24 本性(第3章・完結)
「!?」
その言葉に、ザカリーたちは目を見開く。アリシアはまず己の足元を見下ろして、隧道から溢れ出す泥水を指差した。
「隧道内から、こんなにも大量の雨水が溢れ出しているの。隧道内の壁や天井に、大きな亀裂がいくつも入っている可能性があるわ」
「しかしアリシア妃殿下、ご存知の通り今朝からこの雨です。岩壁から水が染み出すくらい、おかしなことではないのでは……」
騎士の問い掛けを、アリシアが明確に否定する。
「岩は水を通さない。水が漏れてくるのは、ひび割れや穴があるときだけよ」
「そ、それは確かに……」
「少々の水であれば、岩盤が折り重なっている間から滲んでくることもあるかもしれないわね。けれどこれだけの量が隧道内から流れ出ていて、しかもこんなに泥だらけの濁った水……」
アリシアが身を屈め、泥濘から小石を拾う。かと思えば彼女は、それを躊躇せず隧道の中に投げた。
「ゼレコウモリにとって、こんな隧道は絶好の雨宿り先のはず。それなのに石を投げても羽音や鳴き声がしないのは、ここが危険だと察知して避けているから……」
(……この女……)
「代わりに、いくつも小石が落ちる音がするでしょう? 確実に隧道内の石壁が軋んで、少しずつ崩落しようとしている気がするの」
アリシアの言葉に、騎士たちは慌てて耳横へと手を当てた。それから互いに顔を見合わせる。
「聞こえるか?」
「雨音が邪魔で……しかし耳を澄ませてみると、微かに聞こえるような……?」
ザカリーは嘆息し、事実をそのまま口にした。
「確かに、俺にも聞こえる」
「!」
アリシアがその目を丸くする。ザカリーが賛同したことが、心の底から意外だったらしい。
(未来視の力を持っているということを、一部の人間にしか明かしていないのか。本当はアリシアには崩落の未来が見えていて、しかし未来視したことは悟られないように、現実的な根拠だけを並べ立てているとすれば……)
ザカリーはアリシアを睨むように見返して、その真意を探った。
朝焼け色の髪から雨の雫を滴らせるアリシアは、すぐにザカリーから視線を外し、騎士たちを見回す。
「私の判断など信用できないかもしれないけれど、どうか信じていただけないかしら」
「……承知しました、アリシア妃殿下。少々大回りになりますが、馬車は隧道を利用せず、安全な道を進ませていただきます。この場には騎士二名が残って通行人がないよう見張り、別の一名が王城まで戻って崩落の可能性に関する報告を……」
「いいえ」
アリシアはきっぱりと否定すると、馬車の方へと歩き始めた。
「それよりも、いま封鎖してしまえばいいのよ。私の用事なんて、後回し」
「あ、アリシア妃殿下!? 何を……」
「馬車に何かあったとき引っ張るための縄、積んであるでしょう? 少し借りるわね。誰が見ても通行禁止だと分かるように、まずは隧道のこちら側に縄を張らないと」
そう言って、当たり前のような顔をして荷台を開けようとする。騎士たちは慌てふためき、アリシアの方に駆け寄った。
「妃殿下! こちらは荒縄です、触れてはお手が傷付くかと! そのような作業は我々にお任せください!」
「いいえ。私の言うことを信じていただけただけで十分よ」
荒縄の束は重く、繊維の切れ端が針のように突き出している。手袋を着けた騎士とは違い、アリシアは素手だ。
「勝手に隧道なんて封鎖して、お咎めがあるかもしれないわ。あなたたちを巻き込めない、そこで見ていて」
「アリシア妃殿下!」
縄を抱えようとした彼女の指先に血が滲むのを、その場の全員が目にしたはずだ。
それを見たひとりが改めて背筋を正し、アリシアから荒縄を引き取った。
「フェリクス殿下より、ご命令を賜っております」
「あの人から?」
騎士は頷き、こう告げた。
「アリシア妃殿下が、なんらかの未来のために行動なさるとき。――フェリクス殿下がその責を負ってくださるゆえ、我々は妃殿下に従うようにと」
「――――!」
その言葉に、アリシアが目を丸くした。
「……フェリクス」
夫である男の名を呟いて、アリシアは俯く。
「……ひとまず封鎖を急ぎましょう! 隧道の向こう側にも回って、同じように縄を張らないと……」
