25 夫婦かくあるべし
【第4章】
「――ということで。以上が隧道封鎖の顛末よ、フェリクス」
夜の湯浴みを済ませたアリシアは、アイボリー色の閨着に身を包み、長椅子に寝転がりながら報告をした。
「あなたが騎士に、私に従うよう命令しておいてくれてとても助かったわ。お陰で封鎖も早く終わって、私たちがいる間に隧道が崩れることはなかったもの」
「……おい」
「あと数日くらいは保ちそうでも、もはや時間の問題ね。近隣の村の人たちにはこの件を伝えて、みんな迂回路を使ってくれることになったとはいえ……」
「おい」
フェリクスの不機嫌そうな声が聞こえてくるのは、アリシアの真上からだ。
横向きに長椅子へと寝そべっているアリシアは、不思議に思って顔を上げる。すると本を開いていたフェリクスが、冷たい目をこちらに注ぎながら言い放った。
「お前は何故、俺の膝を枕にしている?」
「え?」
アリシアはころんと寝返りを打ち、横向きから仰向けになる。長椅子から落ちないように体の向きを変えるのは、我ながら器用だという自負があった。
「だって夫婦って、私的な時間はこうやってくっ付いているものでしょう?」
フェリクスの膝に頭を乗せたまま首を傾げると、彼はますます眉を顰める。
「あなたの妃の座を利用する身として、しっかり夫婦らしいことはしておかないと。私のお父さまとお母さまも、生前ずっとこんな感じだったし」
「お前の両親は恋愛結婚か?」
「まさか。国王夫妻よ? 私たちと同じ政略結婚に決まっているじゃない」
「…………」
信じられないものを見るような目を向けられたが、アリシアは再び横向きの、フェリクスに背を向ける形へと寝返りを打つ。
「それにしても、少しお風呂でのぼせたかしら。体の熱がなかなか抜けないわね……」
「冷やせばいいだろう。床で」
「断固ここから退かないわ!」
「ちっ」
ひしっとフェリクスの膝にしがみつき、舌打ちは聞かないふりをした。
とはいえひとまず、フェリクスへの報告はこんなところだろう。そう考えていたところに、思わぬ問い掛けがある。
「結局あの賊は、逃さなかったのか」
(……驚いたわね。フェリクスが私のやろうとしていることに、わざわざ質問をするほどの関心があるなんて)
だが、アリシアもそこは疑問に感じている点だった。
「それが、何度も隙は作ってみたんだけれど……」
隧道の前で柵を作っているときも、アリシアはわざとザカリーが逃亡出来るようにしていた。
それなのにザカリーは逃げ出すどころか、アリシアの行動を黙って観察し始めたのだ。
「まったく逃げないから、結局ティーナのために私を殺す気なのかもしれないと判断したわ。それなのに、むしろ落石から助けられてしまって……」
「……あの賊が、お前を?」
「そう! すごくびっくりしたの」
そして一息ついたとき、ドレスの裾を絞っているアリシアに対し、ザカリーはこんなことを確かめてきた。
『未来が見えることは、騎士たちには伏せているのか?』
それを聞いてアリシアは、自身の誤魔化しが成功したことを悟ったのである。
(安心したわ。ザカリーにはちゃんと、『私が未来視の力を隠すために、現実的な根拠を並べて騎士を説得した』ように見えたようね)
けれども実際は未来視ではなく、現実的な根拠だけで、隧道崩落を予想したに過ぎないのだ。
(自然災害への対応は、被害が起きてからの対処以上に、被害が起きないようにするのが王族の務め)
アリシアは幼い頃から、災害にまつわる書物をたくさん読み込んでいる。未来視の力を使わなくとも、今回は十分に観測できた。
けれどもザカリーの前では、あくまで未来視の力であるように振る舞っておく。
『そうよ。……あらかじめ言っておくけれど、あなたが私への嫌がらせに公表しようとしたところで、世間には信じてもらえるはずもないわ』
未来視の力など、殆どの人が迷信だと思っているお伽話だ。
だからこそアリシアは、フェリクスやザカリーに信じさせるため、流血という派手な演出をしているとも言える。
(未来視の力について知られることは、非常に危ういわ。民心を掌握できるという見方もある一方で、大災害や大事件が起きたときに、どうして事前に防げなかったのかという怒りが噴出する)
無限に未来が見られるのであれば、民のために『正しい』力の使い方をしてあげられたかもしれない。
けれども実際は残り二回を、アリシアは自身の目的のために使おうとしている。
(未来を見るという奇跡のような力を、玉座の奪還という私欲に投じるんだもの。……これは、私の罪)
自分が悪であることを、アリシアはもちろん自覚していた。
だからこそ、それに相応しい振る舞いを心掛ける。
アリシアが持つ未来視の力を、誰かが無闇に希望として、その心に抱いてしまわないうように。
『この力を広く知られると、未来を見るために力を使えと強制されるでしょう?』
『……』
『私、そんなのは絶対に御免なの』
ザカリーはその鋭い双眸で、静かにアリシアを見据えている。
(『ティーナなら、民のため犠牲になったとしても、何度でも未来を見るはずだ』……とでも言いたいのかもしれないわね)
フェリクスの膝を枕にし、そのときのことを思い出していると、なんだかひどく体が重い。
その気怠さを自覚してしまうと、一気に嫌な感覚が湧き上がってきた。
「……ともあれ、ザカリーを逃す場所は、もう一度考えるわ……」
雨の中で動き回り、さすがに疲れが溜まったのだろうか。
湯浴みのときからの体の熱も、未だに冷めていないのだ。アリシアは顔を顰めつつ、それでも言葉を絞り出した。
「隧道の様子を見に行くという口実で……もう一度、国境付近に、連れて行くと良いかもしれないわね。……ティーナの贈り物の、『今後』もあるし……」
「今後?」
「……この件はまた、明日。ごめん、なさい……」
アリシアは目を瞑り、少しだけ背中を丸めた。
「なんだかとても、熱くて……」
「……お前」
フェリクスの手が、アリシアの首筋をなぞるように触れる。
それが冷たくて心地良く、無意識に頬を擦り寄せた。するとフェリクスは、深く溜め息をつくのである。
「体調不良を自覚できないほど疲弊しておいて、どの口が『明日』などと言っている?」
(……仕方ないじゃない。そうでもしなくちゃ、私は王族の務めを、果たせない……)
そうやって反論したかったのに、すぐさま思考が掻き乱される。誰かにふわりと抱き上げられた気がしたものの、目を開ける気力はない。
眠っているところを抱えて運ばれるのは、雲の上を揺蕩うような幸福だ。幼い頃に知ったその感覚を、アリシアはぼんやりと思い出した。
(おとうさま……? おかあさま……いいえ、ちがう)
ふたりは既に亡くなった。
アリシアをこうして寝台に連れて行ってくれることは、もう二度とない。
(私のことを抱っこしてくれる人なんて、この世界の何処にもいないはずなのに……)
それでも幻を離したくなくて、その首筋にぎゅうっと腕を回す。
アリシアはそのまま、ゆっくりと意識を手放したのだった。
***
皆さまのお陰でこの度、本作の書籍化+コミカライズが決定いたしました……!
すごくすごく嬉しいです!! ありがとうございます、どきどきしています……!!!
発売時期など決まりましたら、また改めてX(Twitter)などでもお知らせさせていただきます!
応援をありがとうございます。この先もアリシアとフェリクスの物語をお楽しみいただけるよう、全力で頑張ります!
次話は明日の更新です!
もしよろしければ、このお話を楽しんでくださった方は、楽しかった度に応じて
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