3 王女、すくすく吸収する
(夏にお水をもらえないときに、お庭に溜まったドロドロのを飲むほうほうはないかしら。このあいだ読んだ本に、『ろか』とか『しゃふつしょうどく』って書いてあったわ。こっちの本にはおなかをこわす仕組みや、それをふせぐ方法がかいてある。もしかしたら生きるためだけじゃなくて、王女として役に立つかもしれないわ!)
学んだことは、試してみなくては分からない。けれども何かに挑戦するには、それなりの体力が必要である。アリシアは、幼少期から習っている剣術の自主訓練を再開した。
(おとうさまとおかあさまは、守れなかったけど……国民のみんなを守れるように、強くならなきゃ!)
王妃に鉢合わせてしまうと叩かれるので、出会わないよう早朝に剣を振るった。
この城の人たちは、『アリシアに味方を作ってはならない』という王命の元、使用人すらアリシアのことを大っぴらに蔑んで嘲笑う。
『アリシアさまの住む棟は、掃除なんかいらないわよね?』
『当たり前よ、あのお方のお世話をしているところが見付かったら私たちが王妃殿下に叱られるわ』
七歳になったアリシアにとって、使用人が寄りつかないのは好都合だった。
何故ならこの頃になると、剣術の稽古で体力がついたのを利用して、昼間はこっそり城下に出ていたからだ。
『こんにちは、おじちゃんたちー!』
『おお、アリシアさま!』
亡くなった両親に恩があると言ってくれる人たちは、少なくなかった。
アリシアは彼らから世間を学び、本から得た知識や技術を、身をもって体験することになる。
『アリシアさま、今日はうちの馬にでも乗ってみるかい? 放牧した羊を集めるために、馬で追い立てるところを見せてやろう』
『わあ、いいの!? ありがとうございます!』
『もちろんだ。アリシアさまのご両親には生前、俺たちのような羊飼いのことも気に掛けていただいた。まさかその忘れ形見である王女さまが、毎日城から抜け出して駆け回っているところに出会うとは思わなかったが……』
ここにいる彼らのひとりひとりが、両親の死後にアリシアの助命を嘆願してくれたのである。教会の神父、商店の店主、時には元罪人という経歴を持つ人たちからも、たくさんのことを教わった。
『あれ? 今日はおばさま、いないの?』
『ああ……実は、末の娘が流行り病で具合が悪くてな。なかなか元気にならなくて、交代で看病してるんだよ』
『流行り病……』
『国外に働きに出ている息子が、なんとか薬を送ろうとしてくれているんだがなあ。この国にないものが国境を越えるには高い税金が掛けられてしまって、とても払えそうもなくて……』
王城におけるアリシアの立ち位置が少し変わったのは、この七歳から八歳に掛けての年のことだった。
『国王陛下。恐れながら、申し上げます』
アリシアは玉座の前で小さな頭を下げ、激怒されるのを覚悟で進言したのだ。
『あちこちで、とてもお熱の出る病気が流行っていると聞きました。病に効く薬草を民に与えると共に、その栽培方法を広く周知したいのです』
『取るに足らない平民を相手に、何故そのようなことをしなければならない? これからの我が国にとって重要なのは、他国とどのように渡り合い、成長してゆくかだ。そのようなことに割く税も労力も、どこにもありはしない』
『野に咲く草花を使いますので、薬の材料に費用は掛かりません。薬の作り方を教えるのも、薬草を見分ける方法も、私がひとりでみんなに教えます。ただ、王室が所有する森に、たった一日だけ村人の立ち入りをお許しいただけないでしょうか』
王妃は怪訝そうな目でアリシアを睨み、王はやはりどうでもよさそうだった。
アリシアの話した森というのは、分かりやすい資源のない小さな森だ。けれども本で見た薬草が育つには、ぴったりの条件なのだった。
『良いだろう。ただし面倒ごとがあった際は、当然お前が罰を受けるのだぞ』
『……! ありがとうございます、陛下!』
この進言はなんとか成功し、流行っていた病に効く薬の調薬に成功した。
これは『王室による民への慈善活動』とされ、アリシアの名前は隠匿されたのだが、そんなことはどうでもいい。
元気になった子供を抱き締めて泣きながら喜ぶ大人たちの姿に、アリシアはほっとした。
(王女として成すべきことが、初めて出来た……!)
たとえ、そんなアリシアの頭を撫でて、よく頑張ったねと笑ってくれる人がいなくとも。
そしてアリシアはそれ以来、叔父である国王から、ことあるごとに問題の解決を命じられるようになった。
『王都の孤児院が、孤児が増えたことによる人手不足をうるさく訴えかけてくる。アリシアよ、今回も金と人手を使わずに、シスターどもを黙らせて来い』
『陛下。そのような問題については、一時凌ぎをしたところで解決には至りません。まずは人員の補充や、孤児を出さない根本的な解決を……』
『お前に動く気がないと言うのであれば、国からもこれ以上やることはないな。これでも諸外国に向けて説明がつく程度の、最低限の支援はしているのだから』
『!』
叔父はふんと鼻を鳴らし、アリシアを脅すように笑う。アリシアは俯いて、叔父に従った。
『……かしこまりました、国王陛下。それでは私自身が当面のお手伝いをすると共に、栄養価の高い作物の育て方をお伝えして参ります』
『最初から素直にそうやって動けばいいのだ。お前を王室の人間として生かしてやっている、その理由を忘れるな。――とはいえ』
叔父はそのとき、たったひとつを約束してくれたのだ。
『いつかこの国が世界に認められる大国となった暁には、国内のことにもう少し目を向けてやっても良いだろう』
『本当、ですか?』
『もちろんだとも』
(……なんて、いままで何度も裏切られたのだから信じることは出来ないわ。国内をないがしろにして、他国と渡り合える国なんて作れないのに……だけど、ここで叔父さまの怒りを買って、いま救えるはずの人を救えなくなることは避けたい……)
アリシアはそれから、叔父からの命令を果たして国民を救うために、自分が持つ知識をすべて使い始めた。
(叔父さまに何も期待しては駄目。いつか『そのとき』が来るまで、私の手が届く範囲だけでもどうにかしなきゃ。大丈夫、国民が幸せになればなるほど、国は強くなるのだから)
とはいえそのことはアリシアにとっても、本で読んだだけの知識に過ぎないのだ。だからこそ実現するために、無我夢中で頑張った。
それでも正妃の怒りを買えば、知識を書き溜めた紙片を奪われて燃やされたり、お仕置きと称して何日も閉じ込められることもある。
(学んだことはすべて暗記しないと、王妃さまによって奪われてしまう。……何がなんでも記憶に焼き付ける……よーし、頑張るわ!)
アリシアは必死に暗記方法を習得し、部屋から出られない時は筋力を鍛えるなど、その時間も有効活用することにした。