32 シオドア
フェリクスからまなざしで説明を求められ、アリシアは切り出した。
「……シオドアは凄まじく強いだけではなく、防衛戦がとても得意なの」
守りを固められることの厄介さは、フェリクスもよく知っているだろう。
「たとえば見晴らしのいい戦場でも、彼に守られれば要塞と化すわ。彼自身の強さに加えて、軍師のような戦略に……」
「お前が取ろうとしている手段は、パレードを目眩しにした上で、お前しか知らない隠し通路を使う奇襲だ」
「……」
フェリクスのような鋭い人間に、まだすべてを話したくないときは、こうして密着するのは避けるべきだ。
そのことを、アリシアはたったいま学んだ。
(王族の夫妻がいつもくっついているのは、きっと互いに隠し事をせず、円満な信頼関係を築くための工夫なのね。だからお父さまとお母さまも、いつも仲睦まじくしていたのだわ)
「戦場で相手がどのような防衛を行おうとも、こちらの侵攻経路が気取られていなければ脅威ではない。その顔をしている理由は、他にあるな」
あくまで無関心そうなフェリクスだが、やはりそのまなざしは鋭かった。
アリシアは観念し、彼に告げる。
「……十三年前。叔父さまが王城に攻め込んできたとき、当時まだ十三歳の騎士見習いだったシオドアは、私やお父さまたちと一緒にいたの」
本来ならばシオドアも、見習いとはいえ騎士として戦うべき立場だ。
しかし母を先に走らせた父は、アリシアを抱えたのとは反対の手でシオドアの手を取り、シオドアも一緒に連れて逃げようとした。
「お父さまはあのとき間違いなく、隠し通路に向かっていたわ。途中で追い付かれてしまって辿り着けず、シオドアは隠し通路の場所を知らないままだけれど……」
「であれば、『隠し通路が存在する』ということ自体は察している可能性があるな」
フェリクスの言う通りなのだ。
妻と子供を逃がしたい国王が、包囲された城の中でも諦めず、一心に走っていた理由。
子供の頃は分からなくとも、二十六歳の騎士となったいまのシオドアは、あの王城のどこかに隠し通路がある算段をつけているかもしれない。
「……お父さまにとても可愛がられていた彼が、私の味方になってくれる可能性はあると信じていたわ。けれどあの騎士が、叔父さまの名代としてやってくるなんて」
アリシアには、シオドアが叔父の従順な騎士になっているのかどうか、確かめる手段がない。
「シオドアに、敵に回られていた場合……」
「――報告によれば。騎士シオドアの戦いに、こんなものがあったな」
フェリクスはアリシアを膝に乗せたまま、意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「お前の叔父が、戦争をする同盟国にシオドア率いる軍勢を貸し出したときのことだったか? その騎士は、山道にある最後の防衛拠点の砦を『守るため』に――……」
フェリクスの言葉を継いで、アリシアは呟く。
「……火を放った」
それを噂で聞いたとき、アリシアは耳を疑ったものだ。
「町に侵入させないよう、敵ごと砦を焼き払って……そうして彼は、『砦を見事守り切った』と称えられたわ」
父が死んでから、アリシアはシオドアに直接会っていない。
城内にアリシアの味方を増やさないようにと、厳しい監視の目があったからだ。
それでも情報は入ってくる。
シオドアの名が他国にもよく知れているのは、単純な武勲の数だけではなく、その大胆な戦略も関係しているのだろう。
「私がパレードを抜け出して、隠し通路から叔父さまを討とうとした場合。隠し通路の場所は知られていなくとも、シオドアに城ごと燃やされる可能性はあるわね」
「ははっ。そうなったら、お前は隠し通路で蒸し焼きだろうな?」
「どうして楽しそうなのよ。悪趣味」
「やめろ。指で俺の頬をぐりぐり刺すな」
アリシアはフェリクスに抗議したものの、それは見るまでもなく想像できる結末だ。
(未来視のおまけの『死に戻り』って、火事の場合どうなっちゃうのかしら……。『殺されそうになった瞬間に自害すれば、未来を見たあとに死に戻る』という力であっても、生き返った瞬間にまた死んだら終わりだわ)
考えるだけでぞっとする。やはり隠し通路での奇襲を狙う場合、シオドアに動かれる訳にはいかない。
「ザカリーがまだ逃げ出していないのは、幸運だったわね。持ち帰ってもらう偽の情報をもう少し増やして、シオドアを制御しないと……」
「そんなことをする必要があるのか? その男は、妃冠の儀に来ると言っている」
フェリクスの言わんとしていることが、アリシアにははっきりと察せられた。
「妃冠の儀で、その男を味方に引き入れろ。それが出来ないなら、国への帰路に就かせるな」
その瞳でアリシアを見据え、彼は命じる。
「――必ず捕らえ、この国の中で殺せ」
黒灰色をしたフェリクスの瞳は、稲妻を帯びた曇天の空のようだ。
「……分かっているわ」
叔父を玉座から引きずり下ろさなければ、アリシアの故国に未来はない。
多くの民が傷付き、殺される未来を、絶対に回避するのだ。そのために敵対者を排除しなくてはならないのだ、理解している。
そして、覚悟もしていた。
「とはいえ、シオドアもそれを警戒しているはずよ。……妃冠の儀にわざわざ来るのだっておかしい。もしかしたら叔父さまではなくティーナの手先になっていて、妃冠の儀で秘密裏に私を殺すことを狙っているのかも……」
これは既に、小規模な戦争のひとつだった。
「……どちらが先に、相手を殺せるかの駆け引きね」