいには行ってやる』とも言っていたが、それは聞かなかったことにしている。
「フェリクスから、この国の素晴らしい伝統である妃冠の儀について教わり、わたくしとても楽しみにしておりまして」
あくまで柔らかく微笑んだまま、アリシアは女神の駒を置く。
「そちらに臨む前に、是非とも陛下にお見知り置きいただきたいと願い……不躾かとは存じますが、こうしてご挨拶へと参りました」
「ふん」
ゲラルトは即座に獅子の駒を取ると、迷う素振りもなくアリシアの女神の前に置いた。
(荒々しく攻撃的なのに、冷静で知略的な戦法だわ。フェリクスと対戦したことはないけれど、フェリクスも同じような手を差しそう)
そしてゲラルトは、相当強い。
アリシアが慎重に蛇の駒を動かすと、すぐさまゲラルトがこちらの陣に踏み込んでくる。アリシアの獅子は蠍の駒に倒されて、奪われてしまった。
思考を巡らせたアリシアが駒を持ち、大樹の駒を盤に置いたとき、ゲラルトが言う。
「許可をしてやっても構わぬぞ」
「許可とは?」
分からなくて首を傾げるも、ゲラルトは冷め切った声音のままだ。
「――あれとの婚姻を、解消したいのだろう」
「……」
放たれた言葉に、アリシアは目を丸くした。