そこからもアリシアは雨の中、まるで自分もひとりの騎士であるかのように動き回った。
「自生している木々を利用して縄を張るには、長さが少し足りないわ。隧道の前に杭を立てて、それを縄で繋ぎましょう」
そう言って山で枝を拾ってくるのも、それを地面に突き立てるのも。
石を槌代わりにして打ち付けるのも、アリシアは全ての作業をこなす。
その様子は、騎士たちよりも手慣れているほどだ。
両手に枷を付けられたザカリーは、作業に加われと命じられることはない。その代わり逃げ出すこともないよう、アリシアたちが作業をする場所の傍に繋がれていた。
だからこそ、アリシアの様子をしっかりと観察出来る。
(王室の慈善活動のひとつに、危険区域の封鎖があったはずだ。……まさか……)
雨に打たれて冷えているのか、動き回るアリシアの肩は震えていた。
指先は傷だらけで、ドレスの美しさなど見る影もない。
(あの赤色が滲む手は、ティーナさまの穢れを知らないと思えるほど真っ白な指先とは、まるで違う)
それでも作業が進むにつれ、それまでの切羽詰まったような切実な表情が消えてゆく。
騎士に礼を言い、柵の強度を確かめたアリシアは、安堵と喜びの笑顔を浮かべるのだ。
「あと少しで完成だわ。これで、ここを通る人が危険な目に遭う可能性も減って……」
そのときだった。
「アリシア妃殿下!!」
「!」
隧道の上部から剥がれ落ちた石の塊が、彼女の方に転がり落ちる。
アリシアが振り返ろうとしたときには、石はその頭上に投げ出されていた。騎士が咄嗟に守ろうとするも、彼らのいる場所からは間に合わない。
(あの石がアリシアに直撃すれば、ティーナさまのご命令を果たせる……)
アリシアが目を瞑り、咄嗟に頭を手で防御した。次の瞬間に彼女が驚いたのは、予想していた衝撃が来なかったからだろう。
「ザカリー……?」
「…………っ」
アリシアを抱え込んだザカリーの背に、鈍い衝撃が走った。
頭に当たれば致命傷となりえる石も、上手く受け身を取った上で、背中ならば大怪我を免れることが出来る。ゆっくりと息を吐いたザカリーに、アリシアが慌てて問い掛けた。
「大丈夫!? 肋骨や背骨は……」
「……折れていない。早く柵を作り終えて、この場所から離れるべきだ」
騎士たちが急いでザカリーを、アリシアの傍から引き離す。アリシアは心配そうに眉根を寄せ、ザカリーに尋ねた。
「ありがとう、ザカリー。……だけど、どうして私を助けたの?」
(そんなものは、俺自身が聞きたいさ)
放っておけば、アリシアは死んでいたかもしれない。
そうなればティーナの命令を果たしながら、『ティーナの差し向けた賊によって殺された』という悪評も広がらずに済むはずだったのだ。
(……いいや。俺は一刻も早く、認めるべきなのだろう)
「……あ! 見て、雨が止んで……」
先ほどまでの土砂降りが嘘のように、急激な晴れ間が広がり始めた。
空を見上げたアリシアの元に、透き通った陽射しが降り注ぐ。彼女の髪やドレスから伝う雫が、陽光を受けて宝石のように輝いた。
「――よかった」
そしてアリシアは、あふれんばかりの笑顔を浮かべる。
「これで残りの柵作りが、少しでも早く終わるかもしれないわね! 短縮した時間を利用して、近隣の村に通行止めの報せも出来るわ」
「…………」
どうやらアリシアは空いた時間を、自身の休息に使うつもりはないようだ。
騎士たちは互いに顔を見合わせたあと、背筋を正してこう返した。
「……はい! アリシア妃殿下!」
もはや騎士たちには、先ほどまでの戸惑いもない。
ザカリーは、すぐさま作業を再開するアリシアの後ろ姿を見据えて目を眇める。
(『アリシア』の本性は。……俺が本当に、従うべきは、ティーナさまではなく……)
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第3章・完
第4章に続く
ここまでで、第3章はお終いです! ここまでお読みいただきありがとうございました。次章は再び夫婦が中心です。
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