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26 冷たい目と温かな手

 このレウリア国における多くの騎士にとって、王太子フェリクスは畏敬の対象であり、同時に心から恐ろしい存在でもあった。


 戦場において、フェリクスは異質な強さを放っている。


 その無表情で冷淡な外見とは異なり、フェリクスの剣技は一撃が重い。


 血溜まりの中、顔色ひとつ変えることもないままに敵を殺し、時として亡骸の頭や腕などを敵陣に放ることもあった。

 それによって陣形を崩し、挑発に乗って我を忘れた敵兵を相手取っては、やはり淡々と討ってゆく。


 まるで作業をこなしているかのような無感動さの中、刃のように研ぎ澄まされた殺気だけが、フェリクスの周囲に纏わり付いているのだ。


 戦場でのフェリクスは、その容姿の美しさも相俟って、生きた人間とは思えないほど禍々しい。そして同じくらい、神秘的なものに見えた。


 騎士の中には、敵と戦う恐怖ではなく、フェリクスの姿に怖気付いて剣を握れなくなった者もいるほどだ。


 フェリクスは身近に決まった人間を置くことを嫌い、自身の近衛騎士を持たない。

 そのこともあり、たとえ戦場を離れた王城であっても、騎士たちにとってフェリクスは畏怖すべき王太子なのだった。


「――フェリクス殿下!」


 この夜、フェリクスへの伝令を任されたふたりの騎士は、緊張しながら執務室に向かっていた。そして廊下でフェリクスの姿を見付け、最敬礼の形を取る。


「斯様な時刻に申し訳ございません。至急のご報告があり、これよりお部屋にお伺いするところでした」

「……」


 ランタンを手にしたフェリクスは、やはり就寝前だったのだろう。ガウン状の夜着を纏っており、鎖骨からみぞおちまでが開いている。


 騎士たちの姿を見たフェリクスは、その黒灰色の目を眇めて言った。


「――ようやく間者を捕らえたか」

「!」


 こちらからはまだ何も告げていないのに、フェリクスは、すべてを見抜いているかのような声音で言った。


「……仰る通り。マリウスさまより、尋問終了後の処遇について、フェリクス殿下よりご指示を賜りたいと……」

「殺せ」

「!」


 フェリクスは端的にそう言うと、再び寝室の方に歩き始める。しかし、騎士たちは慌ててそれを引き止めた。


「お、恐れながらフェリクス殿下。この者は確かに王城使用人の立場を利用し、城内の地図を持ち出した罪人です。しかし地図自体は、侍女ですら把握している内容……!」

「ただ一度、恐らくは他国に金を積まれた末の気の迷いに違いありません。あの者には、高額の薬を必要とする身内が」

「だからなんだ?」

「……っ!!」


 フェリクスがゆっくり振り返ると、廊下の空気が一気に凍り付く。ランタンの火が揺らぎ、黒灰色の瞳を暗闇に浮かび上がらせた。


「城の見取り図ひとつで、玉座に座ったまま討たれる羽目になる王もいる」

「仰る、通りです」


 びりびりと空気が痺れるかのような緊張感に、騎士たちのこめかみを脂汗が伝った。

 フェリクスの決定に反論をし、自分たちこそ殺されてもおかしくないのだと自覚したのだ。フェリクスは興味を無くしたかのように目を眇め、再び歩き始める。


「これ以降、俺の部屋には近寄るな」

「は……っ! 王国の剣たる王太子殿下に、安寧の眠りが訪れますよう」


 深く頭を下げた騎士たちは、フェリクスの足音が聞こえなくなったあと、ようやく顔を上げて呟いた。


「フェリクス殿下の仰る通りだ。国家を守るためには、間者など殺してしまう他にない」

「冷酷であらせられても、正しく高潔でいらっしゃるのだ。……それゆえに、恐ろしい」

「……だが。なあ、気の所為じゃなければ……」


 騎士のひとりが奇妙な顔をして、フェリクスの背中が消えた廊下を見詰める。


「フェリクス殿下から、桃の香りがしなかったか……?」

「………………」




***




 父が倒れた玉座の間で、小さなアリシアは泣いていた。

 夥しい量の血が流れ、それは決して止まらない。大理石の上に血溜まりを作り、アリシアの靴すら汚している。


 父の亡骸を抱き締めるのは、くちびるから血を零した母だった。


「ごめんなさい。おとうさま、おかあさま」


 アリシアはぽろぽろと泣きじゃくり、もう動かない両親に手を伸ばす。


「お勉強も、いっぱいしたのに。剣の練習もして、強く、なったのに」


 それでも幼い王女など、無力でしかなかったのだ。


「大好き、なのに」


 アリシアを抱き締めてくれたふたりの手は、胸が苦しくなるほどに冷たかった。


「……私ではふたりを守れなくて、ごめんなさい……」


 けれどもそのとき、誰かの温かな手が、アリシアの頬に触れる。


「……?」


 涙を拭うかのような触れ方に、幼いアリシアはぱちぱちと瞬きをした。


 両親はもう、この世界に生きてはいない。だからもう、誰からも撫でられることはない。


 それなのに、誰がこんなにやさしくアリシアへと触れるのだろうか。


『……まったく』


 この血溜まりとは違う場所から、低くて心地の良い声がした。


『つくづく毎夜、寝言がうるさい』

(……?)


 これとまったく同じようなことを、何処かで誰かに言われた気がする。

 そうして声と手の人物は、少しだけゆっくりとこう紡いだ。


『――お前を責める者は居ないのだから、もう泣くな』




***




 アリシアがゆっくりと目を開けたとき、自分が夢を見ながら泣いていたことを知った。


 けれどもどんな夢の所為だったのか、直前のことなのに思い出せない。とにかく体が熱くて重く、ぼんやりとして思考が回らないのだ。


 再び目を閉じようとすると、低くて心地良い声がする。


「おい」

「ん……っ」

「目を開けろ。俺に果物を切るような手間まで掛けさせておいて、眠るんじゃない」

「…………」


 涙でぼやける視界の中に、薄暗い闇の中にいても見失わない、とても美しいかんばせが見えた。


「……フェリクス……?」


 無表情にこちらを見据える夫の名前を、掠れるほどに小さな声で呼ぶ。



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― 新着の感想 ―
[一言] アリシアの悲しみがリアルに伝わって来て、胸が痛くて仕方ありません。ずっと自分を責め続けているアリシア。どうか少しでも、その悲しみと苦しみが癒される日が来ますように。。
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