31 ティアラと短剣
王室の妃のみが着けることを許されるティアラは、ほとんどの国において、妃が嫁入り道具として持参するものとなる。
しかしこのレウリア国の場合、夫からそれを贈られるのだとは聞いていた。
「嫁ぐのにティアラは不要だと聞いたとき、叔父さまが私のために用意したくなくて、嘘を吐いているのだと思ったわ。そういう儀式があるからなのね」
「面倒だが、この段取りを踏まないとうるさい連中もいるからな。仕方がない」
「ティアラは分かるのだけれど、短剣は?」
こちらもレウリア国独自の習慣だろうか。花嫁に花や宝石ではなく、剣を贈るという文化を初めて知った。
「――自害用だ」
「!」
アリシアを膝に乗せたままのフェリクスは、冷たい声音で言う。
「有事の際、妃が心身の尊厳を守れなくなる前に、自ら命を断つための短剣を持たせる」
「……フェリクス殿下。少し、お言葉を選ばれた方が……」
侍従のヴェルナーが、アリシアを気遣うように眉根を寄せた。けれどもフェリクスはふんと笑い、挑発するような笑みを浮かべる。
「この国の忌まわしい習慣は、教えてやっておいた方がいいだろう。いざ『必要』となったときに、聞いていなかったと騒がれても困る」
「しかし。嫁いでいらしたばかりのアリシア妃殿下を、無闇に不安がらせるようなことは避けるべきかと」
「お前は一体何を見ている? ヴェルナー」
そう言ってフェリクスは、膝の上のアリシアを見遣った。
アリシアは言葉の意味をしっかり考え、ぽつりと呟く。
「自害用の、短剣……」
それは恐らく、何処でも持ち歩いて隠しておけるような大きさのものだろう。
夫から妻に贈られるものならば、肌身離さず持ち歩いていてもおかしくない。アリシアにとって、こそこそ隠したり忍ばせたりすることなく、堂々と持ち歩ける刃となるのだ。
「それは……」
「あ、アリシア妃殿下。短剣の用途は形骸化したものであり、あくまでも伝統儀式というだけで……」
侍従のヴェルナーを遮って、アリシアはきらきらと目を輝かせた。
「――すっごく助かるわ! 肌身離さず持っていても怒られない、そんな短剣を貰えるだなんて!」
「は……」
「ほら、見たことか」
ぽかんとしているヴェルナーに対し、フェリクスは告げた。
「俺はこいつが分かってきたぞ。世間一般の女に必要とされる配慮が、アリシアにはまったく不要となる。……必要だったとしても、俺がしてやる気はないが」
「ちょっとフェリクス! いくらなんでも私にだって、普通にしてほしい配慮くらいあるわ」
「白昼から、夫の膝に座っているところを見られて平気な奴がか?」
「だってこれは、夫婦だし……」
ひょっとして降りた方がいいのだろうか。ヴェルナーは気まずそうな顔をしているが、フェリクスはどうでもよさそうな無表情のままだ。
(これが王族夫婦の作法でないのなら、さすがにフェリクスが『降りろ』って言うわよね……? もしもこれが普通じゃなかったら、冷酷で他人が嫌いそうな王太子さまが、嫌そうな顔をしながらもずーっとお膝に乗せたままになんかしないわよね……)
内心でどきどきするものの、フェリクスがやっぱり何も言わないので安堵した。
(でもやっぱり、こうするのは今後、執務室や寝室だけにしておきましょう)
「アリシア妃殿下。妃冠の儀には見届け人として、花嫁さま側のご関係者さまにも参列いただくことが可能となっております」
「まあ。そうなのですね」
かつて、王族同士の結婚が戦時中にたびたび行われていたころの名残から、妃側の人間は婚儀に出ないのが一般的だ。
これを必須の礼儀としてしまえば、王族が国境を越えなくてはならない理由が出来て、各種の戦略に影響が出る。その代わりとして『頃合いを見て、戦況が落ち着いているときに』行えるのが花嫁故国のパレードだ。
この国においてはそれだけでなく、妃冠の儀も例外のひとつとなるらしい。
「とはいっても、私の国から出てくれる親族や王侯貴族なんて、ひとりも居ないのだけれど」
「いえ妃殿下。もうひとつのお話とは、まさにそのことでして」
ヴェルナーは、アリシアの故国から届いたらしき書状を差し出した。フェリクスが関心のなさそうな手付きで受け取って、中身を改める。
「……妃冠の儀に、お前の国からの参列者がいるそうだぞ。国王の名代として、馳せ参じると」
「え? 名代って、一体誰が……」
「騎士シオドア」
緊張感に、ぴりっと指先が痺れたような心地がした。
「……シオドアが、叔父さまの名代として……?」
騎士シオドアは、アリシアが叔父から玉座を奪還するにあたり、大きな障害となり得る人物のひとりだった。
この男さえ味方に付けられれば、アリシアの勝率は大きく変わる。反対に敵に回られてしまうと、非常に厄介で困る男だ。
フェリクスが、ヴェルナーの退室を視線で促す。
「……私はこれにて、一度失礼いたします」
「ありがとう、ございました。ヴェルナーさん」
一礼したヴェルナーが執務室を出たあと、アリシアは俯いた。
「……困ったわ。本当にシオドアが叔父さまに従っている場合、最悪の戦況に陥る……」
絶望感が背筋を這い、ぞくりと粟立つ。
「負けるかも、しれない」
「……?」




