33 父と子
「言っておくが」
フェリクスがアリシアのおとがいを掴み、彼の方に顔を向けさせられる。
「俺は何とかしてやらないぞ」
「分かっているわよ。シオドアとの戦いにこの国の騎士や軍勢が関わったら、それだけで戦争の口実になるもの」
「その通りだ。お前が玉座を取り戻すための戦いならば、お前の持つものだけで戦え」
黒灰色の瞳が、真っ直ぐにアリシアを見据える。
「そうして奪還しない限り、かの国をお前のものだと認める者はいない」
「――――……」
フェリクスの言葉に、身の引き締まる思いがした。
(すべてフェリクスの言う通りよ。夫の力に頼るだけでは、いずれ叔父さまを排除したとしても、このレウリア国の属国となるだけ)
アリシアにそれを言い聞かせてくれるのは、フェリクスだけだろう。言葉としては冷たくとも、これはアリシアに必要な覚悟だ。
「ありがとう、フェリクス」
「……何はともあれ」
フェリクスは再び肘掛けに頬杖をつくと、あからさまに気乗りしていない溜め息をつく。
「妃冠の儀を行う以上、面倒だが父に会わせる必要が出てきた」
「会わせるって、誰を?」
「お前の他に誰がいる」
「私!?」
思わぬ言葉に目を丸くした。
「結婚相手の父親に会うだけの話で、それほどまでに驚くか?」
「だって。なんというかこう、お父君のことに触れてはいけない空気だったから」
アリシアとフェリクスの婚儀の場に、レウリア国王の姿は無かった。
「婚儀が終わっても、ご挨拶の場が設けられる訳でもなかったでしょう? 食事も私とフェリクスのふたりきりで、居住区もまったく別だし……」
フェリクスの家族構成については、アリシアもある程度は知っている。
(王妃殿下……フェリクスのお母さまは亡くなっているのよね。しかも、フェリクスに兄弟はいないのに、フェリクスのお父さまは後妻を迎え入れなかった)
つまりレウリア国の王室は、国王と王太子のたったふたりだけなのだ。
(もしもフェリクスが命を落とした場合、王室は国王陛下のみが残る。もちろん王位継承権を持つ人は他にもいるでしょうけれど、不安定な状況だわ)
何か事情があるのだろう。フェリクスとアリシアが白い結婚のままであることも、その問題に関わっているのかもしれない。
(いえ。多分こっちは、私が女性として魅力が無いと思われているだけね)
「妃冠の儀を終えて以降は、王太子妃が公の場に出ることも増える。王の顔は知っておく必要があるだろう」
「お父君……国王陛下にお会い出来るのは、私としては光栄だけれど。いいの?」
「何がだ」
「だって、私のことがお気に召さないのでは?」
そう問うと、フェリクスは怪訝そうに目を細めた。
「何故そうなる?」
「私は長年、レウリア国と冷戦状態にあった敵対国の王女だもの。叔父さまの政治や外交が偏っていたお陰で、故国の評判が悪い自覚もあるし……国王陛下が私たちの婚儀に参列なさっていなかったのは、その所為だとばかり」
「違う」
フェリクスはふんと鼻を鳴らし、アリシアの向こう側にある机上のペンに手を伸ばしながら目を伏せる。
「――父が疎ましく思っているのは、俺のことだ」
「え……」
***
「陛下」
レウリア国王の執務室に、王の従者が入室した。
老齢の従者はその手に、一枚の書状を持っている。その文末には王太子フェリクスの署名が、彼自身の筆跡で綴られていた。
「フェリクス王太子殿下より、陛下の謁見を賜りたいとの文書が届いております。……ご覧になられますか?」
「要らぬ」
ひび割れたように重い王の声音が、従者の足をその場に留めた。
後ろへ撫で付けた黒髪に、年齢相応の白が混じった国王は、息子とはっきり血の繋がりを感じさせる顔立ちをしている。しかし国王の双眸には、フェリクスへの不快感が滲んでいた。
「――そのようなものを、我が元へと持ち寄るな」
「は……っ!」
従者はその場に跪き、顔色を青くして深く詫びる。
「大変失礼いたしました。お許し下さい、陛下……」
「私からあれに用件があるときは、お前たちを通してあれに伝える」
その眉間に深く皺を刻みつつ、国王がペンを手に目を伏せた。
「それ以外のことは、あれに与えてやった裁量の中で自由に行えばいい。そしてそれ以外の範疇には手を出すなと、改めて伝えろ」
「……仰せの通りに。そのようにお返事をして、参ります」
従者は立ち上がり、改めて国王に一礼すると、執務室を退がって行った。
「…………」
ふんと鼻を鳴らし、改めて公務のための書類を手にする。動きの鈍い右手に舌打ちをした、そのときだった。
「あ、あなたは……!」
「……?」
防音性が高いはずの扉越しに、従者の狼狽えた声がした。
先ほど閉ざされたばかりの扉が再び開くが、顔を覗かせた従者は焦燥を露わにしていた。
「陛下。申し訳ございません」
「なんだ。騒々しい」
顔を上げ、顔を顰める。
そこには、見慣れない人間がいたからだ。
従者の後ろでドレスの裾を持ち、深い礼の姿勢を取っていたのは、朝焼けの赤紫色をした髪を持つ娘だった。
「ご多忙のところ、突然このような形でのご挨拶となってしまい、お詫びのしようもございません。しかしながら、どうか僅かばかりでもお時間を賜りたく、参上いたしました」
その娘はやがて顔を上げると、こちらを見て微笑む。
「初めまして。国王陛下――……そして、お義父さま」
***




